国譲りで討伐されたかつての王を祀る、出雲大社について | 運の良い座敷童子的な生き方

運の良い座敷童子的な生き方

運の良い経理事務。 神話ファン。星読みをしています。

こんにちは。

今日は天気の良い日曜日となっております✨

さて、夏もゆっくりと過ぎ去っていく気配で、いよいよ秋が訪れそうな気配ですね。





さて、旧暦10月(11月3日〜)から出雲地方で神在月が始まります。

出雲大社の祭神である大国主(オオクニヌシ)について語りたいと思います。


※出雲大社


この神在月では、全国の八百万の神々が、会議をするために集まるのですが、

ここで今から一年の幽事(かくりごと※目に見えない縁結び)ついて取り決めされると言われておりますよ。





そもそも出雲大社というのは、





出雲の神々の祟りを恐れたヤマトの国によって建てられたものである、





という史実がございます😅


出雲大社の位置付け



日本では以前から、出雲神は祟る…と恐れられておりまして、

第10代崇神天皇の頃に、日本の人口が半分になってしまった災害があるのですが、大物主(オオモノヌシ)の祟りである、ということがわかり、三輪山に祀られたのが現在の奈良県の大神神社なのです。




この大物主は、大国主と同じ出雲の神となります。




奈良県桜井市・三輪地方には出雲という地名が残っておりますが、同神であることは、古代の祭神、を祀っていることからもわかります。




出雲の神々は、縄文時代からの古代の祭祀を残しており、

出雲神の分霊は全国に散らばっている、ということですね。

特に旧武蔵国は半分が出雲の神々を祀っておりますよ✨✨




大国主も同じく、祟りを恐れた第11代天皇垂仁天皇により、とても大きく立派な社殿が建立されました。





この出雲大社の建立に対し、大国主の神霊は、なんと京都から戻ってきております😅

これが、京都の亀岡にある出雲大神宮からなのですが、

いわゆる、元出雲と呼ばれておりますよ。




これは、出雲族が東に向けて勢力を広げていた、という証であり、古代の日本海側は出雲勢力だったのです。


※神迎祭の稲佐の浜(読者さまからの提供です)


そして古事記に記されているのは、出雲大社の起源、

それは祟りを鎮めるために祀られたのが出雲大社であり、そこに祀られているのが、




「日本誕生」よりも以前の日本を治めていた、かつての大王であった、




ということですね。

出雲大社というのは、日本の古代の王を祀る鎮魂の宮、なのです。




この出雲という大きな王国は、国譲り前からありまして、とても繁栄している国を築いていたのですが、後の大和朝廷によって滅ぼされたのです。




国譲りなんて優しいものではなく、相当に激しいものだったようで、

事代主(コトシロヌシ)は呪いの印を結び、海に飛び込む、という祭祀(青柴垣神事)が今でも、美保神社で残っており、

長野県の諏訪大社の御柱祭というものは、つまりが強い怨霊を封じ込めている、という祭祀なのですね。





そもそも出雲を建国したのは、高天原から降り立った須佐之男命(スサノオ)です。





その娘(スセリヒメ)と結婚した大国主がそれを引き継いだ…ということです。





つまり、国譲り以前から既に、繁栄した優れた文化圏があり、それはとても豊かに栄えていた、ということです。




そう、そんな日本誕生よりも以前のかつての王、大国主は、ヤマトの人々によって、丁重に慰霊・鎮魂が行われているのですが、





その畏怖の大きさが、





日本一の高さを誇る出雲大社の本殿となります。




現在の社殿は1744年に建て替えられたのですが、ビル八階建ての24メートルに相当するのですが、

鎌倉時代では48メートル、

古代では108メートルもあったのだとか…😅




祟りを恐れる、というのは、生きた人間から生み出される畏怖の感情でもあるのですが、




出雲大社というのは、




ヤマトが最も恐れる日本建国の王が鎮められている、




ということなのです。



そんな、はるか神代の偉大なる王のもとに全国の神々が集う行事、それこそが神在月でございます✨✨




ぜひぜひ、は縁結びのために、

大国主が坐します幽玄なる聖域、出雲大社へおいでませ〜♪





なお…




大国主さまは、メディカル・シャーマンの側面があったのかな、と思っております。

出雲大社の効能は、病気治癒だと思っております。




風邪を引いてしんどいときなどは、ぜひ出雲大社の本殿を思い浮かべてくださいね✨✨





ブログ2周年♪


乙女座新月


天とつながる時