サットサンでいつも言っているように「技法など必要ない」と言っていますが、技法に関するOshoの説法がありましたのでシェアします。
スピリチュアルな成長は、技術的な現象ではないのだから、いかなる技法も障害になり得る。あなたは技法にしがみつき始めるかもしれない。それが何百万という人々に起こっていることだ。スピリチュアルな成長を探し求めているうちに、彼らは技法を与えてくれる教師に出くわす。
技法は、彼らがもっと静まり、もっと穏やかに、もっと静かになり、大きな幸福を得るのを助けるが、そうなると技法は絶対的に欠くことが出来ないものになる。彼らは技法を捨て去ることが出来ない。技法を捨てたら、その全ての体験も消えてゆく。たとえ何年も実践していた技法だったとしても、3日もしないうちに全ての体験が消え失せている。
技法は、本当はスピリチュアルな成長を与えるのではなく、スピリチュアルに見える幻覚を作り出すに過ぎない。というのも、あなたはスピリチュアルな成長が何であるのかを知らないからだ。そしていいかな、目撃することは技法ではなく、それはあなたの本性だ。技法は何らかのものを作り出す。見守ることは、ただあるがままのものを開示する。
むしろ逆に、それは引っかかっていたいくつかの幻影を破壊するだろう。充分に見守っていなかったせいで、あなたは一度もそれらが幻影的な現象であることに気づかなかった。幻影は容易に作り出せるので、マインドは常に技法を楽しむ。誰がその技法を使うのか?マインドが技法の主人になる。見守ることはマインドを超えている。マインドは見守ることが出来ない。それはこの実在の中にあってマインドが出来ない、唯一のことだ。マインドがそれを汚すことが出来ないのは、マインドがそれを邪道に導くことが出来ないのは、その為だ。
幻覚の中で生き、見守ることの単純で自然なプロセスを、一度も知ることがなかった多くの人達、多くのいわゆる聖者、預言者、救世主達がいた。どのような技法にも巻き込まれない方がよい。見守ることは、それほど純粋だ。それを他のいかなるものによっても汚してはいけない。そしてそれは極めて全体的であり、極めて完全であり、他の一切の支持を必要としない。が、マインドはいつも何かの技法を欲しがる。なぜなら、マインドは技法なら操ることが出来るからだ。
マインドはテクニシャンだ。テクノロジーがその得意分野だ。が、見守ることはコントロールを超えている。それを超え、その上にあり、そして実のところ、それはマインドにとっては死だ。見守ることがあなたの中で育ったら、マインドは死ぬ。そしてこれら全ての人々、超越瞑想を教えているマハリシ・マヘッシ・ヨギのような人々は、マインドが完璧な心地よさを感じるような技法を与えている。が、そこには一切成長というものがない。これら全ての人達は、技法を与えることによって人類を搾取している。それは進化を停止させるものであり、ゆえに最悪の搾取だ。私は全ての技法に反対する。私はあなた方がすでに持っている、時たまあなた方も使うような、単純で自然なプロセスに賛成する。
腹を立てている時、あなたはどうやって自分は腹を立てていると気づくのだろうか?そこにはただ怒りしかなく、誰も見守っている者がいないとしたら、あなたはその怒りに気づくことが出来なかっただろう。怒りそのものが気づくことは出来ない。だから、あなたは自分が怒っている時も、怒っていない時も、気分がよい時も、気分がよくない時も、それに気づいているということだ。が、この見守ることを、マインドのあらゆる位相に、一貫して、科学的に、深く、トータルに使ったことはなかった。 Osho - The Path of The Mystic
これで、マインドによる満足させないこと、また技法は必要がないということお解りいただけましたか?
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