6月の活動報告
どうも遊木です。
夏は好きだけど湿気は嫌いという、日本人として大いなる矛盾を抱えつつ、そこそこ元気に生きております。
いやぁぁ……6月も秒だったな?
月の活動報告です。
□制作関連
ネームをやりつつ、取っ散らかっていた設定の整理を始めました。
と言いつつ、「この情報固めるの、歴史の知識必要だな?」という場面が多すぎて、気付いたらウィキペディアの海を彷徨っている時間がほとんど……。
いや、下田旅行でも思いましたが、本当に知識が足りない。 というか、やりたいことに知識が追いついてない。……みんな、若い頃に勉強はしといた方が良いぞ。(血涙)
7月はカラーの練習を強化しようと思います。
カラー絵の描き方って、なんで忘れるんだろ?
夏の作業つらッ…
□伊豆下田の旅
詳細はすでに更新しているのでそちらをどうぞ。
三泊四日の間、結局一回も雨に降られず、6月なのに天候に恵まれた旅でした。
寝姿山から伊豆三景を臨んだり、あじさい祭を楽しみつつ下田公園を踏破したり、神社仏閣を巡ったり、博物館に行ったり、遊覧船に乗ったり、金目鯛を食べたり、かなり充実した旅だったと思います。
□横浜トリエンナーレ最終日
最終日にもう一度行ってきました。
しっかり鑑賞するというよりは、ざーっと全体を見て、空気感を再確認した感じです。
あとは美術館壁面作品の最終形態や、BankART KAIKO&旧第一銀行横浜支店の屋外作品(夜verを見たかった)を鑑賞。
出来れば今月中に感想記事を更新したかったのですが、なにぶんトリエンナーレの感想は多大なエネルギーを消費するので……まぁ、例によって図録もまだ出てないですし、気長にまとめようと思います。
……まとめたいネタがどんどん溜まっていく……。
私がしっかり鑑賞したトリエンナーレは2011年からですが(それ以前は部分的な鑑賞)、「アートもりもり!」の取り組みも加味して、個人的には歴代2位の面白さだったと思います。
□「劇場版名探偵コナン 100万ドルの五稜星」鑑賞
先日、ようやく見てきました。
※※ここから先ネタバレ注意※※
私は服部中心劇場版が刺さらない性分なので(服部君自体は好き)、その回のときは映画館に行かないのですが、先に見に行っていたメンバー曰く「今回はキッドと平次半々」ということで行ってきました。
年々「ツッコんだら負け!」の要素増やしてるな~と思いつつ、今回は特にすごかった。
もう途中から笑ってたもん。
流石にセスナの上での斬り合いは無理があるって!
あと告知映像から、長年のコナンファンなら一度は考えたことがある「キッドと新一瓜二つ問題」に切り込むことは予想していましたが……予想を100倍超えるレベルで切り込んでたな???
これ、今回の劇場版で、コナンというよりは「まじっく快斗」の根幹を揺るがしましたよね??どうしたエピローグ。
最近の漫画原作アニメはさぁ~、これをやるから映画館に行っちゃうよね~。
マクロの!ネタバレを!しれっと!劇場版でやるな!
□「近代輸出漆器のダイナミズム–金子皓彦コレクションの世界–」
県立歴史博物館で、本日まで開催していた展覧会です。
現在ではまったくそのイメージがありませんが、明治から戦争前期まで、横浜は漆器の産地だったそうです。
といっても、単なる漆器ではなく、所謂“輸出漆器”ですね。
現代では、精密機器や自動車が日本の輸出産品として重要なアイテムですが、それが、かつては漆器だったようです。
1859年に開港して以降、横浜は日本の玄関口として海外と繋がり、外国人が求める漆器を素早く輸出することが重要でした。
注文に素早く応えるためには、貿易港から遠く離れた産地での制作は非合理的だったのでしょう。各地の職人達は横浜に集いました。
その結果、横浜は近代漆器の産地になったようです。
今回の展覧会では、芝山細工、寄木細工、木象嵌などを使った漆器が展示されていました。
輸出を意識して制作された作品の多くは、単なる日本の伝統工芸品ではなく、外国人にウケるよう再構築された、所謂「和モダン」に仕上がっています。
例えば、背の高い飾棚やライティングビューローは、外国の家を基準に設計されていることが一目でわかるサイズ感です。
一方当時の外国では、人力車に傘を持った着物の婦人、背景に富士山など、「ザ・日本!」という意匠が好まれていました。そのため、表面に施された細工には、古き良き日本の伝統や文化がそのまま反映されています。
この、和洋混合の末に生み出された「和モダン」の雰囲気が、“文化の坩堝”として栄えた横浜の歴史、成り立ちを、非常にわかりやすく体現していると感じました。
どの細工も大変美しく、高い技術を窺わせる緻密さがあり、当時の万博でも高い評価を受けていたようです。
各地の伝統技術を統合して生み出された作品は、一つ一つ見応えがあり、逆に何故今まで注目されていなかったのかが不思議なくらいです。
学芸員の方曰く、作品の多くは海外に渡ってしまっていたため、横浜が漆器の産地であったということも、最近判明したよう。
眞葛焼きに出会ったときにも感じましたが、私はこの時代に横浜で制作された漆器、ひいてはそこに施された意匠や細工が、大変ツボ。
最終日の滑り込みでしたが、本当に行って良かった。
以上、今月の活動報告でした。
もう今年が半分過ぎたなんて信じない。
aki