こんにちは。
昨日からの大雨は落ち着かれたでしょうか。
今日は満月🌕です✨✨
わたしは二度も明け方に起きて、まだ眠いです🥱
さて、今日は古代ヤマト国の成り立ちには欠かせない、伊勢神宮の創建について、考察をしていきます。
※元伊勢、瀧原宮の縄文の森
伊勢神宮の創建に関して、経緯や成り立ちの詳細はいまだに分かっておりません。
わたしは今年の夏、伊勢神宮にまつわる門外不出の秘密を知ってしまい、
古代ヤマト国の成り立ち、伊勢神宮の創建について調べております。
なぜ、突然そんなことを知ってしまうのか、びっくりなんですが…😅
これ、たぶん、木星が来ていたからだと思います。
なお、縄文の神々が長い眠りから覚めて、代替えをしておりますが、古代伊勢神宮も蘇っておりますよ✨
さて、神宮の始まりは今から2000年前、紀元前4年だったと伝えられています。
伊勢神宮には、ひとつ大きな謎があるのです。
それは、祭神の名前です。
「天照坐皇大御神」
と、他の神社で見られるような天照大御神(アマテラスオオミカミ)ではなく、
アマテラシマススメオオミカミ、という、
「坐皇」が付いているのです。
そこにずっと居続けている、総べる神。
伊勢神宮内宮には、すべての神を総べる天照大御神が「ずっと居続けている」のですね。
「この国に居らむと欲う」
伊勢神宮の始まりは、第10代垂仁天皇の代に、都を出ることになり、新しい土地を探すことになることから、始まります。
そう、アマテラスは元々はヤマト国(奈良県)の宮中に祀られており、
もともと伊勢には居なかったのです。
なぜ、ヤマト国を出なければいけなかったのか😅?
それは、どうも神が荒ぶる…
都に災いが多かったりして、そのままだと、疫病などの災難が続いてしまう…
おっかない😅
ということで、斎王・倭姫(ヤマトヒメ)とともに都を出て、美濃を回ったりなどして、伊勢に行き着くのです。
斎王というのは、「天皇家の守護神を祀る姫」という意味ですよ。
ヤマトヒメは、それは大変な任務を背負っていたのだなあ、と思います😅
「ご神体」を持って旅をするなんて…
なお、この「斎王」こそ、卑弥呼の正体だとわたしは思っています。
邪馬台国の卑弥呼というのは、
アマテラスでもあった、ということですね。
卑弥呼は代々、継承しているのです。
さて、そんな元荒ぶる神のアマテラスですが、荒御魂(あらみたま)、和御魂(にぎみたま)に分かれて祀られております。
この荒御魂は、個人的なお願いに対しても、霊験あらたかだと言われておりますよ✨
なお、多賀の宮に祀られているのは、外宮の「
豊受大御神」の荒御魂です。
外宮は、アマテラスがご指名した、食事を司る神が祀られておりますよ✨
さて、伊勢神宮は古代ヤマト国から見てちょうど真東に位置しています。
太陽が昇る伊勢に対して、
出雲は陽が沈む黄泉の世界を表し、
そこには、伊邪那美(イザナミ)がいる。
ヤマト国の鬼門を守るのは、熱田神宮であり、
そこには三種の神器のひとつ、草薙神剣が祀られています。
それはもともとはヤマタノオロチの尻尾から出たもので、
ヤマトヒメから、ヤマトタケルの手に渡ります。
その延長線上を関東まで伸ばすと、香取神宮と鹿島神宮があります。
古代ヤマト国内の鬼門を守るのは、石上神宮です。
こういった符号を目にすると、古代ヤマト国の防衛線が浮かび上がってきますね😆✨
この、日本🇯🇵という国は、
ヒノモトで神々が守る国、なのですね。
豊かで平和な日本の幕開けは、もしかするとアマテラスが伊勢神宮に「居続けて総べているから」かもしれないですね✨
なお、
※伊勢神宮参詣曼荼羅
伊勢神宮にも曼荼羅があります。
長い歴史上で、伊勢神宮も仏教の影響を受けたのですね。
当時のおかげ参りブームがうかがえますね✨
と言うことで、伊勢神宮の創建にまつわるお話しでした❗️
お写真は関東の友人から昨夜に大量に届きました😆✨