気まま本舗 -8ページ目

気まま本舗

★2013年、Contiki(コンチキ)日記、2015年5月、ようやく45日間の旅日記を書き終えました☆
 最高の旅の思い出、これから行く人へのアドバイスなどなど♪

★2012年、脳下垂体腫瘍経験者による闘病日記をUP。
 4年間で2度の手術体験記書いてます。

~パンドラの箱~

頭痛は体力と精神を疲弊させる。
呼吸が思うようにできなくなり、痛みからなのか、呼吸ができない苦しさからなのか、涙が止まらなくなる。頭痛薬なんて飲んだところでこれっぽっちも効かない。
何も考えられない。体が思うように動かない。
辛くて横になると、まるで見えなに何かに頭を押さえつけられているような感覚。
多分、痛みを抑えようとして、自分で無意識に頭を枕に押し付けているからなのだろう。
寝てしまいたくても、痛みが勝って眠ることもできない。
こうなると何も考えられないはずの私の思考は、私の意思を無視してひとり歩きを始める。
マイナスの感情を生み出し私の心を攻撃する。
体の中に感情が2つ。
考えたって仕方のないこと。普段考えないようにしていること。ドロドロの真っ黒な感情と、それに飲み込まれないように抵抗する感情。

――なんで私なの?なんで私だけなの?みんな休日を満喫してたり、恋人と楽しい時間を過ごしたりしてるじゃん。なんで私だけ頭痛に苦しまなきゃいけないの?仕事も上手くいかない。恋愛も上手くいかない。頭痛なんて見た目にわかるもんじゃないから誰にも理解されない。「休日引きこもってるなんてもったいない」とか言わないで。大抵起きた瞬間から頭が痛くて動くのが辛かったり、いつ痛くなってもおかしくないような状態だから、それが嫌で動けないんだよ。どれだけ痛いかなんてわからないクセに勝手なこと言わないで。痛みをそのまま他人に伝える方法があったらいいのに。この痛みに耐えられるか、実際に経験してみたらいい。健康体で毎日楽しそうに幸せそうにしている人たちが羨ましい。憎たらしい。――

真っ暗な視界の中で、周囲の幸せそうな知った顔が次々と浮かんでは黒い渦に飲み込まれていく。そんなこと考えたくないのに。人は人なのに。人を羨んだって、人を憎んだって一つもいいことないのわかってる。幸せそうな人だってきっと何か抱えているものはある。私よりもずっとずっと辛い思いをしている人がいることもわかってるのに。
考えたくない。考えちゃダメ。黒い感情に飲み込まれたくない。
ドロドロしたものが口から出そうで、吐きそうで。必死にうずくまって抑えこんで嗚咽に変わる。子供みたいにボロボロ涙をこぼしながら泣きじゃくる。
自分で自分の首を絞めてしまいたい。金槌か何かで頭を潰したい。この痛みから逃れられないのならいっそ死んでしまいたい。だって頭痛いと何もできない。生きてたって痛くて苦しい時間が増えるだけ。ドロドロの感情が育つだけ。そんな自分もう嫌だ。。。



これが一番頭痛の酷かった時の感情。
普段はあっけらかんとした性格だから、病気のことも冗談めかしてネタとして笑って他人に話したりしている私が頭痛と闘ってた時の記録。
酷い頭痛は体力疲労も相当激しいけど、痛みによる精神疲労の方が大きかったかな。。

【~入院祭活開始~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368109510.html

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~手術~
手術前日の21時以降飲食厳禁。
今回もこれを以って初めて「あぁ手術するんだな…」と実感してちょっと怖くなる。相変わらず自分のことと実感するのが遅い私。

当日は朝から研修医が一人、点滴の針を刺すべくやってきた。
…入らないと思いますが。。
すごくすごく慎重に腕を探られる。何度も何度も針を刺す位置を確かめ…刺したけど当然そのまま入るはずもなく。
途中で止まった針の向きを微妙に調整しながら進めようと…痛ーい!!(>д<、)
結局、眠ってからまた刺し直すからって、一時的に右の手の甲、薬指の下あたりに刺される。
手術室まで数分間と言えど不自由。。
手術室のある階へ降りていき、ここで初めてストレッチャーへ乗せられ、手術室へ運ばれる。
手術室は緑色で、前回入った部屋よりも広いように思えた。懐かしい理科室の匂いがした。
そしてやっぱり手術室入ってからは早い早い。
「血中酸素計る機械、人差し指に付けますねー」「心電図の吸盤付けますねー」「着てるもの取るので少し腰浮かせられますかー」「じゃぁ少し眠くなる薬入れていきますねー。少し腕がピリピリする感じがあるかもしれません。」「マスクするので深呼吸してくださーい」
…そんないっぺんに言われても!!
って思ってる間に「あ、腕痛いです。…よろしくお願いしまーす」
視界がグニャリと歪んで意識がなくなった。
(麻酔は間違いなく吸入のが気持ちいいですw)

「…手術終わりましたよー」
前回は段々覚醒したのだけれども、今回のそれは突然だった。なぜなら覚醒と同時に激しい頭痛に襲われたから。。
覚醒すると喉の奥に突っ込まれている人工呼吸器を抜かれる。それはかなり苦しいはずなのだが、それがどうでもいいくらいにとにかく痛い。
痛すぎて勝手に涙がボロボロ流れた。「痛い」と訴えたいのに痛すぎて声を出すこともできない。頭抱えたい。けどどこに何が繋がれているのかわからないから下手に動けない。息ができない。苦しい。パニック寸前。。
心電図の吸盤を取られていたのだろう。「胸くらい隠してあげてください」と女性の声が聞こえた。乳ポロリもどうでもいい。痛い。。誰か助けて。。

そんな状態でも頭の隅に冷静な奴はいるもので…目が醒めたのは手術室内で、足元側の壁に時計があることを眠る前に知っていたから時間を見ようと頑張る自分。(←時間が知りたい)
眠りから醒めたばかりというのと、頭の痛さで朦朧としているからと、よく見えなかったが2時?12時10分?確認できた。(正解は12時10分でした)
術後経過観察するため、一時的に手術室近くの病室っぽいところへ移される。
痛いのは変わらない。息ができないのも変わらない。間違いなく頭の中で2ヶ所痛い。この数カ月間、頭痛頻発の右側広範囲と、中心部左寄りの一部、今回腫瘍を取ると言っていた場所。だから「頭の中いじられたんだな…」というのは明確に分かった。
息も絶え絶えにやっと声を出し「いたい…あたま…」と訴えてみる。
隣にいた女医さんだか看護師さんが「先生、頭痛いです」と言ってくれた。すーごく軽く聞こえた。そして痛いのは私であって貴方ではない。。

結局そこでは何もなされないまま、数10分後、親の待つ病棟へと戻される。
息がほとんどできていないまま、痛みで涙ボロボロのまま戻りたくなかった。親に心配掛けたくなかった。が、容赦なく運ばれる。
「○○先生××で焼肉だって~」「マジで?天気悪いのによく行くなぁ~」的な先生たちの会話を聞きながら。。

病棟に戻るとまず母の顔が廊下で目に入った。「ただいま。大丈夫だよ。」と言いたいとこだが、全然大丈夫じゃないです。
病室へ入れられ、父母揃って現れる。心配そうな顔。
そりゃ手術室から戻った娘が苦しそうに息荒げてたら心配しますよね。。顔色も真っ青だったらしい。溢れる涙を母が拭いてくれた。
その様子を見た看護婦さんが「ご両親の顔見て少し安心しましたかー?」と問いかけてきた。
…違います。頭が痛くて涙が止まらないんです。
執刀医が現れ、「やっぱりあったよ腫瘍。どう?」というので頭が痛いと訴える。ここで初めて痛み止めを入れてもらえた。座薬でもなんでもいい。とにかく痛いのはもう嫌だ。
痛み止めを入れてもらい数分。やっと息ができるようになった。

痛み止めを入れてもらい、両親は執刀医のもとへ術後説明を聞きに席を外し、しばらく一人の時間。術後ちょうど一時間くらいかな。
当然動けないけど、ケータイとiPodを母親から受け取っていた私は、音楽を聞きつつ、会社メンバー、知人、友人に手術室から戻ったことをメール連絡。
痛み止め入ってからの私は、若干ダルいくらいでとても元気でした!
このあたりでようやく自分のどこに何が繋がれているのかを把握。
そして頭のそこら中に頭を固定したであろう証拠のタンコブと、左手数カ所、両足の甲10ヶ所程の点滴刺さらなかったんだろうな…という刺し跡を確認。
ベットの頭部分を15度ほど上げられた。前回は真っ平らから日に日に上げていっていたのだけれど、今回は術中に髄液漏がなかったから…なのかな?

両親が帰ったあと、やはり一晩は熱が出た。
普段熱を出さない私は、大した熱でもないのにグッタリで、更に右腕に巻き付けられた自動血圧計と、足に巻かれたエコノミー症候群防止用のこれまた大きな血圧計のようなマッサージ機とが気になったのもあり、あまり眠れなかった…ように思う。
アイスノンはすぐに温くなってしまい、何度も交換を求めた。

【~術後~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368155034.html


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~入院生活開始~
2012年4月26日、人生3度目の入院の日。
準備にゆっくりしすぎた挙句、電車遅延のため、指定よりも1時間も遅れて病院に到着。
入院手続きを終え、病棟のナースセンターへ向かうと2年前と全く同じ部屋、同じベットに案内された。何というデジャヴ。。

早速お昼ごはんが出てきて、夜まで(と言っても18時くらいか…)に入れ替わり立ち代り「○○担当の~です」と言って先生方が挨拶に来た。
薬剤部、内分泌科、病棟担当×2…
この日は何も検査はなかったが、翌日は負荷検査と手術前説明があるという。

それにしても病院というところは本当に独特な時間の流れる場所だなとつくづく思う。
入院1日未満ですでに飽き始めた私。。

夕ご飯を食べながら、別の課の某課長より頂いたアニメを見始めた。(データ量なんと26GB!)
結構なペースで見ているはずなのだが…時間の流れが止まっている感じ。夜が長い。長すぎる…。
しかも消灯してしまうと、光に弱い私の目は、彩度最低にしてもPC画面が眩しくて結構辛い。
更にすでにおしりが痛い。尾てい骨のあたり。常に痛いのだけど、硬いベットに寝るともう…先が思いやられる。。
とりあえず、早く朝になれ。


翌朝、慣れないベット、慣れない枕で寝たため全身筋肉痛と共に起床。
朝ごはんと同時に研修医の女医さんが採血セットを持って現れた。負荷検査の始まりだ。
とりあえず何もしない状態で採血。
…あれ?このテスト、きっかり2時間おきに採血するからって、前回は点滴の針みたく、一回挿したら一日挿しっぱなしにしていたはず…
なんでいつも通りの針で刺されて抜いてしまうのか…?採血の練習かな?まぁ採血は別に痛くないから何回刺されてもいいけどさ。針刺さったままだと邪魔だし、血が固まらないようにって入れられる生理食塩水の冷たさと若干の匂い?味?が苦手だし。
採血後、女医さんに針を抜いたところを抑えられながら、別の先生に皮下注射される。これが痛いんだ…(つ_<,)

さて、負荷検査の準備が終わったところでご飯~♪…と思ったら、気持ちが悪い。。
多分皮下注射された薬のせいだ。人によっては気持ち悪くなったりすると、2年前に説明された記憶がある。(今回何も説明がなかったのはどうかとも思うが…)
目もお腹も「ご飯食べたい!」って訴えてるのに、口に含むと噛めない(-_-;)
パン一口、牛乳一口、意地でバナナを一口…←バナナ久々過ぎて、どうしても食べたかった(笑)
結局ほぼほぼ残した。

2時間後、再び女医さんともう一人の先生が採血に現れた。…やっぱり針を挿しっぱなしにされた。しかも腕は血管が出ないからと関節のところに…曲げられないじゃーーん!!
で、針刺したのはいいんだけど、血が出そう…あぁ…玉になって…垂れた!止まらない!
ドクドクと生温かい血が腕を伝って肘の方へ回ってあっという間に血溜まりが…あーぁ。( ̄д ̄;)
女医さん、焦って刺さったままの針から手を離す。すぐさま横からもう一人の先生が「離さない」と言って思いっきり点滴の針刺さってるところを圧迫。でも止まらないw
そしていくら点滴の針柔らかいからって、刺さってるところ圧迫されたら痛いです。あと、血をこぼすのは100歩譲って許すけど、お願いだから服に血ぃ付けないでよね?

午後になり、眼科で視野検査を受ける。
これは視神経の近辺をいじるため、手術前と手術後で見え方が変わるかもしれないってことでの検査。
この検査、とっても苦手。。
座った状態、正面を向いたまま白い半円状のプラネタリウムみたいなヤツの中に顔を突っ込んで、真ん中に空いた穴から目を離さないようにし、小さな光が視界に入ったらボタンを押すという検査。片目@15分間くらい。
光はだんだん小さく薄くなり、ランダムに位置を変え動いている。
これがかなり集中力が必要で、うっかりすると動く光を目で捉えて追ってしまいそうになるし、とにかく疲れるんだ…。
右目はなんとかゲーム感覚でクリアしたものの、左目半分寝てたw
多分、幻覚が見えて何回か見えてない光にボタンを押していたよ。
結果は問題なし。極めて正常な視野範囲でした。

さて、夕方になり、母と共に執刀医から手術の説明を受ける。
今回の手術は「間違いなく良くなります」とは言えないこと。開けて見てみた結果、何もできずに終わる可能性もあると言うこと。(今回は腫瘍がはっきりあるという確証がないため)
手術はホルモンを司ってるところをいじるわけで、更に前回と今回、2度の手術で全くいじっていない正常な部分が半分以下となるため、術後、ホルモンを調整するための投薬が一生必要になるかもしれないということ。
髄液漏の可能性、尿崩症の可能性、頭をいじるわけだから100%安全とは言えないということ…等々。
前回同様、覚悟を決めてしまっている私はもうほとんど聞いちゃいない。
それよりも50インチ以上のディスプレイが2枚に46インチほどのテレビが1枚、Win PCが2台にMacが1台…先生の部屋のハード環境が気になって気になって仕方なかった私。完全に職業病w
ディスプレイ有効活用のためにもう一個システム入れませんか(`・∀・)? ←


【~手術~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368111837.html


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待ってくれていた人がいるかどうかはわかりませんが、手術のその後、追加いたします。
…というのも、追加する出来事があったからなのですが^^;

最初(2年前)から読む。
【脳下垂体腫瘍体験記 ~手術を決意するまで~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798132028.html


~手術から丸2年~
さてさて2010年4月に下垂体腫瘍を摘出して丸2年が経とうとしていた。
2011年 年末頃から再び我慢出来ないほどの頭痛に頻繁に悩まされるようになった。
2012年3月まで4ヶ月ほど、頭の痛くない日がないほどの頻度。ロキソニンの減りがとんでもないことに…
そもそもロキソニンなんか効かない状態になっていた。
脳外の先生に相談し、色々な頭痛薬を試した。

・イミグラン:効果確認できず。1、2度飲んだきり。
・クリアミン:これは合わなかった。。血管の中を薬が回っているのが明確にわかった。
なんかミントみたいなスーっとした感覚がある薬。
同時にクレヨンみたいな匂いがずーーーっと続いて吐きそうになった。むしろ吐きたかった。
もう2度と飲まない。
・ボルタレン:処方されて最初の頃はよく効いた。さすが痛み止めの中でも最強と言われるだけある。
が、次第にこれすら効かなくなった。

結局ロキソニンとボルタレンを使い分けて痛みに耐える毎日。完全に仕事に支障をきたすレベル。

2012年2月の外来で、前回腫瘍を取った所とは別のところに薄い影のようなものがあり、これが2つ目の腫瘍かもしれないと言われる。ただし「腫瘍ですとは断言できないレベル」とのこと。
「腫瘍が2つある人は珍しい。僕もあなたを含めて2人しか知らない」とも言われた。
ホルモンの数値が変わらない状態のため、このまま投薬治療で様子を見るか、手術が辛くなかったのであれば賭けでもう一度手術して腫瘍っぽいものを見に行ってみるか。
「次回5月の外来までに考えてきて」と言い渡される。

会社に入社して丸3年。
実はそろそろ辞めて、旅行なり留学なり海外へ行きたいと思っていた私。夏までには実現させたかった。
漠然と人生のリミットの一つを30歳としている自分がいて(30までには子供が欲しくて)、自分のやりたいことを金銭面含めて後先考えずにできるのは26歳~28歳が上限だと思っていたからだ。28歳を過ぎたら、性格的に将来のことを考えないでお金を使うことができないと思うから。
そんな気持ちがあったから、正直相当悩んだ。
手術をするなら福利厚生のいい今の会社に居続けるべき。でも次に辞められるタイミングはいつになるだろう…最短でも1年後かな…。
まだ腫瘍だと断定されたわけじゃないし、何より今回の腫瘍の位置は頭痛の頻発する場所じゃないのが明確。このまま様子見でいっそ会社辞めてしまおうか。
…でも頭痛が酷いし、辞めたところでまともに動くことができないだろうな。それに後々手術することになるんだったら、少しでも若いうちの方が回復力もある。手術するなら少なからず投薬が必要になるし、もし子供が欲しいと思った時に投薬が重なったら…
色々悩んで悩んで、めったに落ち込まない私がすごい落ち込んで泣いて。3日くらい悩んだかな?
結局、今のまま投薬を続けても効果がないのだったら、何か次の手を考えなくてはならない。だったら福利厚生手厚いし、出産の可能性もまだない今の段階で手術するのがベストという答えを自分の中ではじき出した。
次の予約は5月だったけど、その予約日には26歳になる私。30歳までのカウントダウンは止まらない。
手術を決めたからには一刻も早く手術をしてもらいたいと思い、2月末に予約を変更。主治医に相談し、最短で手術をしてもらうことにした。
私の希望はGW前だったのだけれど、5月いっぱいはもう予約が埋まってしまっているとのことで、最短6月。可能性は少ないけど、キャンセルが出ればGW前も可能ということで、一応希望を出しておいた。

6月に手術を控え、4月に入ろうという頃、病院から電話があり「5月1日に手術可能になりました」とのこと!
私としては願ったり叶ったり。だけど会社には手術は6月と言ってあったうえ、手術まで1ヶ月しかない。いきなり休んで大丈夫だろうか。。。翌日相談して意外とあっさりOKをもらった。「別に辞めるわけじゃないんだから、早いに越したことはないんじゃない?」ってさ^^v

【~入院生活開始】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368109510.html




下記「パンドラの箱~」は頭痛が酷かった時の感情の変化を記録しておいたものです。
とても不快な気分になるかもしれません。私を知る人は私のことが嫌いになるかもしれません。
それも覚悟で、痛くない時には決して現れない感情・感覚だからこそ、私がどれほどの頭痛と闘っていたのかを残しておきたいと思った。

覚悟のある方のみ先へ読み進めてください。

【~パンドラの箱~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368151592.html


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~退院 その後~
再び入れられた尿カテからは3日ほどで解放され、ほぼ同時に、退院の話をされた。
「誰か迎えに来てもらえますか?」と。
両親は群馬に帰ってしまっているし、平日だし。タクシーで帰る気満々だった私。そして、どうしても誕生日の5月16日までには退院したかった私。
ちょうど、彼氏さんが13日に彼のお父さんと野球を見に行くために有休を取ったと、しかも野球は夜だというから、「13日だったら迎えに来てもらえる人がいます。それ以外じゃ迎えに来られる人いないので、13日に退院させてください!」と交渉。
渋々13日に退院させてもらえることになりました(笑)

退院後の生活では、鼻にはまだしばらく綿球を入れておくこと、しばらく5㎏以上の物は持たないこと、鼻をかんじゃダメだし、トイレも力んじゃダメという注意をされた。術後の経過は良好だけど、傷口が乾燥するのはあまりよろしくなく、傷も完全にふさがったわけではないので、力んだりすると開いてしまう恐れがあるから。
ってことで下剤をもらいました(笑)もともと便秘ではないので一度も使わなかったけど。

…でも5㎏って…2ℓのペットボトル2本+αでアウトかと思うと、意外と生活苦しいんじゃないか?買い物行けないじゃないかと…。
…まぁ、要するに「私ぃ、重たいもの持てないんでぇ~。テヘッ」みたいなキャラで過ごせばオールOKってことで(笑)

AM10時くらいに迎えに来てもらい、入院の会計を済ませて3週間ぶりの自分の部屋へ。
(治療費は東京都の助成が受けられるけど、申請が通った証明である「医療券」というものがまだ発行されていなかったので、この時は一時的に請求額を支払い、後日東京都へ申請をして、返金してもらいます。)
まったりした後、野球の試合を見に行く彼にくっついて、東京ドームへ連れて行ってもらい、彼と別れて普通にお買いもの(笑)
2時間くらいフラフラとウィンドウショッピングを楽しみ、電車で帰宅。

退院から3日後の16日、誕生日。お昼過ぎから出かけて、プレゼント選びに、彼がクタクタになるまで連れまわした病み上がりの私(笑)
夜には1杯だけど、お酒も飲んじゃいました♪

17日、人事部から電話が入り、「いつ復帰しますか?」との確認。実際遊びに行ってるくらいだから自分的にはもう平気だったけど、やっぱり仕事となると負担が違うしってことで、「…水曜日に外来なので、そこで許可が下りれば来週から行きまーす」と返答。
…うちは営業の年度末が6月だから、とりあえず6月になる前には戻らなきゃと思っていた。
医者にしてみれば1か月くらいは自宅療養して欲しかったらしい。…私もできればもう少し休みたかったけど、居場所がなくなるんじゃないかってちょっと怖かったので、「来週から職場復帰します!」と医者に宣言。
後日もらった診断書には「5月13日退院。1か月ほどの自宅療養を要する予定」と書かれていた(笑)

翌週から宣言通り仕事復帰。特に何事もなく、平穏に(?)戻ることができました。
職場の人、お客さんに「脳腫瘍でした」って言うとビックリされ、「頭…切ったの!?」とよく言われます。まぁ、コミュニケーションのネタとして笑って話しますけど。「いえ、鼻から掻き出す感じで…医学の進歩ってすごいですよねー」と。まるで他人事(笑)
だって手術したっていう実感ないし。

…唯一辛かったのは、におい。
鼻の管抜いて数日後くらいから、ずーっと鼻の奥が生臭くて…最初は傷口が膿んでるんじゃないかと思った。
耳鼻科の先生に相談したら「傷口を塞ぐ為にゼラチン質のものを詰めてあって、それはかさぶたが剥がれるのと同じ感じで徐々に出てくるんだけど、人工的に蓄膿症みたいにしてるから仕方がない」とのことだった。
…それにしても、鼻の奥でずっと生臭いとか、気が狂いそうになります。どうにもできないし。
この臭いと完全にお別れするまでは数か月かかったな。。



…手術から約一年、今はもう何ともなかったかのように過ごしている。通院は、最初の1か月は毎週だったけど、今では3か月に1回くらい。血液検査でホルモンの様子をチェックしている。
生理不順もなく、あの気が狂うほどの頭痛からもだいぶ解放され、これで終わりかと思っていたのだけど…
先日、2011年2月3日の検診時に、「成長ホルモンが微妙に下がりきらない。腫瘍はほぼ全摘できたと思っていたんだけど…もしかしたらコレ、微妙に残ってるのかなぁ…で、これがホルモン出してるのかもなぁ…」と先生お悩み気味。
異常値ではないにしろ、術後、少しずつ、値が増えているという。
術後、造影剤を使ったMRIは1度受けているが、その画像では腫瘍の成長は確認できない。
次回のMRIは2011年5月。
取りあえず、カバサールという薬を週1回服用して、1か月後に再び採血をすることになった。
一生この薬と付き合うようになるか、再度手術が必要になるのかはまだこれから。。

とは言われても、相変わらず他人事にしか思えない私(笑)…なるようになる!


…ここまでお読みいただきありがとうございます。
今後どうなるかまだ分かりませんが、なにかあればまた追記していこうと思います。

あ、どうでもいいことですが、この体験記に出てくる彼とはお別れ済みです(笑)
手術を決意するのに勇気をくれ、不安を一緒に抱えてくれた素敵な人でした。
彼にはとっても感謝しています。いい思い出でしたということで(笑)


※※この記事の2年後を追加しました!※※
【~手術から丸2年】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-11368092026.html


~手術後3~

GW明け5月6日。鼻に入っている傷口を抑えるための水風船みたいな管を取ってもらえることに。耳鼻科へ行き、管の水を抜かれ、管を抜かれる。鼻の奥にツンとしたような違和感。「じゃぁ中のガーゼも抜きましょうね。ちょっと上向いて、顔のところでこの器持っててねー。」と言われビックリ。
え?ガーゼ入ってんの!?と思うのと同時に、ズルズルと血まみれのガーゼが鼻から出てきた。…結構大きい。
「もう一枚!」…えぇ!!?まだ入ってるの!?…鼻の中の収納力恐るべし。。
ガーゼを抜かれて、やっと鼻の詰まった感じがなくなった。でもまだ嗅覚は戻らない。

管は抜けたけど、鼻の中が乾いてしまうのはよくないとのことで、綿球を常に入れておくように言われた。

さて、鼻管からも解放され、残すは腕に残されたままの点滴の針と、尿カテのみ。
点滴はもうしてなかったけど、状況によってはまた薬を入れるかもしれないとのことで、針の刺さりにくい私は、術後一度も抜かれずに放置されていた。
が、「痛くなってきた」と言ったらあっさり抜いてくれた。(笑)

翌日、集中治療室から一般病室に戻された。
お母さんもGW終了と同時に群馬へ帰り、世間様は平日。…誰もお見舞いに来てくれなくなり、暇な数日。
ゲームをしたり、本を読んだり、お昼寝したり…とにかく一日が長くて退屈だった。…今となってはとっても贅沢な悩みですが。

尿カテはまだ入っていたけど、お風呂も許可してもらい、1週間ぶりにお風呂に入ることもできた。
…それにしても1週間ぶりのお風呂、髪の毛の抜け方ハンパない!!
ホラー映画かと思うほどゴッソリ抜けるわ抜けるわ…シャンプー何回やっても泡立ってくれないし。。
お風呂の持ち時間は1人30分なんだけど、何回もシャンプーしたりしてたから、ギリギリでした。

確か一般病室に戻って2日目くらいに、大分尿量も落ち着いてきたからと、尿カテを抜いてもらえた。
でも尿量はチェックしないといけないから、トイレへ行くたび尿ハットなるもので採尿し、指定の入れ物へ溜めていった。

尿カテ抜けて翌日、やたらとトイレが近くて、30分に一度の間隔…なんと日に20回もトイレへ行っていた。しかも毎回量が少ないというわけでもなく、完全に尿量が異常なことに。。
もしや尿崩症…!?
さらにその日の夜、若干の血と思しきものが混ざった尿が出た。その時点で看護婦さんに相談。
…数分後、再び尿カテを入れられる羽目に(泣)
「ごめんねー。嫌だよねー。先生に患者さん嫌がってます!!って言ってみたんだけど、ダメだった。」と、看護婦さん。
この病気になって、手術とか決まっても落ち込まなかった私。この出来事で初めて酷く落ち込みました。
でも30分置きにトイレ行きたくなってたので、尿カテされて、やっと眠れる…とも思った。

翌日の尿量は、どういうわけか正常。前日のあれはいったいなんだったのだろう。
でも「水分取りすぎないように!」と、釘を刺された。…だって暇だとつい飲み物に手が出ちゃうんですもの。別に前日に水分取りすぎてたわけでもないし…


【~退院 その後~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798144400.html


さて、この辺から、術後数か月経って書いたものになります。
記憶がかなり曖昧なのはゆるしてね^^;





~手術後2~
長い夜が明けて、熱も大分下がった。
朝一でストレッチャーに乗せられ、CTを撮りにつれて行かれた。…天井しか見えないって、酔いそうになります。

病室に戻ったと思ったら、早速朝ごはんが普通に出てきた(笑)ご飯はおかゆだったけど。
完全に寝たままでご飯食べるのって結構キツイ。看護士さんもずっと付いていられるほど暇じゃないし。
でも食欲はあったので、比較的食べやすい大学芋を胸の上に置いてもらい完食。それからヨーグルト。他は手伝いがあればまだしも、自分だけではどうにもできなかったので残した。
あとから気づいたけど、寝たきり生活は、手鏡があると便利です。
ベッド周りの自分で手の届く範囲でも、見えないと手を伸ばせないので、鏡で何があるか確認するの。

この朝食から、一日の水分摂取量をチェックするように言われた。
点滴はしてるけど、丸一日、口から水分を摂取していない私は喉がカラカラで、水分摂取の許可がおりたと同時にお茶ガブ飲み(笑)
さらにお母さんが来たのをいいことに、水とウィダーinゼリー的なものを買いに行かせ、看護婦さんに「ウィダーは飲み物に入るんですか?」と質問。困っていたが、入れなくていいけど、摂取しすぎないようにと釘を刺された。

朝ごはんの時には気づかなかったけど、何度か食べ物・飲み物を口にするうちに、味覚が麻痺していることに気づいた。味覚というか嗅覚かな。「甘い・しょっぱい」は感じるけど、香りが全くしない。
ゼリーとか、ジュースとか、何を食べても飲んでも、「甘い」しか感じなかった。
お茶を飲んでも水を飲んでも同じ。
鼻をいじっているから仕方ないし、徐々に戻るとも言われていたが、1週間くらい味覚が戻らなかったので、結構心配だった。

味覚が無いのもあり、動かないのもあり、最初、ご飯はあまり食べられなかった。…元々食べない方だし。。お粥が苦手で、食べられなかったのもあるけど。
入院前に先輩が選別として持たせてくれたちょっと高級そうなふりかけで誤魔化し誤魔化し食べていたら、そのうちお粥にふりかけがやみつきになって毎食ペロッと平らげられるようになっていた。
むしろ手術前より食欲旺盛!(笑)

寝たきりの食事もキツいけど、寝たきりの歯磨きはもっとキツい。
私は入院したその日に、「術後は寝たきりで歯磨きとかうがいをしてもらうことになるから練習しておいてね」と言われ、何度かチャレンジしてみたけど、できなくて諦めていた。
やらなければならない状態になれば何とかなるだろうと思って…
実際何とか出来たのだけど、失敗もした。
首だけ横に向けて器に吐き出すのを、ちょっと勢いつけて「ぶへっ」ってやったら見事にこぼれた。そして首を伝って酷いことに…
どこに器があるか見えないから吐き出すの難しい。。
うがいも、鼻に詰め物されてるから鼻呼吸できないので、口に水を含んでしまうと息ができない。結構命がけです。

術後生活はGWだったので、毎日たくさんの人がお見舞いに来てくれて、退屈しませんでした。兄弟・親戚・友達・先輩・彼氏さん…お母さんは毎日私の部屋から病院まで通ってくれました。感謝感謝。

GW最終日にはようやくベッドから立たせて、歩かせてもらえた。
午前中、看護婦さんがきて、あっさり「じゃあゆっくり立ってみましょうかー」と。
数日歩いていなかった私の足。どれほど筋力が落ちて、フラフラするかと思いきや、意外と普通に立って歩ける私の足。(笑)
看護婦さんもびっくりしてたよ。その後、院内をぐるりと一周。全然平気。走ってもいいくらい元気でした。(もちろん走りませんけど)
ってことで、ようやくフロア内なら歩いてもいいという許可を得られ、速攻で手を洗いました。
というのも、ベッド上ではもちろん体は拭いてもらえるし、手もウエットティッシュとかで拭いてたけど、どうしても常にベトベトしてる感じがして、すぐ隣に水道があるのに洗えないもどかしさと言ったら…
石鹸つけてゴシゴシ洗い、やっとスッキリ。…さすがにお風呂はまだ許してもらえなかったけど。洗面が自分でできるようになったのはかなり大きい。


【~手術後3~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798143487.html


~手術後~
「…ん、…かさん。○○さん、わかりますかー?わかったら手を握ってください」
まどろんだ意識の底でそんな声がした。無視して寝たかった。気分は完全に「あと5分…」のような状態。
無意識に「反応しなきゃ」と思い、手を握り返した。…次の瞬間、「はい。大丈夫ですねー。じゃあ管抜きますねー」の言葉と同時に、喉の奥まで刺さっていた管(結構太い…)を容赦なく引き抜かれた。
「っぐ…っっ…!!!?」…苦しかったー(泣)お陰で一気に覚醒したよ。
看護婦さんたちの会話から、その時の時刻を知ることに成功。時間がわからないことほど気が狂いそうになることはない。確か13時過ぎくらいだった。

「手術終わりましたよー。」
で、私が最初に発した言葉「……さむい…」(笑)
いや、ホントに寒くてね。布団かかってたんだけど、さらにもう一枚掛けてくれて、でもまだ寒くて…

覚醒してから術後待機室みたいなところで数分(実際はどのくらいいたのかわからない)、病室担当の女医さんが来て、「手術無事終わりましたよ。少し髄液出ましたけど、人口の糊で塞ぎましたので、お腹も切らなくて済みました。」と言ってくれた。
…そういえばお腹に違和感ないや。ありがたい。

その後、ストレッチャーで病室へ。
麻酔からの覚醒は、目が醒めてもまたすぐに眠ってしまうような感じと聞いていたが、私はバッチリ目が醒めていた。
病室に着き、しばらくして両親が来た。(どうもこの時、術後説明を受けていたらしい。取った腫瘍も見たらしい。…私も見たかったのに!!何で私には見せてくれなかったの (泣)
手を軽くあげ、「ただいまー」と言ってみた(笑)

ビックリしたのは、痛みが全くないってこと。
鼻の奥に突付かれている様な違和感はあるものの、痛くないの。
唯一痛かったのは喉。これは手術中、管を入れられていたからで、風邪で喉が痛いのと似ている。

何時だったか覚えていないが、戻ってきて割とすぐだったと思う。
看護婦さんが「○○さん、△浦さんという方がお見舞いにいらっしゃってますが…」と、来訪者を教えてくれた。彼氏さんだ。…だが看護婦さん、惜しい!
 私「……えーと…△山さんですね」
 看護婦さん「あ!すみません。…どうされますか?会いますか?」
連れてきてもらった。彼氏、両親、初対面(笑)
が、母が私のベッドサイドをどいてくれず、彼氏さんは私の足元へ…
 私「お母さん……邪魔!」
 母「邪魔って…何よー。ひどっ。。」
彼氏さんをベットサイドへ呼び寄せ、術後間もない私、寝たまま彼を紹介(笑)
こんなことできちゃうくらい元気でした。
術後の痛みがハンパないという、他人の体験記を読んでいたから、術後が怖くて仕方なかったのだけれど、いい意味で拍子抜けでした。

手術当日のその夜は、食べ物はもちろん、飲み物もNG。点滴してるとはいえ、飲み物飲めないのは結構辛い。
さらに術後は、髄液が圧によって漏れ出ないように、寝た状態から数日を掛けて体勢を起こしていきます。…これが辛いよね。

手術直後、超元気だった私は、夜になって熱を出しました。
熱による関節痛で、腰が本気で折れるくらい痛くて、でも起きられないし、寝返りもできないし、寝られなかった。
寒くてアイスノンを拒否し、座薬も拒否し耐えていたけど、いよいよ耐えられなくなって、意を決して看護婦さんに座薬をお願いしたら、今度はもう少し様子を見ましょうとか言われ…さっき入れようかって聞いてきたのはそっちじゃないか!!(涙)
お陰で一睡もできなかった。
時間経つのが遅いこと遅いこと。。術後、腕時計を付けてもらっていてホントによかったと思った。時間の感覚がなきゃ、朝まで耐えられなかったよ。
そう、時計がないといられない私は、術後すぐに、わざわざ繋がれていた機械を一度外してもらってまで時計をつけました(ベルト式ではなかったため)。

ながーいながーい一夜。ナースコールをいつ落とすんじゃないかって凄く不安だった。起き上がれないから、落としたら看護婦さん呼ぶ術がない。


【~手術後2~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798142693.html


~4月30日 手術~
前日の午後に、両親共々手術前の説明を受け、再度手術リスクの確認。何種類か書類にサインさせられた。色々と詳しく説明してくれたが、もう覚悟を決めていたので右から左状態(笑)
あ、でも唯一「手術中、髄膜が破けてしまった場合、穴をふさぐためにお腹の脂肪を取って使うことがあります。盲腸の位置に数センチ切れ目を入れるんだけど、傷跡は下着の中に隠れて目立たないから。」と言うところだけ初耳だった。
理解はしたけど、それは勘弁してくれと思った。
体に傷跡が残るのはイヤ。この手術をサラッと決意したのは傷口が鼻の中で、見た目にはわからないからだったし。。

説明が終わった後、談話室にて両親としばし談笑。…このタイミングで彼氏がいることを暴露(笑)
だって術後お見舞いに来たらイヤでも遭遇しちゃうわけですしね。。。
しかも彼氏さんは10コも年上と言うことを恐る恐る暴露。今までそういう話をしたことなかったし、もう、ホント驚かせっぱなしでごめんなさい(笑)
お父さん、どこか寂しそうでした。

この日は21時以降飲み食い厳禁。朝起きた時も水とか飲んじゃダメなんだって。。干からびちゃう。。
ずっと他人事のように考えたけど、手術するんだなぁとやっと実感した。 ←遅い
緊張で眠れないかとも思ったけど、入院して数日、ここ一番の熟睡ぶり。グッッッスリ寝ました。(笑)

30日の朝は6時頃起床。洗面を済ませ、手術着(中はパンツのみ。大きめだし、超心もとない感じ!)に着替えたところへ看護婦さんやら研修医が入れ替わり立ち代り…麻酔注入のための点滴用の針を刺そうと必死。。
と言うのも私の腕、血管が出にくい。さらに血管が硬いとか言われ…ブスブスと何箇所も刺されまくり!!
痛い!特に親指の付け根!!(泣)

そんなことやってるうちに、手術室入室予定時間は来てしまい…
「手術室で麻酔科の先生に刺してもらって」と荷物の整理もなぁなぁのまま、バタバタと手術室へ。
あ、よくテレビで見るようなストレッチャーで、とかではないです。普通に徒歩。
エレベーター前で両親に「じゃぁ行ってくるわー」と言い残し、手術室へ同い年の看護士さん(♂)と降りていった。

手術室のある階へつくと、どうやら左右両側に手術室があるようで、内線で「今日手術予定の患者さんお連れしました」と看護士さん。
…何故か電話を切り、若干慌て出す。「…確かこっちだから大丈夫!」。…何が!?
結局良く分からないまま、手術室前の手術準備室(とはいっても2つの自動ドアに挟まれた廊下の一角)へ通された。
ストレッチャーがあり、階段みたいな踏み台が用意されていて、「じゃぁストレッチャーに乗ってください」と。
手術室に引き渡すまでに時間が少しあり、何故か看護士さんが中学生の時腕を手術したんだけど…怖かったなぁという話を聞かされた。「何で手術前に聞き役に回らなきゃならないんだろう…。そして私のスリッパと、この後脱がされるであろうパンツはこの人が病室まで持って帰るんだろうか…そうだろうな…」と考えながら聞いていた(笑)
(手術室から戻る時にはT字帯という…要するにフンドシで帰ります)

手術室の人に引き渡され、ストレッチャーで手術室へ。天井しか見えてなかったけど、どうやら何室も手術室が並んでいるようだった。
そのうちの一室へ到着。…意外と狭い。ドラマとかで見るようなイメージとは全然違った…気がする。
入ったときにはほとんど人はいなかったのだが、あっという間にわらわら人が増えた。名前と、手術の名前を確認された。

麻酔科の先生が点滴の針を刺すためにトライ。…やっぱり入らない。さらに3箇所くらい刺された。痛い。。(泣)
そこで諦めたように先生。「痛いよねー。じゃぁ吸入で麻酔しましょう。点滴の針は眠ったあとで入れますね。」と。
…最初からそうして欲しかった!!単なる刺され損じゃないか!!(泣)

そこからはビックリする勢いで、「胸に心電図つけますねー」「指に××つけますねー」「手術着とりまーす」「下着取りますので腰を少し浮かせられますかー」「ちょっと寒いですよねー。すぐ暖めますからねー」etc…
あっという間に身包みはがされ、色んな機械に繋がれていきました。

準備が整うと、「じゃあ始めましょうか。麻酔マスクしますので、ちょっと匂いがありますが大きく深呼吸してください。」と言われ、シューシュー言うマスクを被せられ…
深呼吸を1回…なんともない。
2回…あ、なんかお酒飲んで酔う感じに似た、ふわふわする感じ?気持ちイイかも(笑)
次の深呼吸で意識なくなるなと自覚した。ので、「よろしくお願いしまーす」と言って、3回目の深呼吸。
ふかーい眠りへ落ちました。。。


【~手術後~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798141803.html


~2010年4月22日 入院~
入院当日は午前中に病院へ。尿検査用の採尿と、体重・身長測定。午後は眼科へ行って、視力検査と視野検査と、目薬を差して瞳を開いて?やたら光を当てられて目を覗き込まれた。眩しいけど我慢して光を見てねと。いや、ホントに眩しかった。。世界が白い光だけなの。。。ここは天国ですかと。
視野検査は特に問題なし。でも、光を当てて覗き込まれたほうで、将来、網膜はく離の恐れが少しあると言われた。この日の検査はこれでおしまい。

病室へ戻ると、外来で会った先生とは別の医師が2人別々に挨拶に来た。病棟での担当医だという。一人は若いイケメン。もう一人は美人女医。ちなみに外来での先生=手術担当医は素敵なおじ様。看護婦さんはやたら美人が多い。…後に母と「この病院、顔審査あるんじゃない?」という話をしたのは言うまでもない(笑)
難病指定の臨床調査個人票を美人女医に書いてもらいたいというと、ざっと目を通して一言。「これ、色々検査した結果を書くみたいなので、あなたはまだ検査していないし、ほとんど白紙になってしまうけどそれで申請通るの?申請書を出した日から助成対象ってことだけど、遡れないの?もう一度確認してみてください。」と言われた。

翌日23日は大学の創立記念日だか何だかで、病院がお休み。
ってことで外出して、一旦帰宅。市役所の福祉課に電話して、臨床調査個人票について聞いてみた。
私:「調査票の内容が私には当て嵌まらな過ぎて、ほとんど白紙になってしまうけど、そしたら申請通らないですよね?でも手術は決まっているので、助成の対象にはなると思うのですが、どうしたらいいでしょう?」
福:「でも提出してもらわないと手続きができませんので…」
私:「…だから、今の状態で提出しても申請通らないでしょう?通るなら出しますけどね。調査票の記入内容について確認したいんです。」
福:「我々は提出された書類を手配するだけですので内容について言われても困ります。」

  この内容を20分くらいグダグダ繰り返し。話が通じない…

私:「じゃあどこに聞けばいいんですか!?」
福:「東京都に直接聞いてください。」

  それですよ。私が欲しかった回答は!!いらん体力使わせてくれたね。電話口でキレてしまったではないですか。

結局東京都に確認すると、内容は全員同じ内容で統一しているので、人によって変えることはできないから、できる限りのことを記入して、書けない部分に関しては空白の部分に何故その検査を行なっていないのかなど、備考程度に書いてもらってください。とのことだった。

さっそく病院に戻って書類を書いてもらった。結局、郵送したのは26日。申請が通ったとしても4日分の入院費は自費か…。まぁ、手術に間に合ったのが幸いだった。そもそも助成制度に気づかなかったら全額自費だったわけだしね。


入院中の検査は、CT、レントゲン、それとホルモン負荷検査。負荷検査は術後、もしホルモン値が下がらなかった場合、薬で抑えることになるが、その薬がどれだけ効くのかってことを見るための検査らしかった。負荷検査は2種類。3日に分けて行なった。
最初の1日は何もしない状態で採血。…何回取ったかは覚えてない。。。
2日目は錠剤を飲み、午前中のうちに何回か採血。
3日目は起きぬけに、ガムシロ並みに激甘の三ツ矢サイダーみたいな液体を飲まされた。飲むのがキツイと言う人が多いらしいが、甘党の私は意外といけた(笑)で、2、4、8時間置きに採血。
4日目は皮下注射をして、2、4、8時間置きに採血。…皮下注射は筋肉注射と同じくらい痛い。
3日目、4日目の薬は、気持ち悪くなったり、胃がムカムカしたりするかもと言われたが、私は平気だった。採血はきっかり○時間ごと。ちなみに、針は点滴の針みたいに一度刺してしまって、検査が終わるまで数日刺しっぱなしだった。
検査の結果、私はどの検査も効果があったようだ。
術後、もしホルモン値が下がらなくても、薬で対処可能と言うことらしい。



【~4月30日 手術~】
http://ameblo.jp/rantoku/entry-10798141052.html


※申し訳ありませんがこのブログにコメントをいただいても、通常使用していないブログなので、返信などすることができないかと思われます。