ランディ・マイズナー 心の歌

ランディ・マイズナー 心の歌

イーグルスのベーシストだった
ランディ・マイズナーの軌跡、心に響く歌声を
バンド別・アルバム別にご紹介してます
イーグルスほか、70年代ヒットも満載です

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前回お伝えした、ランディ・マイズナーの夫人に起こった、痛ましい事故。
ファンの心は重く悲しく、私もランディの音楽をいつもの調子でシェアするには、少し時間がかかりそうでした。

でもランディの海外のファンサイトに、そんな思いを吹っ切るような記事が掲載されました。
そこで使われたのが、なんと私がYouTubeに投稿した動画だったのです。

それは、ランディのファーストソロアルバムに収録されているバラード曲「Heartsong」と、曲のイメージに合わせて作ったランディのフォトトリビュート。

ファンサイトの記事ですが、哀しくも美しいこの曲の歌詞に重ねて、素晴らしい表現をされていますので、つたないですが訳しました。


『 これは、美しく歌われた、美しい歌です。

私たちは、この曲を掲載することを、申しわけなく思わなくていいのです。
(注※自粛しなくいいという意味)

私たちは今日、ランディのために声をあげて泣くでしょう。

それで、もう泣くのはやめましょう。

彼を思い続けること以外に、私たちにできることはありません。

彼の音楽や映像、写真を通して、この人の素晴らしい音楽人生を味わい、楽しむこと。

それらは、私たちの心の中に、あり続けることでしょう 』



「Heartsong」の歌詞も、頑張って意訳しましたよ。

カバー曲ですが、ランディのひたむきな歌に、私は胸を打たれます。
切なくなるような美しいメロディーは、澄んだ声の彼が歌うと、いっそう引き立つよう・・・。

私は、とくに心身がダウンしている時にこの曲を聴くと、気持ちがなぐさめらて、少し前を向けるようになります。

絶望や虚無感、人生の悲しみを経験して、ランディのシンガーとしての素晴らしさ、その歌声が持つ力を、あらためて知りました。



『 ここにいるのは誰? 孤独な男さ

誰か 川の中に輝く星を 彼の手ですくわせて 見せてやってくれ

彼は もう来ることのない女性を 待ち続けている

何かが必要なんだ 希望を抱かせる何かが


そう 彼は毎晩 バーで座っている

そこに来た理由を 彼が忘れてしまうまで

彼は言う 「もう一杯くれ どれもみな同じ味だ」

彼に残されたのは 彼女の写真だけなんだ


彼女は 遠くへ行ってしまったかもしれない

でも 彼はわかっている 

彼女が 彼の心の中からは 去ることはないことを


彼女は心の歌だった

彼女はメロディーだった 生涯にわたるメモリーだった

心に歌がないのなら

表面はそう見えなくても

彼の内側には その歌は もうないんだよ 』


ラストの「その歌」とは、彼女のことを示しているのでしょうか。
切ないですね。


歌詞に出てくる「希望を抱かせる何か」は、私にとってこの曲そのもの・・・。
私の心の中にはいつまでも、ランディの歌があります。


★曲は、ランディの歌が終わるとともに、ろうそくの火がふと消えるように終わります。深い余韻を残して。
動画は画像でその余韻も表現しようとしたのですが、曲が終わっても画像が残り続ける、という編集ミスをおかしてますっっ。
芸能ニュース等でご存じの方も多いかと思いますが、3月6日に、ランディ・マイズナーの妻のラナ・マイズナー(63歳)さんが、銃の暴発事故でお亡くなりになりました。

私ははじめ、ランディのファンサイトで英文のニュースを読んで驚愕しました。
そして、日本語訳されて配信された記事を読み、事件のことがわかるにつれて、わかり得ない夫婦の因縁のようなものに、心がざわつきました。

裁判等、夫妻のこれまでの経緯については、昨年夏にこちらの記事に書きましたが、思いもよらぬ悲劇的な結果となってしまったのです・・・。

ファンサイトで、夏以降のランディとラナ夫妻のプライベートなツーショット写真をいくどか見る機会があり、二人とも回復に向かっているのだと思っていましたから・・・。


以下今回の事件について、私が読んだ3つの報道記事を、合わせまとめて書きます。
わかりやすくするため、ファーストネームで表記します。

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イーグルスの元ベースのランディ・マイズナーの妻、ラナ・レイ・マイズナーが3月6日にカリフォルニア州スタジオシティの自宅で銃の暴発により死亡したことが明らかになっている。

同日午後5時30分頃、自宅に酔っ払いの男性がいるとラナから通報があり、警察はDVの通報として受け付け自宅を訪れたが、事件性はないと判断。調書を作成し、そのまま立ち去ったという。

(別のニュースには、ラナは「夫がBB弾ピストルを振り回し、不安定な振る舞いをしている」と語っていたらしい、と書かれていました。BB弾ピストルとは、一般的にはゲーム用のエアガンのことです)


しかし、その約1時間半後の午後6時59分に、今度はランディが警察に通報を入れ、妻が銃撃死していると訴えたという。
ランディは、「妻が別の部屋に行き、ドアを閉めた後、銃声が聞こえた。部屋に行ってみると、妻がライフルで頭を撃って死んでいた」と語ったという。

ロス市警は7日、記者発表で捜査の結果について説明。
「ラナは、クローゼットの中にしまってあったライフルを動かしていた。ケースの中のライフルを持ち上げた時、その中にあった別の品物がライフルの引き金に当たり、暴発したため、ラナは死に至った」と発表。
ランディは銃声を聞いた際、別の部屋にいたという。
ロス市警によると、ランディは捜査に協力的だったという。

「現場の証拠を検分した結果では、完全に事故のように思われる。事件性を窺わせるものはなにもない。他殺と思わせる手がかりなどはまったくなかった」とロス市警は発表している。

その後、7日になってランディは病院に収容されたと伝えられている。
ランディの親族に近い関係者は、「家族の人たちはみんな心配している。どこにいるのかよくわからないそうだ。ランディはなにもかもすべてラナに頼っていたから。現時点では、この先なにがどうなるのかはまったくわからない状態」と語っている。


ランディは昨年には、双極性障害(躁うつ病)と自殺願望があるとの診断を受けて、24時間の監視下に置くようロサンゼルス郡の裁判所から命じられた、と伝えられていた。
ランディはこれに先立ち、ライフルでの自殺や、複数の人々の殺害をほのめかしたとして、メディアを賑わせていた。


━─━─━─━─━─

このような内容が報道されていました。

私の憶測ですが、ランディもラナも、飲酒やドラッグによる幻覚や妄想があり、奇行や問題発言があったかと思います。

6日の時点ではもう、24時間の監視は終わっていたということですよね。
依存症を再発しての混乱が招いた悲劇、なのでしょうか・・・。

もしかしたらランディが、ライフルで撃たれていたかもしれないです。


白髪で、実年齢より老けて見えるランディに比べ、ラナさんは、魔女風の派手なメイクで、整形をしたと思われる顔立ちでした。

それでも、上記のような経緯があっても、二人は別れることなく、20年近くともに暮らしてきた。
それは、二人には、深い結びつきがあったから、そう思いたいです。


夫婦で一緒に、健やかさを取り戻してくれることを願っていました。

でも、そう願う私も、自分が健全な人間だとは言い切れないです。
「私は立派に生きている、強い人間です」と言える人は、何人いるでしょうか。

ランディの心身の回復を祈りつつ、今の等身大の、ありのままのランディも、応援しています。


そして、63歳という若さでお亡くなりになったラナさんのご冥福を、心からお祈りいたします。



※写真は昨年8月頃のランディ。 昨日3月8日に誕生日を迎え、70歳になりました。

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1978年以降の、私が好きだった洋楽をたどる旅の続きである。

前回の記事で、ランディがいたイーグルスと初期のポリスに共通点がある、と書いた。
魅かれるものにはワケがある。
詳しく書いてみようと思う。


当然、音楽性はまったく違う。
演奏のスピードも違う。初期のポリスのアルバムは、疾走感がすごい。
イーグルスは、リードヴォーカルを取るドラムのドン・ヘンリーに合わせて、ミドルテンポの曲が多い。

共通点それは、すっきりとした音離れのよさと、研ぎ澄まされたバイブレーションのようなものだ。

両バンドには、張りのあるハイトーンヴォイスの歌い手が、高いキーで歌うときに出る、突き抜けるような振動がある。
例えはよくないが、おりんを鳴らした時に響き渡る「チーーーーーン」みたいな。


イーグルスで1番高いパートを歌うランディのファルセットヴォイスが強力なのは、よく書いてきた。
グレンの声もよく響くし、ドン・ヘンリーは綺麗な裏声が出る。

また、イーグルスのドン・ヘンリーは、サウンドチェックに余念がなかった。
何度もやり直しとなり、それはグレン・フライもうんざりするほどだったという。
レコーディングスタジオでは長時間ヘッドフォンをして、彼にとっての完璧な音作りを目指したそうだ。

エンジニアも音響効果を施し、奥行き感のある音離れのよいサウンドを作りあげる。
だからイーグルスの曲は、透明感があって、とても美しいのだ。


ポリスのスティングの、少年のような個性的な高音の声は、言うまでもない。
そして、基本はドラム、ギター、ベースだけの、切れ味するどい演奏。

そこから発せられる、クリアなバイブレーションが好きだ。

独特の残響効果を出して音楽に空間を感じさせることができる、「ダブ」というレゲエから生まれた手法も取り入れられている。
ポリスは、レゲエのさまざまな要素を取り込み、独自のものに進化させてきたバンドでもある。

ロンドン郊外には、イギリス領だったジャマイカをはじめ、カリブ諸国からの移民の多い。
レゲエのライブも行われていたし、アーティストも影響を受けあったのだろう。


私はその後、そのジャマイカ移民2世によって作られた『ブリティッシュ・レゲエ』に魅了されて行く。
ロンドン生まれの、暗さとカッコよさのあるレゲエだ。

ポリスのことを振り返っていて再確認したのだが、魅かれる音楽って、どこかが繋がってるのかなと思った。
私の20代は、なんでブリティッシュ・レゲエだったんだ??と、不思議に思っていたから。

それは、華やかだった生活とは裏腹に、当時の自分の心が孤独だったことを、いい意味であらためて気づかせてくれた。


さて、曲は。
イーグルスは「呪われた夜(One Of These Nights)」(1975)、ポリスは「ロクサーヌ」(1978)を。
どちらも夜の情景が歌われている。


「お前を探して出してやるぜ、いつかこんな夜に。とても暗く冷たく、孤独な夜に・・・」

「One Of These Nights」のメロディーは、温かみがあって、ちょっとウキウキしした感じがする。イーグルス流ディスコチューンとも呼ばれてるし。
孤独な都会の夜。でも、いつか本当に好きな女性に出会えたらいいなって思ってる・・・そんな気分が絶妙に表現されている曲だと思う。

そして「One Of These Nights」は、 ランディの天使のようなバックヴォーカルがくっきりと聴こえる、ファンはうっとりしてしまう曲だ。



「ロクサーヌ、赤いライトをまとわなくていいんだよ」

ポリスの「ロクサーヌ」は、娼婦に恋をした男の歌だ。

もう赤い電燈の下に立たないでくれ・・・
夜にこだまするかのようなスティングの哀切な歌声が、聴く者を引き付ける。
ヴォーカルの魅力を際立たせた、シンプルだけど刺激的な曲。

もう1曲、ポリスの1979年のライブ映像で「Reggatta De Blanc」を。
すごいテンション上がるライブ。演奏がすごいし、スティングが元気いっぱいだ。

「Reggatta De Blanc」はセカンドアルバムのタイトル曲だが、『白いレゲエ』という意味。
この曲で少し、ジャマイカ民謡の「バナナボード」の有名なフレーズが歌われる。
でも、まぎれもないロック。


Eagles - One Of These Nights


The Police - Roxanne


The Police - Reggatta De Blanc (Live 1979)
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私は、ほかのアーティストの曲を聴いたあとにイーグルスを聴くと、いつも切なくなってしまう。
なつかしい故郷に帰ってきたかのように。

イーグルスの曲たちは、まるで空や大地のように、私の心の中にある。
風のように吹き去って行くものではなく。

なぜランディの歌が私の心の歌になったのか、イーグルスの音楽が故郷になったのか、何回かに渡って書こうと思う。
(といっても、たいした話ではないのですが)

そのために、70年代の終わりから現在までの、好きだった音楽の振り返りを。

ここ数年自分の中で、音楽が一気に70年代にタイムスリップした感覚がある。
圧倒的に長いはずの、それ以降に聴いた音楽の印象が、薄くなってしまっているのだ。

印象が薄くなったのは、ランディ・マイズナーがイーグルスを脱退した翌年、1978年あたりからだ。
その時々で、気に入った音楽を楽しんでいたはずなのだけど。
(ランディの脱退についてはこちらの記事に→「ランディへの思い」)

でも思い出してみたら、しっかりあった。心に残ってる音楽が。
それは後ほど。


私の中に鮮烈な印象を残した70年代アメリカンヒッツは、1978年頃を境に変化していった。

耳触りのよいAOR化などで。
都会的でソフィスティケートされた音が増えた。

アメリカの音楽が持つ大らかさ、陽気さ、温かみといったもの、そして、センチメンタルな郷愁のような何か、が消えて行った気がする。

当時流行りの音作り、アレンジの特徴は、同じアーティストのアルバムを、78年以降とその前とで聴き比べるとわかりやすいと思う。
イーグルスの、79年リリースのアルバム「ロング・ラン」も、アレンジの印象がこれまでとずいぶん違う。

私は当時は「ロング・ラン」を持っていなかったが、シングルカットされた曲を聴いて、その違いに寂しい思いをした。「言い出せなくて」とか。
(そのへんのことは、こちらの「ロスト マジック」という記事に書いてあります。マジックのタネの一つは、ランディだったから)

私にとってはAORは、脳内にアドレナリンもセロトニンも出ない音楽だ。
自分の洋楽熱が、ひと段落したこともあったと思う。


バンドは、メンバーの年相応にエネルギーを落とし、成熟していく。変化していく。
それは仕方のないことだ。

イーグルスがアルバム「ホテルカリフォルニア」の中で自身をモデルにメッセージしたように、若い気概はいつか、世俗の垢に染まって削がれはじめる。
昇る陽はやがて翳りを見せ、新しいものが台頭していく。その繰り返し・・・。


78年にデビューしたTOTOをはじめ、80年代になると、ジャーニーやスティクスといったバンドがブレイクした。聴きやすいロックの時代。
アメリカン・ハードロックの流れで、ヴァン・ヘイレンもデビューしてる。


でもその頃私の心を捉えたのは、アメリカ勢ではない。
イギリスの新進気鋭の3ピースバンド、『ポリス』だった。

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デビューは、1978年。
「孤独のメッセージ(Message in a bottle)」(79年)を聴いた時は、その独創性と、無駄のない研ぎ澄まされた音に衝撃を受けた。
まったくもって新しい世界があった。
(上記の写真は、「孤独のメッセージ」が収録されたセカンドアルバム「白いレガッタ」)

ポリスで一番好きな曲は、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」だ。
初期の曲が好き。
最大のヒットは83年の「見つめていたい」だが、その頃には商業化された音楽になってしまった。

その83年頃からは、ニュー・ロマンティックスと呼ばれるコマーシャルなイギリス勢が、アメリカンチャートを多数占めるようになる。
でもポリス自体は、80年代半ばには活動停止に。


張りつめたような高音のスティングの声は、闇を切り裂く閃光のようだった。
初期のポリスとランディがいたイーグルスとの共通点は、ないようで「ある」と、私は思っている。

ポリスは、パンクムーブメントに乗ってデビューしたバンドらしい。
パンク? よく知らない、と思っていた私だが、しっかりパンクからの流れに乗せられていたんだね。
イーグルスが歌った「ニュー・キッド・イン・タウン」のニュー・キッドは、私にとってはポリスだったということかな。

その「ニュー・キッド・イン・タウン」収録のアルバム「ホテルカリフォルニア」は、翳りゆくウエストコーストロックの、最後の輝きといわれている。

あらがうことのできない時の流れ。

人生の浮き沈みを経験してきた人にとって、このアルバムは、落ちていく夕陽のように、崇高な美しさを放つのだ。
どんな音楽も乗り越えて。



しびれる~!
The Police - Message In A Bottle



このコーラス聴いてくれ~。スティング、まさかの宮川大輔だよ。
The Police - Can't Stand Losing You



夏海さんは当時この曲を聴いて、受け入れられなかったためか、涙が出てしまったそうだ。
ティム、いい声。しかし寂しい。
Eagles - I Can't Tell You Why

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今日はたま~に書いてる楽しい番外編、ランディのサラサラヘアからバーニーの超カーリー・ヘアまで、70年代の男性のヘアスタイルについての、ノスタルジックなお話です。
ジャンルを越えての、シルクのような髪アーティストのライブ映像もお届けいたします。


ランディ・マイズナーは、しなやかで美しい褐色の髪の持ち主でした。

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風になびく髪、素敵ですよねー。


60年代後半のヒッピームーブメント以降、アーティストは長髪傾向に。
ムーブメントの背景には、自然回帰、ベトナム反戦、ラブ&ピースといった、深い意味合いがあったそうです。


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イーグルス、デビューの頃。若い! いい写真です。
グレン・フライはこの長髪が、ドン・ヘンリーとバーニー・リードンはカーリーヘアが、その後もトレードマークになりましたね。

ランディもイーグルスが結成された頃は、センターパートの長髪でした。
外人さんの髪は日本人より細いそうですが、ウェーブでうねったりカールが強かったりで、ランディのような素直な髪質は少ないのかも。


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こちらはホテルカリフォルニアツアーの頃。疲労が顔に滲み出てるメンバー。
ランディ以外は髪もヨレヨレ気味・・・。


さて、前髪があって、襟足が長く、耳が隠れているヘアスタイルは、私の憧れでした。
ウルフカットのバリエーションなのかな。甘いマスクには、よく似合いますね。

そこでこの髪型の、繊細で美しい70年代男性の、憂いある素敵な写真を集めてみましたよ。
動画はラストにまとめてUPしてます。


まずは人気アイドルだったデヴィッド・キャシディです。

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ホームコメディ「素敵なパートリッジファミリー」のお兄さんです。
ランディと同じグリーンの瞳ですね。

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番組では毎回、歌を披露してくれました。レコードも出してます。
デヴィッド・キャシディは、ランディのファーストソロアルバムに、ゲスト参加してるんですよ。


次はグラム・パーソンズ。(当時は知りませんでしたが)
カントリーロックを作ったお方です。きれいな髪ですね~。

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心に沁み込んで来る、不思議な声の持ち主。作る歌は、どこか哀しい。
大好きなアーティストです。


イギリスから、グレッグ・レイクです。
キング・クリムゾン、エマーソン、レイク&パーマーと、プログレのお方。
やはり、憂いのある声がいいです。

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若い頃は顔細かったんですよね。その後まん丸になってしまいましたが。


おまけ。日本代表、野口五郎!

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でも不思議なことに、「アーティストとして好き、憧れる」ということと、男の人として魅力を感じるというのは、ちょっと違うのですね、私の場合。
たぶん私は、アーティストに癒しを求めてるから。ドキドキしたら困ってしまう。

以前にもちらっと書いたけど、そういう意味ではイーグルスにはいないのです。
POCOにいます、魅力を感じる人。YouTubeで動画を見れるようになった影響もあってですが。

ポール・コットンです。髪パサパサだけど。

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渋い~。

それと、クリス・ヒルマン。
フライング・ブリトー・ブラザーズの映像を見ていても、グラム・パーソンズを見てほっこりしながら、クリス・ヒルマンにときめいてしまう。演奏も達者な人。

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髪クルクル。表情クール。

しかし、クリス・ヒルマンのバーズ時代は、こんな。
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パーマかけてカーリーにした?
いや、もしかしたら・・・。ドン・フェルダーの自伝を読むと、ビートルズのウィッグというのがあったそうなので、これはウィッグなのかも。


イーグルスのバーニー・リードンとドン・ヘンリーは、天然カーリーだそうです。

ドン・フェルダーは、バーニーはジョージ・ハリスンに憧れてウィッグをつけたり、手に負えないカーリー・ヘアをどうにかしてストレートにしようとしていた、と書いてます。
二人はイーグルス以前、60年代半ばからの友人でした。
ドン・フェルダーも当時、サイドの髪を内巻きにする、ページボーイスタイルを好んだそう。

流行があって、男性もいろいろ大変なんですね。


では、ライブ動画です!
ジャンルは違えど、どれも素敵ですよ。

シャイなので、目を閉じて「ミッドナイトフライヤー」を歌うランディ。
イーグルスの1974年の、テレビ番組用ライブです。
Eagles - Midnight Flyer - Live 1974



デヴィッド・キャシディは、懐かしのパートリッジファミリーから。
The Partridge Family - Together we're better



フライング・ブリトー・ブラザーズ、グラム・パーソンズの希少な映像。クリス・ヒルマンとのデュエットです。
Flying Burrito Brothers - Christine's Tune



グレッグ・レイクは、エマーソン、レイク&パーマーのライブから。
クラシックギターを奏でながらのナンバーで、プログレ色はあまりないです。
EMERSON LAKE & PALMER - The Sage