即日新人賞の講評と、漫画の話をつらつら
どうも遊木です。
3月後半はもろもろの事情で瀕死の状態でした。
何が瀕死って鼻が。鼻が。鼻が水を流していた……私は重度の寒暖差アレルギーなのだよ……!!
やや間が空いてしまいましたが、3月の前半に「設定交換制作企画vol.2」の結果発表を行いました。
最終的な結果、サークル内で行った講評会の内容は特設ページに公開してあります。今回は外部の方にも協力して頂いたので、よろしければ是非ご覧ください。
※「設定交換制作企画」…RW内で行った創作企画。メンバー間で設定を交換し、作品制作を行う。媒体は自由。
さて、以前のブログでも書きましたが、この企画のために制作した漫画「黒い塔」は、2/11のCOMITIAで行われた「即日新人賞」にも提出しました。
設定交換企画が一通り終わったので、今回はそのときに頂いた講評と、私が考える漫画制作云々について書きたいと思います。
※即日新人賞含むCOMITIA123の感想は別記事にまとめてあるので、先にそちらを読んで頂いた方が良いかもです。
※「黒い塔」を読んでいないと分かり辛い内容です。
まず、さくっと「即日新人賞」で貰った講評内容を載せておきましょう。
○モーニング・ツー
・画力はありますが、主人公の感情をもっと見たかったです。内容も少し詩的過ぎるかと。
・画力はありますが、表情に魅力がないのが気になりました。ちょっと説教臭い気も…!?
○ITAN
・テーマがあるのが良いですね。かなり観念的で多くの読者に届くかどうかは疑問です。
・とても作り込んでいる点に好感を持ちました。絵が上手いのに台詞主導というのがもったいない。
○アフタヌーン
・画力が高く台詞回しにもたまに光るところがあるのですが、モノローグポエムに振り過ぎているのがおしいです。
・雰囲気のある画面。モノローグに頼りすぎているのが残念。
講評に対する感想ですが、指摘箇所に関してはどれも「せやな!」という感じです。
むしろ、思っていたより講評内容がプラスの印象でした。というのも、ほぼ全ての編集から「画力への評価」があったからです。
今作は約2年ぶりのアナログ作画で、新しい手法に挑戦し、いつもより大分「画面作り」に力を入れていました。そして実は私、ネームまで切ると満足してしまい「誰か作画してくれんか」と思うタイプなのですが、今作では初めて「ネームより作画が楽しい」という状況を経験しました。(自分でも驚きました)なので、力を入れ、かつ楽しんで出来た部分を評価して貰えたことは、純粋に嬉しかったです。
正直にいうと、私は講評されるまで自分の作品が「これは漫画じゃないね、出直しておいで」と言われても「うっす」しか返せない内容だと思っていました。……いや、制作自体はとても真剣に取り組みましたよ?
今回の作品テーマは“詩のコミカライズ”、そして“物語性とキャラクター性の排除”。
自分でも捻くれたテーマだとは思いますが、これは既存の何かに対するアンチ表現ではなく、私が「漫画の可能性」を追求する上でこなしておきたかった、今後の制作のために必要な実験でもあり、ポジティブなモチベーションの末に考えたものです。……どんなに内容がアレでも!ネガティブな気持ちはないです!
一方今作が、広く愛されている漫画の在り方からはずれた、“読者不在感”の強い作風である自覚もあります。(なんといっても一番の目的が自分のための実験だったので)なので、そのような作品を「即日新人賞」という、商業漫画としての実力をはかる場へ提出することにはそこそこの躊躇いがありました。
しかし、畑が違う場だからこそ今作がどのような評価を受けるのか大変興味があり、その評価は今後の創作活動の参考にもなると考え、賞にお邪魔させて貰った次第です。そして大変勉強になりました。取りあえず「こんなの漫画じゃねぇ」と言われなくて良かった。
あと、「設定交換企画」で行った投票も含め、男女で作品の評価がぱっかり割れていたのが面白かったです。
ところで私は漫画……というか創作物全般ですが、とにかくものを作る時、その作品を自分が作った“料理”にしたいのか、それともなるべく加工しない“食材”の状態にしておきたいのか、大体この2種類のどちらかに分類して制作を始めます。
多くの人に楽しんで貰いたい、より多くの人にメッセージを届けたい、このような狙いの作品は“料理”タイプです。より多くの人の心に届くよう、食材を加工し、塩こしょうをふって、盛り付けにも気を配って、美味しそうに見せなければいけない。主に、商業誌に投稿したり、エンターテインメント性を求める作風です。
では、“食材”タイプとは何か。これはつまり、調味料を加えたり食べやすいサイズに整えたりしていない、ありのままの姿のもの。場合によっては不格好だったり渋い味だったりするけど、それらを含めて“素材の味”として好いてくれる人に届けたい、そんなアート寄り感覚の作風です。ちなみに「黒い塔」はこっち。
私は制作の際、「今回はどちらのタイプだろう」と考えてから作り始めます。しかし、実際に理想としているのは5:5なんですよね。紙一重でどっちつかずの作品になりそうですが、上手く嵌れば名作になるのは、実はこのバランスだと思っています。
話は変わりますが、先日、ゲンロンカフェで漫画教室の説明会を聞いてきました。
そこで聞いた話で印象に残っているのが、「漫画は安く大量」という言い回しです。
アートと漫画の決定的な違い、それがまさに「数」と「値段」だと思います。少ない作品数に大きな値段をつけてその価値を図るアートに対し、漫画は、低価格で、なるべく多く数を出した方が評価される。唯一性を重視するアートと、大衆性を重視する漫画、この価値観の差が「漫画だって芸術」という思想に、なんとなーく待ったをかけている要因なのかなぁとも感じます。(ただ、個人的に同人漫画は少しアート的価値観が沁み込んでいる気がしなくもない)
私は、いつか“唯一性を重視した漫画”が広く認められるようになれば、もっと創作界隈が面白くなるのではないかと考えています。(個の作品という意味ではなく、ジャンルとして)アートの方は、デジタルツールの普及で、結構大衆性を重視したものも出てきていますよね。だったら、唯一性を重視した漫画が価値を認められる時代がきても良いんじゃないかなぁと。
私は別に、“食材”タイプのような漫画が、もっと多くの人に読まれるようになって欲しいと思っているわけではありません。(それでは結局大衆性重視と変わらないですし)私が言いたいのは、従来の「低価格で多くの人に読まれることで価値を高める漫画」と「相応の値段で極めて限定的な人に読まれることで価値を高める漫画」どちらの在り方も広く認められる状態になれば良いのになぁ、ということです。
そうすれば、現状ではほとんどが趣味の域から出ない“食材”タイプの作品にも、そういった作風を好む制作者にも、もっといろいろなチャンスが巡ってきたり、「創作で生きられる可能性」が増えたりするのではないでしょうか。
……ここまで書いて気付きましたが、Random Walkがサイトで掲げている究極的な目標に、これが含まれている気がしてきました。つまり、自分たちでやってしまえということか…!(天啓)
というかね、何か新しいあり方を模索しないと漫画業界は衰退すると思うんですよ、そう遠くない未来に。
ここまで、あれこれと御託を並べましたが、漫画をつくるたびにこのようなことを考えているわけではありませんよ。もっと軽い気持ちで作る時ももちろんありますよ!
では長々失礼しました。
制作がんばります。
aki