神聖王と執政王(前方後円墳の系列) | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

2月2日、近つ飛鳥博物館主催の古墳セミナーに出席しました。

大阪府立大学大学院教授の岸本直文先生の講演がメインでしたが

これが正に「目から鱗が落ちる」といった内容で、とても勉強になりました。

要約すれば「前方後円墳の被葬者は神聖王と執政王が並立する。」というもの。

例えば、西殿塚古墳の神聖王が台与だとすれば

執政王の古墳は桜井茶臼山古墳という事らしい。

 

昔から伝わる、「ヒメヒコ制」を考古学的に実証しようという試みなのでしょう。

考えてみれば日本は古来より、象徴としての天皇と執政者としての関白や摂政という具合に

「権威」と「権力」を分離する政治システムを採用してきた国ですから

古墳時代に同じような仕組みが存在したとしても違和感は無い。

 

というワケで、セミナーに出席したらまたまた前方後円墳を見学したくなりました。

先日、山辺の道を歩いたばかりですが、再度奈良県の桜井市に向かいます。

 

 

最初に訪れたのは巻向(まきむく)の前方後円墳の中で最も古い石塚古墳です。

上の画像は、その案内板に載っている全体図です。

時代的には2世紀とも言われており

古墳というより「弥生墳丘墓」というカテゴリーでしょうか?

「ヤマト国の前方後円墳は石塚古墳に始まる。」というのが岸本説。

 

上の画像は後円部の様子で、手前の窪地は周濠跡です。

全長約96メートルで、後円部径約64メートル。

全長:後円部の径:前方部=3:2:1という規則的な造形をしています。

明らかにスケールの発想が存在したという証。

ちなみに、墳丘は戦時中に軍が高射砲を設置した際に削られてしまい

かなり低くなっています。

墳丘の高さが8メートルにも及んだという説もあるそうです。

 

前方部から周濠を撮影したのが上の画像です。

周濠の幅が20メートル前後で、かなり“ゆったりとした”造りになっています。

注目すべきは、副葬品に吉備系の遺物が発見された事。

弧文円盤と言われるもので、岡山県の楯築弥生墳丘墓の遺物にも似たものがあります。

ヤマト国の連合政権に於いて、吉備の存在感は抜きん出ていた可能性はありそうだなぁ~

 

ちなみに石室は未調査のようで

想像以上に深い位置に被葬者が眠っている可能性が高いと思われます。

段築の痕跡はあるそうですが、葺石は無かったようです。

 

以前ここを訪れたのは7~8年前の事。

再び訪れると、前回とはひと味違った雰囲気を感じるものです。

 

 

巻向まで来たからには、箸墓古墳を訪れない訳にはいきません。

箸墓を訪れるのは2度目でしょうか。

3世紀半ばに築造されたといわれる、全長280メートルを超える前方後円墳です。

岸本先生がセミナーで「箸墓は間違いなく卑弥呼の墓です!」と

半ば冗談のように断言されていたのが印象的でした。(おそらくマジだと思います)

 

それにしても、この古墳は物凄く存在感がある。

西殿塚古墳と共通する“強烈なオーラ”を感じるのです。

卑弥呼の墓であれば、この古墳は神聖王(シャーマン)の陵墓という事になります。

この時代はシャーマンの力が執政王よりも強かったのでしょう。

同時代の執政王がどの古墳に眠るのか?

 

ホケノ山かなぁ~?

 

ホケノ山古墳の訪問記はこちらから

 

古墳に隣接する池の水位がかなり低くなっており

墳丘の基盤部分がよく観察出来ました。(上の画像)

前方部から後円部に向う“くびれ”の線がとても美しい。

古墳の裾部分の石は葺石が落下したものか?

 

 

古墳の周囲には計測装置が数台設置されていました。

 

これは物質を透過する「ミューオン」という宇宙線を利用して

敷地の外から墳丘内部の様子を探る機材だといいます。

 

いろいろな発見があるかもしれませんが

情報がどこまで公開されるか・・・・・・・

 

数年ぶりに訪れた箸墓古墳、強烈な存在感は以前と変わっていないようです。

 

前回訪れた時の箸墓古墳の記事