2つの中学校の閉校と新たな中学校の誕生 | 安芸市の近現代史を記録したい!

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高知県安芸市の歴史や文化に関する雑記帳です。
山間部の集落や学校,人物史,お店の移り変わりなど,忘れ去られそうなことを記録にとどめていきたいです。

安芸市立安芸中学校と安芸市立清水ヶ丘中学校が,3月いっぱいで閉校した。

これら2つの中学校は,安芸市内に残る最後2校の中学校だった。

そして新たに,「安芸市立安芸中学校」が誕生した。

 

 

閉校した両校の生徒数が最多だったのは,安芸中学校では昭和36年の926人,清水ヶ丘中学校では昭和40年の690人。逆に,もっとも少なかったのは,安芸中学校では令和4年の94人,清水ヶ丘中学校では令和5年の157人。この少なさには驚きを隠せない ガーン

もっともこうした減少は,単に少子化のせいだけではなく,平成13年に安芸高等学校の敷地内に開校した,いわゆる「県中」に子供が分配されていったことも影響しているだろう。

 

ところで,『安芸市立安芸中学校:HISTORY』を見ると,なんとも興味深い記述がある。

それは,今の元気館のところにあった昔の校舎(フル中)から,昭和51年の夏に引っ越しする時の思い出話。まずはその20頁。教育長の藤田剛志氏の回想。

 

「当時中学3年生であった私は残暑の厳しい中,級友と共に旧校舎(現在の元気館)から机,椅子を新校舎に運んだことを鮮明に覚えています」とある。

 

次に23頁。安芸中学校地域コーディネーターの谷岡泰男氏の回想。

 

「…遠い昔の思い出になりましたが私は昭和51年度…(中略)…2学期が始まる前,全校生徒が自分の椅子と机を自ら徒歩で運び込み,新築で真っ白ぴかぴかの現在の校舎で2学期をスタートしたのを懐かしく思い出します」とある。

 

これって,まさに以前,わがブログのコメント欄に寄せて頂いたコメントをばっちりと裏付ける証言じゃないですか! 複数の方が真っ先に思い出すほど,強烈な体験だったみたいである。

 

しかし考えてみると,ここ半世紀にも満たないうちに,安芸中学校は2度もその場所を移転したことになる。 …ということはですよ,この3月末まで安芸中だった,あのマルナカの北の校舎はこれからは,ズバリ,

 

シン・フル中!   アヒャヒャヘ (゚∀゚*)ノ   … アキノヒトニシカワカランダロ キョロキョロ

 

新しいがか古いがか,分からんちゃ(笑)。

まぁ,「サントリー・ニューオールド」みたいなもんやねぇ。

 

あ,ちなみに今回の閉校と移転の話は,決して安芸中学校に清水ヶ丘中学校が吸収されたのではないらしい。3月末まで存在した安芸中学校も,清水ヶ丘中学校も,どちらも閉校し,この世からなくなった。そして,まったく新たに一つの中学校を設置し,その名称を考えたところ,たまたま「安芸中学校」となりました,という話のようだ。従って,今回,新築された「安芸中学校」と,3月末まで存在した「安芸中学校」は別物と考えるのが妥当と思われる。

 

 

【参考文献】

・安芸市教育委員会(2024)『安芸市立安芸中学校:HISTORY(安芸市立安芸中学校閉校記念誌)』。

・安芸市教育委員会(2024)『安芸市立清水ヶ丘中学校:HISTORY(安芸市立清水ヶ丘中学校閉校記念誌)』。

・高知県立安芸中学校・高等学校のウェブサイト,

https://sites.google.com/g.kochinet.ed.jp/aki-jh/学校紹介/学校沿革?authuser=0 (令和6年4月10日確認)。