才能やセンスの在処とは? | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

一昨日はアメブロのアプリの様子がおかしく、メールでブログを書いたら妙なところに改行が入っていて不便でした😅

直接書けると、やはり楽ですね✨✨

 

 

 

 

さて、昨日のブログで、「今ここの源流からズレてくると、実力を発揮できなくなる」みたいなことを書きましたが、こういった才能やセンスの在処には、何か特徴があるのでしょうか?



皆さんは、「わたしってどんな才能があるのかなあ?」「どんな力を出してどんなふうに使えばいいのだろう?」と悩んだことはありませんか?





わたしはあります😅

ないないずくしだったからです。特に広島に移住してから。

道もわからない、場所もわからない、知り合いもいない、地名もわからない笑

 

 

 

 

この、「悩みっぱなし」だった状態、これがまずオーラがズレる原因になってくるのです。

そう、オーラが肉体からズレていくと、いざ行動するときに、ワンステップ遅くなってしまうのです。




悩んでいなくても、肉体疲労や脳疲労がひどくなる夕方に、オーラは肉体の中心から少しだけズレていきますが、ずっとズレていると、ここぞ!というときに実力を発揮できなくなるのですね。




 

何度も書きますが、ズレると、頭の回転も遅くなるのです😅

オーラというのは、普段、肉体と重なっているのが望ましいのですが、普段の疲労くらいだと、そんなにズレないのです。




しかし、疲労困憊になってくると、オーラが肉体の中心からズレはじめ、人間の肉体が動くと、やや遅れてオーラも動きます。

すると、重なっていないので、思考がとろんとしているのですよね。

 

 

 

 

この状態は、寝不足が続いてもなってきます。

寝不足はオーラの防御をもろくする、あまり好ましい状態ではない、のですね。

 

 

 

そして、お酒を飲みすぎると、同じようにズレてきます😅

つまり、ずっとズレてくると、思考が回らなくなってくるので、直感や勘が鈍ってくるのです。





ベストなコンディションというのは、「肉体とオーラがしっかりと重なっている」状態なのですが、ここぞ!というときには、守護霊などのスピリットが深く重なってくるとき、センスが発揮されていくのですね。




だから、「指導霊」というのは、それ単体が別の存在というわけではなく、いわゆる、「ここぞ!というときに発揮できるエネルギー」なのですね😅





それをいざ引き出すときこそが、センスを発揮できるとき、なのかなあと思っております。

 



 

 

そういった、「センスのかたまり」のような階層にアクセスできる権限を、最初から持っているのが、才能なのではないか、と思うのです😅




そういった階層には、教えてくれる指導要員がいらっしゃるのかも、しれないですね。

だから、覚えるのが異常に早い。

 

 

 

 

というわけで、前置きが長すぎましたが、センスや才能がある分野には、このような特徴があります。




 

覚えるのが早い


・なんとなくできる


・なんとなくわかる


教えてもらわなくてもできる


難なくできる


・やってて楽しい


余裕がある


・あんまり疲れない


集中できる


・時間を忘れて没頭できる


・革新的なアイディアがどんどんわく


居心地が良い


・すごいねとよく褒められる


・「これやって」とよく頼まれる

 

 

 

似たようなことをずらずらと書いておりますが😅💦





昨日、Eテレで森山直太朗さんが、

「お役目というものは、自分がスムーズにできることなのだ」ということをナレーターでおっしゃってました。




センスや才能というものは、それを磨いていくこと、なのですね。

原石というものは、「それを持っている」ということなので、それを磨き上げていくと、原石が結晶になって、光り出してくる、のです。

 

 

 

それって、「見えない力」なのですよね😅

わたしたちの周りには見えない力の差異が溢れかえっているのです。




できる人からは、それが「生まれながらに持っている」というのは意識をしない。

だから、それが見えない。

例えば、お金に不自由なく育った人は、「お金を持っている」という認識はないのです。

人から言われて、「そういえば」と気が付くというか、自覚するのですね。

 

 

 

パートナーに恵まれている人は、パートナーを意識しない。

人から言われて、「そういえば、わたしは恵まれているのかも」と自覚をするから、感謝をするのですね。

感謝ができる分野は、「持っている」エリアでもある、のですね。


 

 

 

この、見えない力の差異は、不足している側からは、とてもよく見えます。

なぜなら、欠乏感だからです。

欠乏感は、「あれが足りない」「わたし、持ってない」「あの人がうらやましい」など、足りないなあと思わせる分野なのです。

誰しもが、そういうエリアを持っているのです。

そういった眺める世界観は、「あれが欲しい」と欲しがります。

 

 


 

それを、

 




 

「なぜできないの?」

と言われたら、腹が立つのです😅

人はみんな一緒ではない、

同じ才能を有しているとは限らない、

同じ進捗状況とは限らない。

ですが、そうやって見えない力を無意識に振りかざすと、不足している人からすると、「傷ついた」と思うのです。

 


 

 

傷つけられた人は、逆襲します。

こういった争いが、この世の色んなところに充満している対立でもあるのです。

新入社員に、「こんな当たり前のことができないの?」

4歳の子供に、「みんなができていることが、なぜできないの?」

それがその人のコンプレックスのもとになってしまうのです。

そしてそれが、虐待などの、社会的な問題を生み出すのです。

 

 

 

 

才能やセンスは、肉体とオーラがぴったりと重なってくる分野、自分が集中しやすいエリアにひそんでいます。




そういった、もともと持っている分野は、自分からは非常に見えにくい…

「自分は大したことがない」と思いがち、なのかもしれないですね。





というのも、見えない力というのは、芸術作品のように、現象化しないと、なかなかわからないからです。

 

 

 

 

というわけで、自分のなかでスムーズにいくことはありませんか?

「なぜかわからないが、とんとん拍子に運ぶ」ようなことです。

それは、自然からのオッケーが出ている、ということです。





自然というのは、のことを指すのです。

 

 

 

その、利益が出る分野が、天職になるかもしれません✨

それは大谷翔平くんのように、「好きなこと」ではないのかもしれませんが…

 

 

 

昨夜から冥王星が水瓶座♒️に入りましたが、今は時代の転換期です。

弥生時代から近代まで歩んできた人間の精神的な方向を、逆転させる必要があるので、なかなか容易なことではありませんが、そういったスムーズな分野を、ぜひ磨いて伸ばしてみてくださいね✨✨

 

 


 

なお、

 

 

 

 

日本の良さって、

 

 

 


品質の良さや、自由で豊かなどももちろんなのですが、わたしは奥行きがあるところだなあと思っております。




この文化の「わびさび」が、今後再興する…というサインが来ているので、なぜ?と思っていたら、来年の大河ドラマが源氏物語なのですね😅

もののあはれじゃないか、と涙したりするのです。