これは、今生あなたが生まれてきた理由を例えにしたOshoの寓話をまじえた説法をシェアします。覚醒に気づき安定しなければ、何のために今生うまれてきたのか?そこのところ、よく感じながら最後までお読みください。
Osho:寓話をひとつ……ある日のこと、ヴィシュヌ神は遠い山の深い洞窟に座り、弟子と一緒に瞑想していた。瞑想が完成したことにいたく感動した弟子は、ヴィシュヌの足もとにひれ伏し、感謝のしるしに何かの奉仕をさせて欲しいと言った。ヴィシュヌは笑いながら首を振った。
「私が無償で与えたものに、行為で報いることほどむずかしいことはない」弟子は「主よ、どうか何かのお役に立てさせてください」と言った。「よかろう」とヴィシュヌは優しい声で言った。「冷たくてうまい水が飲みたい」「すぐにもってまいります」弟子はそう言うと、嬉しそうに歌を歌いながら山を駆けおりていった。やがて彼は、美しい谷の端にある小さな家の前に来て、戸を叩き「私たちはさすらいのサニヤシンで、この世に家をもたない者です」すると、すばらしい乙女が現れて、崇敬の念もあらわに彼を見つめた。「まあ」と彼女はささやいた。「遠い山の頂きであの聖者にお仕えしていらっしゃるのですね。どうぞ、なかにお入りになって、祝福を授けてくださいな」
「申し訳ありません」と彼は言った。「急いでいるのです。水をもってただちに師のもとへ帰らなければならないのです」「でも、祝福をしてくださっても、あのお方はお怒りになりませんわ。 あのお方は偉大な聖者なのですから、その弟子であるあなたは、私たちのように幸運に恵まれない者たちを助けてくださらなければなりません。どうかお願いです」と彼女はくり返した。「この貧しいわが家を祝福してください。あなたをここにお迎えして、あなたを通して主にお仕えできるなんて、本当に光栄ですわ」
さらに物語はつつく。彼は態度をやわらげ、家のなかに入り、そのなかにあったすべてのものを祝福した。やがて夕食の時間になったので、まだ帰らずに、彼女が料理したものを食べて、それを祝福する(食べることが祝福になる)ように勧められた。そして夜も更けてきたので、「山までの道は遠いし、暗闇で足を滑らせ、水をこぼすかもしれません。今夜はここで寝て、朝早く旅立てばいいではないですか」と勧められた。ところが朝になると、誰も乳搾りを手伝う者がいなかったので雌牛が苦しみだし、雌牛はクリシュナ神の聖なる使いであり、苦しませてはならない「一度でいいから、あなたが手を貸してくれるならとてもありがたいのですが」と頼まれた。
こうして日々が過ぎていったが、彼はまだとどまっていた。彼らは結婚し、たくさんの子供をもうけた。彼は土地を耕して、すばらしい収穫をあげた。さらに土地を買って穀物を栽培した。まもなく近隣の人々が助言や手助けを求めて会いにくるようになった。彼は無償でそれを与えた。一家は繁栄した。彼の努力で寺院が建てられ、学校や病院がジャングルを切り開いてつくられた。谷はこの世の宝石になった。かつては、荒野でしかなかった場所に調和がみなぎっていた。
その繁栄と平和の知らせが国中に広がるにつれ、人々は谷に殺到した。そこには貧困も病気もなく、人々はみな働きながら神への讃歌を歌った。彼は子供たちが大きくなり、孫たちができるのを見守っていた。平穏無事な日々がつついていた。
ある日のこと、谷を見下ろす低い丘に立ちながら、老人はここにやって来てから起こったすべてのことを思い起こした。見渡すかぎり農園が広がり、村は豊かに繁栄していた。老人は満足した。が、そのとき突然、山津波が押し寄せ、みるみるうちに村中を飲み込んでしまった。あっという間に、すべてが消えてしまった。妻も子供も農場も、学校も近所の人々も、すべてが飲み込まれてしまった。彼は茫然として、眼前でくり広げられる大災害を見つめていた。見ると、師のヴィシュヌが激流の上に乗っていた。ヴィシュヌは、彼を見ると悲しげな笑みを浮かべて言った。「私の水はまだかね!」
これは人間の物語だ。これは万人に起こっている。私たちは完全に忘れ去っている。なぜここにいるのか、いったい何をしにやって来たのか、何を学び、何を得、何を知るためなのか、自分は誰であり、どこから来てどこへ行くのか、私たちの源はどこにあるのか、生、肉体、現世への旅を引き起こしたものは何なのか、そして、今までに何を達成してきたのかを完全に忘れ去っている。
もし、山津波がやって来れば、それは必ずやって来る。それはつねにやって来ている、その名前は死だ!すべてが消えてしまう。子供、家族、名前、名声、金、権力、地位一瞬のうちにすべてが消え去り、あなたはたった独りで、完全に独りぼっちで取り残される。あなたの業績は、すべて山津波によってかき消されてしまう。築きあげてきたものは、すべて夢に他ならなかったことが明らかになる。そしてあなたの手も、ハートもからっぽだ。
が、あなたは神と顔を合わせなければならない、<存在>と顔を合わせなければならない。<存在>はあなたを待ちつつけている。最初に頼んだものを、あなたがもち帰ってくることを延々と待ちつつけている。だが、あなたは眠りこけていて、千とひとつの夢を見ている。今まであなたがやってきたことは、すべてみな夢に過ぎない。
なぜなら、死がやって来れば、すべて押し流されてしまうからだ。実在するものは、死によっても押し流されることがない。実在は死を知らない。実在は死ぬことがない。実在は不死だ。実在は永遠だ。死にゆくものはすべて、死ぬことによって本物ではなかったことが、幻想、マーヤ、夢。すてきな夢かもしれないが、夢でしかなかったことが判明する。あなたは地獄の夢を見ているかもしれないし、天国の夢を見ているかもしれない。どちらにしても大差はない。
目覚めた瞬間、あなたは自分が完全にからっぽであることに気つくだろう。それは仏陀が知っている肯定的な意味の空(くう)ではなく、否定的な意味の空虚さだ。自我の消滅ではなく、自我がなし遂げようと努めてきたいっさいのものの消滅。自我でいっぱいだけれど、達成もなく、了解もなく、知識もない状態。
だが、自我が知識を求めていない!というわけではない。自我は知識を求めている。自我は膨大な知識をそなえ、情報を集めている。自我は偉大な収集家だ。金を集め、情報を集め、ありとあらゆるものを集める。自我は蓄えることを信奉している。自我とは貪欲、まさに貪欲そのものに他ならない。自我とは貪欲の別名だ。それは所有したがるが、あなたが手にしているものは、すべて消えてゆく。
そしてあなたがやってきたことは、すべてみな夢のなかの仕業だった。目覚めた瞬間、あなたは驚くだろう。どれだけ多くの時間を無駄にしてきたことか、どれだけ多くの生を夢見ながら過ごしてきたことか、どれだけ多くの夢を生きてきたことか。探求者であるというのは、この夢から出てくること、この夢見る状態の意識から出てくることをいう。探求者であるということは、目覚めようと努力することだ。目覚めるとは覚者になることだ。油断なく醒め、意識し、内なる光に満たされることで、無意識がすべて消え、眠りがすべて消え、眠りの闇が内側から消え、あなたは十全に目覚めている。Osho - The Secret Of The Secrets
いかがだったでしょうか?肉体の崩壊と言う「死」が訪れればわかることですが、今生あなたは肉体をもったまま、本当の自分はだれか?気がつくためやってきたのです。今、あなたの目の前に展開している物事は全て夢だと気づいてください。
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