アプリ漫画について少し考えてみる。 | 乱歩酔歩--Random Walk official blog--

アプリ漫画について少し考えてみる。

須々木です。

3年に1度の横浜トリエンナーレが開催されているのにあわせて、行動圏でのアート系の展覧会が大量発生して日々刺激を受けていますが、前回のブログでいろいろ書いたので、今回は少しサブなカルチャーの話題です。

 

前回のブログはこちら↓

 



というわけで、記事タイトルのとおり「アプリ漫画」を軸に書いていきたいと思います。

もとから気が向けばアプリでも漫画を読んだりはしていましたが、現在は霧島がマンガMee(集英社)にて「酒の肴の桃瀬くん」を連載していることもあり、もう少し真面目に(?)見て考えることも……ないわけではない。

そこで、せっかくなので思ったことを軽くまとめておきます。

今更な内容や単なる個人的見解などありますが、そのつもりでどうぞ。




● アプリ漫画と紙媒体の漫画の違い

感覚的なものですが、アプリ漫画は、紙媒体の連載漫画と比較してかなりSNS的だなと思います。

ライトな読者の割合は紙媒体と比較にならないほど多いでしょうし。

腰を据えてじっくり読んで、まとまった分量を楽しむというより、非常に細かく一口サイズにカットされたコンテンツを摂取し楽しむようなイメージです。

SNSと同様、ちょっとしたスキマ時間を満たすエンタメであり、じっくり読み込んだりする手間を省き文脈を重視しない方向によっています。

 

SNSでも、反射的にアクションを起こす人はかなり多いように感じますが、アプリ漫画の楽しみ方も「反射的」という視点が大事な気がします。

そのため、思考をあまり介さず、脳味噌のより本能的なところに届き、反射的に作用するもの(エロやバイオレンスなどシンプルな刺激)がうける傾向が強まるのでしょう。

これは、紙雑誌と比較して人目を気にしなくて済むという特徴とも相まって、アプリ漫画作品全体の傾向を左右しているように感じます。

 

スマホを手にわずか数秒で取捨選択されていく中で、反射的に選ばれなければ膨大な作品の中で埋もれてしまう過酷な世界です。

この世界で生き残るには、漫画的な生存戦略だけでなく、SNS的な生存戦略も重要なのかもしれません。

 

そもそも紙雑誌だと、毎号読んでいるお気に入りと一緒に載っている作品は、いつの間にか何度も目に入り、いつの間にか気になってきたり(単純接触効果)するものですが、アプリ漫画はそうなりにくいのが悩ましいところですね。



● アプリ漫画とタイパ

アプリ漫画は、課金しなくてもそれなりに読むことができます。

よって、シンプルに金銭的な意味での損益分岐点(ここでの「損益」は「投資額と得られる満足感」)は、ほぼゼロスタートと言えるでしょう。

これは金を払ってもらうことを前提とする紙媒体の漫画との決定的な違いです。

 

しかし、だからこそアプリ漫画では、コスパではなくタイパの視点が極めて重要になってくる気がします。

「時は金なり」ということで、「かけた時間に見合う満足感が得られるのか?」という視点です。

 

「損をしたくない」=「時間を無駄にしたくない」=「最低限の質の保証を求める」

 

結果、動画のサムネのように、反射的に判断する材料に強力な需要が発生し、それをもとに取捨選択されていくのでしょう。

目に留まった一瞬の情報の中に、読む価値を反射的に見出せる情報が含まれているのかが、提供する側に求められているのかもしれません。

これはウェブ小説などでも同様の傾向を感じますが、集客力のある分かりやすいタグ(カテゴリー名)がとにかく力をもって、そこが集中的に活気づく現象につながっているように思います。

 

少なくともアプリ漫画では、たくさん見てもらえるものを描きたいなら、基本的には、ニッチを攻めるより、人気カテゴリーをしっかり意識すべきなんでしょうね。

 

 

 

● アプリ漫画とニッチジャンル
 

ただし、一方で、アプリ漫画は本来ニッチジャンルを許容しやすいはずです。

紙媒体であれば、雑誌のページ数という制約の中で作品ごとのスペース奪い合いが繰り広げられますが、アプリ漫画は偉い人が判断すれば原理的にページ数や作品数の制約はありません。

これは、マーケティングにおいて、実店舗をもつかオンラインのみで完結するかの違いと同様。

すなわち、アプリ漫画はロングテールモデルに対応し、ニッチな作品を大量に抱えることで全体としての利益を生み出すことができるのではないか……と思うのですが、このあたりはどうなんでしょう。

(冷静に考えると、「漫画家と担当編集」というシステムによって、実質的な物理制約が発生しているのかも。編集部のマンパワーは有限なり)



● 少し長い目で見たときのアプリ漫画と紙媒体の漫画の違い

アプリ漫画はSNS的で反射的……みたいなことを先に書きましたが、もう少し長い目で見るとどうなんでしょう。

これまでの人生で面白いと思った漫画作品は、もしアプリ漫画ではじめて触れていたら、つまらない作品だと思って切り捨てていたのだろうか?

個人的には、「そんなことはない」と思います。

ということは、結局、アプリ漫画と紙媒体の漫画の違いは何なのか?

 

これは「スタート」の違い

人々に浸透するにあたってのメカニズムに差があるのであって、もし各作品に十分な時間が与えられていれば、アプリ漫画か紙媒体の漫画かを問わず、生き残るものは生き残り、ヒットしていくような気がします。

つまり、スタートダッシュの考え方に媒体の差があり、それ以降は結局、「作品(漫画)としての質」という共通の土俵で自然淘汰の原理が働いていくのではないか。

そして、ヒットの流れに乗り始めれば、メディアミックスなどの階段を上り始めて、最終的にあらゆるタイプのコンテンツと同じような形に収束し、消費されていくのでしょう。

 

ただ、やはりスタート地点の状況は決定的に異なります。

現状のアプリ漫画は、「腰を据えてじっくり」という雰囲気ではなく、「とにかく突っ走りながら大混戦をどうにか生き抜くしかない」という状況。

「単行本2巻から面白いんだ」「3巻までは序章」みたいな作品は、現在のアプリ漫画では生き残れないでしょう。

これが恒久的なものかと言われると疑問ですが、いまは結局SNSと同様の「目立ったもの勝ち」なんでしょう。
 

SNSが社会に大きな影響を及ぼす現代(一般人が当然のように発信者になる)において、人々は「知れ渡っていないけれど面白いネタ」(=バズりそう)に飢えています。

よって、一昔前と比べれば、見つけてもらうためのハードルはかなり低いはずです。

「スタートダッシュ」(はじめからキャッチーな要素を惜しまないで全力投入)は、見つけてもらうまでの時間短縮に影響します。

これは同時に、生き残るための最初の関門なのでしょう。

「腰を据えてじっくり」でない以上、「作者が最も届けたい読者とのマッチング成立」が達成されなければ、あっという間に淘汰されてしまいます。

しかも、自然淘汰のサイクルは物凄く早い。

「逐次投入」は現状では悪手と言えそうです。

 

 

 

以上。

いろいろ書きましたが、実際のところ僕は「制作者が本気で納得して面白いと思ったものを遠慮なく世に放ってくれ」としか思っていません。

ここのところをクリアしていなければ、ほとんどの場合、そもそも何も始まらない気もしますし。

 


sho