葛城って、あの葛城か? | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

奈良県桜井市の大王墓を見学した後は、同じ奈良県の御所市に向かいました。

ここは有力古代豪族である葛城氏のホームグランド。

そうです!あのカツラギですよ!

 

葛城氏は藤原氏が歴史に登場する以前から、ヤマト政権で幅を利かせていた豪族です。

あの蘇我氏も、葛城一族の流れを汲むとも言われております。

今回訪れたのは葛城氏全盛期を築いた

葛城 襲津彦(かつらぎ の そつひこ)の墓との説がある宮山古墳です。

 

名前の通り、立派な神社が古墳に作られていました。

古墳に神社が作られているケースが多いのは

明治時代の「神仏分離」が原因ではないかと密かに思ってます。

日本の場合は御霊信仰の考え方から

有力者の鎮魂は神社でも寺院でも行われて来た筈ですが

神仏分離で寺は排除されます。

あの興福寺でさへ存続の瀬戸際に立たされた訳で、古墳に関係した寺の存続は、さぞかし厳しかった事でしょう。

従って神社が残った訳だな。

飽くまでも独断と偏見ですけどね。

 

鳥居を潜って階段を登ると後円部の頂上に出ます。

全長が240メートルに迫らんとする巨大な前方後円墳ですから

後円部の墳頂はかなり広い。

 

あれっ!? なにやら穴が空いていますねぇ~(↑)

 

穴の中にはなんと! 長持型石棺が置かれています!

家形の石棺を見る機会は何度かありましたが、長持型を見るの初めてかもしれない。

石材は兵庫の竜山石という凝灰岩で、盗掘の為に穴が開けられています。

盗掘って、随分根気のいる仕事なんですね。

 

穴の中にカメラを突っ込んで撮影しました。

内部はとても綺麗に加工されています。

赤っぽい色は“朱”の痕跡でしょうか?

「赤い色は人間の体内を表し、古墳の石室や石棺を朱に染めて、再生を表す。」

という考え方もあるようです。

 

天皇稜ではないけれど、葛城という天皇も一目を置く有力豪族に相応しい石棺ですね。

 

石室は竪穴式で、内部は結晶片岩が積み上げられていました。

築造されたのは5世紀の初め頃だとか。

この頃の石室内部は板丈の石を積み重ねたものが多い。

後に横穴式になると石が強大化します。

何度もブログで書いているように、磐座信仰の影響でしょうね。

 

 

石室は直ぐお隣にも設けられています。(↑)

天井石の一部が露出してました。

こちらの天井石は花崗岩です。

宮山古墳の場合、シャーマンと執政者双方の石室が作られたのかもしれません。

 

古墳から発見された埴輪が復元されていました。(↑)

とても変わった形をしていますねぇ~

弓矢の「矢」を格納する道具で、背負って使用するものを埴輪にしたそうです。

 

 

古墳を後にして、葛城氏ゆかりの神社に参拝しました。

上の画像は高天彦神社(たかまひこじんじゃ)。

 

祭神は、「天照大神」が最高神としてあがめられる前に

最高神とされていた「高皇産霊神」(たかみむすびのかみ)。

高皇産霊神は宇宙創造の神で、皇室の守り神とされた歴史があるそうです。

「葛城家は天皇家に勝るとも劣らない。」と遠回しに言いたいのか?

 

葛城山の麓に、高天原に最初に降り立ったと言われる神を祀るのが葛城氏。

やはり、古代豪族ではナンバーワンだろうなぁ~

神社の雰囲気も独特です。

 地元の方々のプライドが、“気の塊”になっているような印象を受けました。

 

 

神社の直ぐ傍に“蜘蛛窟”という塚があります。

立て看板はあるものの、あまり訪れる人は居ません。

これは土蜘蛛を埋めたとされる場所。

「土蜘蛛」とは日本の先住民族で、渡来した弥生人に駆逐された人々という事かな?

明らかに蔑称でしょうね。

 

日本社会に存在する「見えざる差別」は、ここらあたりに起源があると思う。

 

深い問題です。

 

巻向から始まった、この日の古墳探索はおしまい。