籠(こ)もよ み籠(こ)もち ふ串もよ
美ふ串もち この岳に 菜(な)摘ます子
家告(の)らせ 名のらさね
そらみつ 倭の国は おしなべて
我こそ居(を)れ しきなべて 我こそいませ
我こそば 告らめ 家をも名をも
これは万葉集の巻頭を飾る雄略天皇の歌。
現代語に訳しますれば・・・・・・
「かごよ、よいかごをもち、堀串(へら)よ、よい堀串をもって、この岳で若菜を摘んでいる乙女よ。名前をおっしゃい。この大和の国は、すべて私が所有している。いちめんに私が治めているのだ。この私からまず名乗ろう。家をも名をも」(現代語訳は桜井市の㏋から)
どうして万葉集の巻頭が雄略天皇こと、ワカタケル大王の歌なのか?
以前から気になっていましたので、ワカタケルの宮が存在したと言われる
初瀬朝倉宮跡を訪れてみました。(↑)
現在は黒崎白山神社の境内になっています。
歌の内容はワカタケル大王が
育ちの良さそうな若い女性に名前を尋ねているのですが
古代に於いて女性が名を明かす事は
現代の感覚では、求婚に応じたのと同じ意味合いだといいます。
俗な現代語訳をさせて頂きますと・・・・・・
「ちょっと、そこの若いねぇちゃん! ワシと付き合ってくれへんか?」てな感じでしょう。
それにしても、どうして天皇ともあろう方が女性を口説くのか?
恐らく“人間版五穀豊穣のおまじない”という意味合いだと思います。
「産めよ! 増やせよ!」って事だろうな。
更に、どうしてワカタケル大王なのか?
万葉集の編纂の中心人物は、言うまでも無く大伴家持。
大伴家は祖先が神話に登場するような名門です。
しかし、大伴や物部、或いは蘇我といった名門豪族は
ことごとく藤原に駆逐されてしまいます。
家持にすれば万葉集の巻頭で大伴一族の全盛時代であった
ワカタケル大王の治世を讃え、大伴家の栄光の歴史を後世に残したかったのだと思う。
しかし、応天門の変で伴義男(とものよしお)が失脚し
大伴家は歴史の表舞台から消え去ってしまう。
そんな事を考えながら、万葉集の巻末の歌を詠むと心に刺さるのですよ。
新(あらた)しき 年の初めの 初春の
今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
一族の没落の予兆を感じつつ、初春に一年の吉兆を祈る・・・・・・
ちょっと泣けてくるよなぁ~
この次は桜井市の古墳を訪れました。