ブッダは自分の肉体に同一化していない | 真実の結晶

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ある方から「覚醒の状態とはどんな感じなのでしょうか?」と質問がありました。ちょっと比喩が多くわかりづらいかも知れませんがOshoの説法をシェアします。長いですがシッカリ読んでみて下さい。


Osho
:神が今ここにいることがわかると、神はどこにもいないことがわかる。どちらも同じことだ。神はどこか特定の場所にいるわけではなく、それは確かに真実なので、神はどこそこにいるという言い方はできない。居場所をつきとめることはできないし、それを確定することはできない。ナナークは、神の居場所を尋ねるのはまるで見当違いであり、神がいない場所はどこかと尋ねるべきだと言っている。神があまねく存在しているのであれば、神は至るところにいると言っても、神はどこにもいないと言っても大差はない。神があまねく存在しているのであれば、どこそこにと言うことには意味がないからだ。

神はある。どこにもない国とは今ここのことだ。今が唯一の時間であり、ここが唯一の場所だ。今ここで神を見いだすことができなければ、どこへ行っても神を見つけることはできない。この瞬間、まさにこの瞬間に ……三つのステップが実現され、第四のものが達成されたら、これが起こる。これは秘法のなかの秘法だ
....神はどこかに腰かけている人物ではない。神が人物として知られることは、けしてないし、人物として知られたことも一度もない。

神を人物として認知した人々は、みずからの空想にだまされていただけだ。キリストの姿を見るなら、それはあなたの空想だ。あなたがそれをつくりだしている。クリシュナの姿を見るなら、それはあなたの空想だ。空想力を培うことはできるし、空想の翼を広げることはできるが、あなたは夢をつむぎだし、夢を投げかけている。それはあなたの夢を見るマインドの働きだ。真理は人物ではないし、真理はどこかに、外にあるものではない。

それは客体として見つかるものではなく、みずからの目撃しつつある主体だ。そしてそれは、あなたの男と女が消えてひとつになってはじめて実現する。フランス人が言うように、三つの性別がある
....男、女、そして聖職者。彼らは冗談で言っているのだが、そこにはなかなか深い意味が込められている。まさに三つの性別がある....男、女、そしてブッダだ。

ブッダは男とも呼べないし女とも呼べない。いずれかの肉体をもってはいるが
....男の肉体かもしれないし女の肉体かもしれない....ブッダはもはや自分の肉体に同一化していない。彼はただ純粋な目撃者だ。彼は、あなたが彼の肉体から離れているように自分の肉体から離れている。あなたと彼の肉体とのあいだには距離があるが、彼とその肉体のあいだにも同じような距離がある。あなたは外に立って彼の肉体を見ているが、彼は内側の深いところに立って自分の肉体を見ている。

だが、あなたと彼の肉体のあいだの距離と、彼とその肉体のあいだの距離は同じだ。彼はもはや自分の肉体に同一化していない。彼は男とも呼べないし女とも呼べない。彼はただ超越している。そしてこの彼方なるものが開かれたとき……どこにもない国こそ、真のわが家である。あなたはわが家に帰り着いている。この詩句は神秘に満ちている。それが意味するのは、深遠なるタオにおいて最も重要なのは「無為の為」という詩句である、ということだ。わが家に帰り着いてはじめて「無為の為」という言葉の究極の意味がわかるようになる。だが、あなたはまさにその始めから、その方角に向かって進んでゆかなければならない。そうしてはじめて、いつの日か究極なるものが起こる。
Osho - The Secret Of The Secrets

どうだったでしょうか!この
Oshoの話は覚醒の気づき以上の体験がないとわからないことです。特に「ブッダは男とも呼べないし女とも呼べない。いずれかの肉体をもってはいるが....男の肉体かもしれないし女の肉体かもしれない....ブッダはもはや自分の肉体に同一化していない。彼はただ純粋な目撃者だ。」この状態は、意識は完全に観照者から見た状態です。Osho
の話は比喩が解りづらい所もありますが、体験したものでないとわからないことを、うまく言葉にしています。



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