最近、埼玉県が気になり始め
あれこれと調べていたら・・・・・
渋沢栄一と並んで畠山重忠という武将が
浮かび上がってきました。
両名共に深谷市の出身だといいます。
更に重忠の父、重能は幼少の木曽義仲を
源氏の内部抗争から救い出し
斎藤実盛に託したとも伝わります。
世の中狭いですねぇ~😲
という訳で、畠山重忠の居館と伝わる
嵐山町の菅谷館跡を訪れました。
前回ご紹介した稲荷塚古墳の目と鼻の先です。
双方とも旧鎌倉街道沿いの史跡になります。
「鎌倉殿の13人」をご覧になった方は
重忠の事は御存じでしょう。
(オヤジは見てませんけど)🐮
重忠が生まれたのは保元の乱の頃で
源平合戦で源氏側の武士として活躍し
有力御家人の地位を確保する訳ですが
最後は幕府内の権力抗争に敗れ
横浜の二俣川で打ち首となります。
オヤジは二俣川に3年ほど住んでました。
(どうでも良い事です😁)
そして訪れた菅谷館跡は
重忠の居城跡になります。
入口付近でいきなり土塁が出迎えてくれる。😲
掘りの跡も良く残っています。
館は北側の鎌倉街道と
南の都幾川に挟まれた正に交通の要衝。
重忠の館跡も様々な武将が拠点にして
その都度、整備されたようです。
本郭の出桝形土塁。↑
関東ローム層は土塁には打ってつけ。
水分を含むと滑り易くなります。
土塁と言えば大阪城も凌ぐと言われた
小田原城の惣構を思いだします。
言うまでもなくあそこも土塁です。🤔
ひろ~い、本丸!?
画像の左側にも土塁の跡が・・・・・
資料館に展示されていた重忠の人形。↑
鎧は現存するものとしては日本最古で
なんと!国宝に指定されているそうです。😲
更に保管されているのは東京の御岳山。
御嶽神社の宝物館に展示されているらしい。
へ~っ!! 全然知らなかったぞ!😲
御岳神社には何度も参拝しているのに!
次回山歩きで訪れたら見学したいなぁ。
折角博物館で資料を購入したので
重忠の事を勉強してみましょう。😁
この時代は関東管領や鎌倉公方で
ぐちゃぐちゃして本当に分かり辛い。😒
嵐山で暇つぶしに買ったプリン。
全然期待していなかったけれど
(嵐山町のみなさんスミマセン)
サッパリ味で意外と美味しかった!😁
「ダ埼玉」は決してダサくないぞ!
東松山周辺の散策はひとまずおしまい。