江戸東京たてもの園のネタ。
本日は2つの豪邸をご紹介します。
まずは三井八郎右衛門邸から。
総領家である三井北家の当主は代々
八郎右衛門を名乗っていたそうです。
昭和27年に西麻布に建てられました。
ちょうどGHQの占領が終わる時期ですね。
客間と食堂部分は明治30年
蔵は明治7年に造られたものを移築。
物資が窮乏していた時代なので
財閥当主の邸も‟寄せ集め感”があります。
財閥解体の直後でもあるし・・・・🤔
蔵の屋根裏です。
古い建築物なれど贅沢な材料を
惜しげもなく使っています。
キッチンはこんな感じ。↑
当然、食事を作るのは女中さんですから
台所というより厨房といった趣です。
応接間は三井家だけに風格があります。
三井家の家伝によりますと
御先祖はあの藤原道長だといいます。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の
欠けたる事も 無しと思えば」の道長です。
三井は戦前まで羽振りが良い財閥でしたが
今では少々フェードアウト気味。
望月も欠け始めたのかな?
越後屋(三越百貨店)も
伊勢丹に取り込まれた感がある。🤔
とは言うものの
当時としては贅を尽くした内装。
画像をアップした2つの和室は
京都の油小路の三井邸から移されたもので
要所々々に桂離宮の意匠を施しているとか。
桂離宮ねぇ~・・・・・・😌
京都の著名な史跡は殆ど訪れていますが
桂離宮には出向いた事が無い。
一度は訪れてみたい史跡です!!
大磯の三井家別荘から移築された部屋。
茶室として利用されたようです。
‟さりげない高級感”が漂います。
大正9年に11代三井高公の夫人は
福井松平家から嫁いだそうです。
画像はその際の漆長持ち。
嫁ぎ先に出自の家格を主張する一品です。
嫁いだ後は単なる物入でしょうか?
勿体ない・・・・・・😱
庭園の枝垂れ桜が良い按配です。
さすが財閥当主の邸宅!
細かい部分にも贅を感じました。😃
変わってこちらは高橋是清邸。
是清は明治から昭和にかけて
首相や大蔵大臣等を歴任した政治家です。
日露戦争の資金調達の為に奔走したり
積極財政政策で有名です。
明治35年に赤坂に建設され
是清の死後は是清が眠る
多磨霊園の休憩所として利用されたそうです。
三井家の豪邸の後に見学した所為か
とてもシンプルな感じがします。
政治家故、多くの人々と面会出来るよう
邸の中はとても広々としています。😲
226事件で是清が暗殺された2階部分。
正に歴史が動いた空間です。
オヤジはしばし佇んでしまった。🤔
戦前は是清が属する政友会と民政党の
二大政党制が続きました。
ザックリ言わせていただきますと
積極財政が政友会で民政党は緊縮。
「歴史は繰り返す」という諺からすれば
現代では積極財政の清和会と
増税メガネの宏池会のバトルが
パーティー券の問題じゃないのかなぁ?
東○地○特○部や週○文○あたりは
「権力闘争の道具」に過ぎないというのが
オヤジの見立てです。🤔
最近、清和会と宏池会が解散して
どうなることかと思っていたら・・・・
しっかり‟隠れ宏池会”が残っていました。
漫画が好きな元首相が親分の派閥。
これから日本は大増税!?😱
(いつもの独断と偏見です)
故安倍首相が任命した黒田前日銀総裁は
‟平成の是清”を意識していたのかも?
やはり歴史は繰り返す・・・・・