スカイラインとその時代(第12回) | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

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今日は7代目スカイラインのお話です。
昭和60年(1985年)にデビューしました。
このモデルから再び6気筒エンジンが復活し、S20以来のDOHCが奢られています。
エンジンのスぺックが、ようやくトヨタに追い付いた感じです。
ただ、コンセプトが酷い。
スカイラインにも、4ドアハードトップがラインナップされました。
この“4ドアハードトップ”、しかもセンターピラーの無いハードトップは
当時の日産の“悪しき慣習”だと思います。
「走り」をテーマにしたスカイラインと、ボディー剛性に難のあるハードトップの組み合わせ・・・・・・
どう考えても、“ちぐはぐ”ですよね。
 
しかも、マークⅡ三兄弟とソアラの後追いとしか思えない高級化路線。
同じ村山工場で生産されている、ローレルとどう差別化するのか
当時の日産には明確な答えが見いだせなかったようです。
 
振り返ると、プリンスが日産に吸収合併される時点で
旧日産側から、スカイラインの生産打ち切りの提示がなされていたような気がします。
トヨタに対抗するラインナップを考えると、スカイラインを廃止して
ローレルでマークⅡを追撃させた方が、生産効率は良い筈。
 
そう言えば、初代のローレルは
510ブルーバードを高級化したような佇まいでしたねぇ~
つまり、ローレルは“ブルーバード・マークⅡ”として日産が企画した可能性が高い。
こんな風に考えていると、スカイラインってクルマは
吸収合併によって一番“割を食ったモデル”だと言えそうです。
 
オヤジは若い頃、このクルマのステアリングを握った経験があります。
会社の先輩が、4ドアハードトップのノンターボ・2000GTを所有していましたので
早朝の山中湖をハイペースで2~3周走った経験があります。
その際ソアラが前を走っており、ちょっと煽ったら、ソアラが本気になちゃって・・・・・・
止めときゃ良いのに、オヤジも若いものだからGTツインターボを追っかけました。
コ―ナーで接近しても、直線では全く歯が立ちません。
でも、ハイキャスってとても曲がり易いと思いましたねぇ~
無理して曲がっている感覚が少なくて、コーナリングがスムーズだったのを憶えています。
それに、RBエンジンは確かに低速トルクは細かったけれど、トヨタの1Gよりも全然スムーズでした。
回転はすこぶる滑らかで、素性の良いエンジンです。
 
7代目がデビューした時期、日本はバブル経済の入り口に向かっているところです。
「7th スカイライン」の内装も、“絶壁コックピット”と“キャバクラシート”で
かなりケバかったなぁ~
 
「スカイライン」という名前でなくとも良いクルマでした。
 
日産・ケバイライン????