古市古墳群を歩く:誉田御廟山古墳 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

古市古墳群散策の続き。

 

 

上の画像奥は誉田御廟山古墳の墳丘です。

古市古墳群最大の前方後円墳で

余りにもデカ過ぎて訳が分からない。

 

 

拝所も天皇陵は皆同じ。

相変わらす良く整備されています。

陵墓のサイズは墳丘長425メートル

前方部幅300メートルです。

大仙陵古墳に次いで国内二番目の規模を誇る。

ちなみに被葬者は八幡神として有名な応神天皇とされています。

作られたのは5世紀前半だと考えられているそうです。

 

 

前方部から後援円部を撮影しました。(↑)

古墳の外濠は畑として利用されています。

こういう画像をご覧頂くと、とてつもなく大きな古墳である事をご理解頂けるのでは?

 

 

ところで誉田御廟山古墳には不可解な部分を感じます。

上の画像は古墳の説明版を撮影したものですが

注目して頂きたいのは画像右側(東側)の内提が歪んでいる場所です。

実は築造前から存在していた小さな古墳(二ツ塚古墳)を

避けるようにして作られているのです。

ちなみに誉田御廟山古墳と二ツ塚古墳は

築造に30年から50年の隔たりがあるそうです。 

更に墳丘の前方部左側(西側)が変形している。

これは734年と1510年の地震によって墳丘の崩落が発生したらしい。

 

 

そもそも古墳群で最も巨大なのに

築造された地盤が不安定なのです。

上の画像は古市古墳群の標高を表したもの。

誉田御廟山古墳が台地と氾濫原に跨って作られている事が良く分かります。

どうやら墳丘の下に「生駒断層」という活断層が・・・・・

作り方に無理があったのかもしれませんねぇ~えー

 

二つの古墳の被葬者の間には

かなり深い関係があったとしか思えない。

同じ一族と考えるのが自然でしょうね。

 

真偽の程は定かではありませんが・・・・・・

 

 

墳丘には誉田八幡が隣接しています。

神社のお祭りには、神輿を墳丘に運ぶ儀式があるそうです。

宮内庁が治定してる天皇陵の中で

人々が立ち入ることが出来るのはここだけでしょう。

かなり珍しい。

 

 

ところで百舌鳥古市古墳群のような

巨大な前方後円墳が密集する地域は他にはありません。

当然そこには被葬者の経済的な基盤がある訳ですが

恐らく、馬と傭兵ではないでしょうか?

川で区切られた河岸段丘は馬の放牧には適しており

「武」の神様である八幡神(誉田八幡)が騎馬隊を彷彿とさせる。

飽くまでも勝手な推測です。

 

かなり歩いたので、足が棒になってきました。

 

もう少し頑張ります。