沖縄はサンゴの賜物(玉稜) | オヤジのおもちゃ箱

オヤジのおもちゃ箱

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

イメージ 1

首里城の後はお隣の玉稜(たまうどぅん)に向かいました。
最初は食べ物かと思いましたが、ここは王家のお墓なのです。
(‟うどん”じゃありません)
王家とは琉球王朝の第二尚家一族。

琉球王家には二つの流れがありまして
第一尚家と第二尚家に分かれます。
同じ「尚」の文字を使っていますが、全く違う一族だと思います。(恐らく)

そもそも冊封なので、中国の皇帝から名前を下賜され
琉球王は皆「尚家」という考えから名付けられたものなのでしょう。
ちなみに琉球王朝は‟第二”が400年に渡って統治していたようです。

イメージ 2

最初のアーチ型の門を潜り中に入ると外庭が広がります。
そして更に門を潜ると巨大な陵墓が・・・・・・

玉稜とは(wiki)によりますと
「玉陵は中室、東室、西室の3つの建築物に分かれる。中室は葬儀の後、当時の琉球の葬制に基づき遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨した。洗骨した後に遺骨を骨壺に収め、王及びその妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。建造物の外は外庭、中庭に石壁で仕切られ、中庭には珊瑚の破片が敷き詰められている。 」

上の画像の向かって左奥が西室で、その右手前が中室。
更に右側が東室になります。
玉稜も世界遺産兼国宝でもあります。

イメージ 3

(上の画像拡大可)
wikiによると風葬の長さは「数年」となっていますが
隣接する資料館には14年との説明文がありました。
同じ時期の本土の王族の墓は火葬だし、洗骨の風習なんて無い。
私見ですが、これは宗教感の違いだと思います。

風葬は骨を残す訳だから「再生」という事を考えているのでは?
骨を洗い清めて、家のような墓に改葬し保管する。
しかも保管場所は墓の地下ではなく地上なのです。
「亡くなった後も生前と同じ生活をして欲しい。」
そんな願いを込めているのでしょうね。

イメージ 4

こういう墓の事を破風墓というそうで
玉稜は沖縄県下で最大の破風墓です。
当然ですが、素材は琉球石灰岩。

イメージ 5

洗骨した骨は上の画像のような厨子に入れて保管します。
資料館には、厨子がずらっと並んだ東室の内部画像が展示してありました。
ところで風葬の習慣は、なにも琉球王家だけのものでは無いようです。

イメージ 6

上の画像は識名園近くの一般の霊園。
墓石では無くて三角屋根の破風型の墓地が並んでいます。
破風型の墓地は琉球王朝が消滅した後に一般にも普及し始めたらしい。
風葬の手順は王家と同じですが、期間は3年~7年と短かったそうです

イメージ 7

上の画像は沖縄県立博物館・美術館で展示されていた洗骨の様子。
現在は火葬が義務化されていますが、平成の初期まで風葬は行われていたようです。
海水で洗骨している様子を撮影したもので、洗うのは女性です。

沖縄では女性はシャーマン的な要素がある所為か
宗教的な儀礼には主導権を持っているようなところがあるのかなぁ~
青森県の恐山のイタコも女性ですからね。

本土では「白骨化した遺体を海水で洗う。」という行為は
「穢れ」の最たるものという感覚だと思いますが
沖縄では「洗骨によって故人が清められ、祖霊として永遠の命を授かる。」
と考えられているのかもしれません。

沖縄では破風型のお墓の前に親族が集まり
宴会をする事があるそうです。
確かにお墓の敷地もそのために広くなっていますよね。
故人と一緒に宴をする・・・・・・・
「生」と「死」の距離はかなり近い。

イメージ 8

玉稜の中庭はサンゴの破片が敷き詰められています。
邪気払いの意味があるそうです。(玉砂利と同じ考え)
そのサンゴの破片を手の平に置いてみると
なんだか人間の骨に思えてくるから不思議です。

沖縄の人々は、サンゴが生んだ琉球石灰岩から染み出た水で生きて
亡くなったらサンゴになり、祖霊として永遠の生命を得る・・・・・・

自然との共生とはこういう事なのか?