岩橋千塚古墳群(和歌山県):大日山35号墳 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

2月の上旬に

二週連続で和歌山市を散策しました。

まず訪れたのは岩橋(いわせ)千塚古墳群。

日本最大級の古墳群と見られており

なっ!なんと! 

850基に及ぶ古墳が密集しているとか。

とてつもない数です。叫び

紀ノ川左岸の丘陵地に古墳群が広がり

「和歌山県立紀伊風土記の丘」として整備されています。

上の画像は園内の資料館です。

外壁の緑色の石にご注目を!!

これは古墳群のエッセンスでもあり

紀伊国のベースでもあります。

(和歌山散策中に何度も登場します)

 

 

風土記の丘の案内図です。(↑)

おお~っ! これは凄い! 目

あまりの古墳の多さに笑いが出てしまう。

まずは黄色く印を付けた大日山35号墳へ向かいました。

 

 

35号墳は標高約140メートルの山頂に位置しており

遊歩道を歩いて20分位でしょうか?

途中、あちこちに古墳がわんわん(↑)

 

 

山頂に到着しました。

35号墳は長さ約86メートルの前方後円墳。

古墳群で最大の規模を誇ります。

しかも最もロケーションが良い。

つまり、麓からも視界に入り易いので

被葬者は古墳群の首長的存在だと思う。

近くに紀伊国一宮が鎮座する事から

「紀氏」一族のリーダーじゃないのかなぁ?

 

 

古墳の主軸は南北を貫き

直ぐ北側には紀ノ川が流れてます。

古墳の西側がその河口になる。

紀ノ川を遡れば

明日香やヤマト政権の拠点に繋がりますから

渡来人にとって、紀ノ川河口は倭国の玄関になる訳です。

 

 

前方部から北側の後円部を撮影した図(↑)

画像奥の丘陵地と古墳群の間を紀ノ川が流れる。

川を遡上する人々が35号墳を眺めると

この地を治める者を直ぐに確認出来ます。

 

 

築造は6世紀前半と考えられています。

横穴式の石室の古墳としては

初期段階のものでしょう。

石室内部が公開される時期もあるそうですが

今回は非公開だったので

説明版の画像(↑)を添えました。

岩橋千塚古墳群の最大の特徴は

この板丈の切り石で積み上げられた内壁と石梁です。

竪穴式の古墳は同様の石室を備えたものを見かけますが

横穴式となると、かなり珍しいと思う。

 

 

実は理由があって

紀ノ川の南岸は緑色片岩(↑)が分布しており

こちらの古墳群が広がる丘陵にも

あちこちに緑色片岩が露出しています。

古墳近くの石材を使用するとなれば

紀州青石(緑色片岩)が手っ取り早い。

 

ちなみに一枚目の画像に写る

資料館の外壁にも青石が使用されています。

紀ノ川南部の史跡では青石が“くどい程”利用されていました。

 

 

35号墳には造り出しが確認されており

東側が復元されています。(↑)

 

 

今回始めて見たのが飛翔する鳥の埴輪です。

馬や力士、兵士や巫女の埴輪は目にするけれど

鳥は初めてですねぇ~セキセイインコ青

 

 

紀ノ川は和歌山県と大阪府の県境を流れており

中央構造線に沿って走っています。

実はこの断層の北と南側では地質が異なる。

古墳群が位置する南は三波川変成帯と呼ばれ

緑色片岩の宝庫。

 

そんなエリアで史跡を作るとなれば

青石は必須の材料ですよね。

 

青石は石室だけではありません。

次回も古墳です。