二子山古墳の次はご近所の愛宕山古墳。
ちなみに総社古墳群のネタは
築造された順番にアップしております。
こちらは7世紀前半の古墳です。
畿内でも前方後円墳が姿を消す頃で
愛宕山古墳は墳丘の長さ56mの方墳。
蘇我氏の全盛期なので
やはり中央の影響を受けているのか?
何度も言いますが、蘇我氏は方墳です。
石室は開口部を南に向けます。
入り口の天井石のデカい事!!😍
玄室の長さは7メートルを超えます。
石材は榛名山の角閃石安山岩で
一部加工が施されているそうです。
赤城山や榛名山の麓の古墳は
石室の殆どが安山岩。
そもそも地質が火山岩なので
大型の石室を作る石材の調達には
不自由しない環境だと言えます。
更にここは石棺が凄い!!😲
家形石棺は凝灰岩を刳り抜いたものです。
「刳り抜いた」とさりげなく書いていますが
これは本当に大変な事だと思います。
遣隋使が派遣された時代なので
高度な工作技術も伝来したのかなぁ?🤔
玄室から入り口方向を撮影。
やはり巨大な天井石に目が行ってしまう。😲
ところで
追葬が前提の横穴式石室の文化が
形を変えて残っている地域があります。
それは沖縄・・・・・・
リンクを貼っておきます。
(オヤジの独断です)
築造が7世紀第二四半期という事は
乙巳の変(いっしのへん)で
蘇我入鹿が殺された時期でもある。
説明版の「大和政権との関わり」
という部分が何故か意味深です。🤔
前方後円墳から方墳になっても
総社古墳群一族は勢力を持ち続けます。
これって、珍しい事かもしれない。
ひょっとして子孫の方がいらっしゃるのかも?