
「君たちはどう生きるか」備忘録
須々木です。
カヘッカヘッカヘッ pic.twitter.com/uUYHjaNMsX
— スタジオジブリ STUDIO GHIBLI (@JP_GHIBLI) July 13, 2023
というわけで、宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」見てきました。
カヘッカヘッ?
せっかくなので、今回も備忘録を好き勝手にまとまりなく書いておこうと思います。
毎度のことながら、あくまで個人的な見解であることをご了承ください。
ちなみに、「風立ちぬ」については以下の記事参照です。
※※ 以下、映画「君たちはどう生きるか」ネタバレ注意 ※※
そもそも見る前に少し思いましたが、タイトルの付け方が前作「風立ちぬ」と似ていますね。
既存の作品のタイトルをそのまま使っているものの、内容的にはほぼ別物(オリジナル)というスタイルです。
そして、やはり見てみると「風立ちぬ」とセットで感じるべきものであると思いました。
「風立ちぬ」は宮崎駿が引退を宣言して作り上げた作品。
「君たちはどう生きるか」ではたぶん改めて引退宣言はしていない気がしますが、それを意識していないことはないであろう作品。
両作ともに、宮崎駿が“宮崎駿”の終わり(作家としての終わり、人間としての終わり)をリアルに感じながら作り上げた作品でしょう。
これら二つの作品は、どちらもリアルベースの日本の戦時中を描いているという共通項があります。
1941年に生まれた宮崎駿の幼少期に相当する時代です(数年のギャップはあるとも言えるが)。
また、自らのルーツとも言える戦闘機製造と接点を持つ主人公というのも似ています。
もちろん、「風立ちぬ」は戦闘機がシナリオの軸であり、責任ある大人として主人公が描かれている点で、直接的に戦闘機に関わらない「君たちはどう生きるか」とは異なります。
しかし、実家の航空機製作所とともに疎開した宮崎駿の幼少期の経験がベースにあることは共通しているでしょう。
このように似た点も多い「風立ちぬ」と「君たちはどう生きるか」ですが、印象はだいぶ異なります。
あくまで個人的な感覚ですが、「風立ちぬ」はベクトルがよりストレートに自分に向いていて自伝的だったように思います。
自分がやってきた仕事を振り返り、意味づけをしていくような感覚の作品でした。
重みのある独白をアニメーションとして聞かされるような感じです。
一方、「君たちはどう生きるか」は、自分をつくってきた周囲の人々まで組み込んでいて、どこか遺言的な雰囲気を感じました。
一般の観客に向けて何かを伝えようという意識は相対的に低く、より自由で非商業的、同人的な作品と思えました。
言いたいことをこの一作で言いきるため、商業的に整えるための「削る作業」そのものを削ってしまったような作品でした(故に、非常に要素が多く感じる)。
そして、鈴木Pが「宣伝しない戦法」をとったのは、本作があまりに非商業的であり、「商業的な慣例に則った宣伝」が難しすぎたせいではないかとも思います。
内容に関しては、正直よく分かりません。
シナリオはいろいろよく分からないし、伏線がどうなっているのかの判断は難しいです。
もしかして、もっとしっかり見ると分かってくるのかもしれませんが。
この「分からない感じ」は、宮崎作品において「もののけ姫」まではほとんどなかったような気がします。
「千と千尋」で断片的に入り始めて、その後、より目立つようになってきたと思います。
「ハウル」や「ポニョ」は、この路線の到達点と言える作品だと思いますが、「もののけ姫」でひとつの頂点を極めて以降の宮崎作品群の特徴でしょう。
よって、「風立ちぬ」がちょっと違う路線だったことを考えれば、「君たちはどう生きるか」は路線回帰なのかもしれません。
しかし、「ハウル」や「ポニョ」のような“エンタメのラッピング”(分かった気にさせる効果)もより省かれてしまっているので、「いろいろ分からない感じ」「シナリオ解釈が明示的でないこと」を許容できるかどうかで賛否が大きく分かれそうです。
客にアートを鑑賞するようなスタイルを求める形になり少々酷な気もしますが、これこそレジェンドの特権なんでしょう。
極端に分かりやす過ぎるものが蔓延る現代において、このように分かりにくいものに触れられる機会は貴重だと思いますが、この感覚はまさしく現代アートに触れるときの感覚です。
これを「ただのアニメーション作品ではない鑑賞体験を得られる!」と捉えるか、「アニメーション作品の体を成していない!」と捉えるかは個人の自由だと思います。
みんなで同じ見方をする作品でないことだけは確かでしょう。
ひと通り思考した後、タイトルについて考えてみることが多いのですが、今作「君たちはどう生きるか」はなかなかどうしたものか。
「君たち」とは誰のことなんでしょう?
普通に考えると「映画を見た人たち」「これからの時代を生きる人たち」みたいな気はしますが、個人的には「宮崎駿の周囲の人々」という気もします。
本作は、わりと狭い範囲の人々に向けて作った作品なのではないか。
だからこそ「外野」である我々には余計に意味が分からないのではないか。
もしくは、「君たち」というのは結構どうでも良いのかもしれません。
本作は結局、小学生だった宮崎駿が、教科書に載っていた『君たちはどう生きるか』に強い印象を受け、長い時を経てようやくアンサーを形にできた作品。
そう考えるなら、本作冒頭に掲げるタイトルが「君たちはどう生きるか」となるのは、もはや必然という気がしてきます。
「宮崎駿は、こう生きたんだよ」と。
そして、それをどう捉えるのかは、皆さんの自由だと。
○参考 : 「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督が、新作映画について語っていたこと。そして吉野源三郎のこと|好書好日
sho