天空の真下 -29ページ目

天空の真下

空想大好きな、永遠のドリーマー

実態は
齢60にして危ういくらいの豆腐メンタル
危ういくらいの平凡な日々

サソリを二匹飼っている。

マニアックなペットだとは思う。

もともと一匹を同居人が買ってきて、しかして完全なる無知から逃がしてしまい、
間髪をいれず代わりのものを購入、
ところが先に購入し脱走したほうが、1ヶ月ほど経て寝室に出現し、捕獲。出戻り。

二匹飼いで今に至る。
なかなかかわいい。

が、彼ら本人たちのことはいずれ別個に書くことにして・・



今日は彼らのゴハンのお話。

彼らは昆虫を食す。
うちではもっぱらペットショップで餌用に売っているコオロギだ。

主にヨーロッパイエコオロギ(通称イエコ)、またはフタホシコオロギ(フタホシ)。

前者は薄茶色、後者はほぼ黒。
どちらもゴキブリっぽくてキモい。
羽と触覚はかなりゴキブリチックだ。

もちろん筆者は触(さわ)れる。

一度、同じく餌用に販売しているデュビアという”もろ”ゴキブリの一種であるものを与えてみたが、
床材(チップ)の下にもぐりこんでしまい、サソリものんびり屋でついつい食べ損ねてしまううちに
やつらは徐々に成長していってしまうのだった。

こいつらは、幼虫のときはダンゴ虫っぽくてかわいいのだが(筆者は触れる)
成虫になってしまうと、特にオスは”まんま”日本の家ゴキと同じようなものに変化(げ)してしまう。
(こっちになってくるとさすがにガクブルで触れない)

てなわけで、最近はもっぱらコオロギだ。

当然、コオロギなので日本のよくいるエンマコオロギと同じように成虫になれば、オスは鳴き、メスは卵を産む。

以前は我が家では、そこいらで捕まえてきたカナヘビやヤモリを飼っていたときもあった。
彼らのサイズは小さいので、ペットショップでは餌コオロギ”S"を購入していた。

だが、彼らは実際本当に家の周りの自然の中で普通に生きていたわけだから、われら飼い主、餌の採集も怠らなかった。
ダンゴ虫に(あまり好まなかった)、エンマコオロギ”S"、クモ、ちっちゃいカマキリ、バッタ,蛾などなど・・。

がしかし、これらの採集にいつしか疲れ果て、日本の野生爬虫類の飼育はほどなく途絶えた。


今のサソリはそいつらより楽だ。
とりあえずペットショップの餌用コオロギさえ与えておけばいいと思っている。

ただ、サソリたちはカナヘビちゃんたちと違ってサイズがでかいので、餌コオロギ”L"を食する。
Lサイズだから、当然成虫も含まれる。

彼らコオロギはわれわれに買われ、袋に詰められ、家に戻る道中ですでに鳴き出す。
まぁ鳴くのは当然オスなのであるが、これがまた哀愁を誘い、情が移ってしまう。

以前はコオロギ女子も繁殖のためという名目で、餌とせずお情けをくれてやったこともあったが、その繁殖とやらに失敗してからは、容赦なくサソリの餌として送り出している。

自分にとっては、コオロギ男子のほうが女子より圧倒的にかわいいわけで、
そのけなげに鳴く姿を見ると、とてもサソリの餌食にするのは残酷なように思われてしまう。

チリチリチリ・・・・ととてもかわいく物悲しく鳴くのだ。
今も飼育ケースの中で鳴き続けている。

彼らの求婚相手であり、所帯を持ち、彼らの子孫を産み落とすべきだったメス達はとっくにサソリに食され
無残にもすでにして他界してしまっている。

そのおぞましきサソリ小屋の横のケースの中で、男子コオロギはいるはずのない女子を想い、
日夜恋しく鳴き続ける。

俺は、この男子の行く末を案じる。
生きることを享受させてやってもこの11月の冷え込みで、彼らの命も風前のともし火だろう。


いっそのこと、サソリの役に立たせようかとも思うのだが、・・・・・


どうも俺は



あの泣き声に、弱い。
前日の11月1日は友人のお通夜。



もうこの世にいない・・・これが事実なのに、実感がわかない。

年のせいか、喪服を着て斎場に足を運ぶことが、年々多くなっていく気がする。




不謹慎だが・・・・・


自分は斎場の雰囲気が、なぜか不思議なくらい好きだ。
異界に通づる一歩手前の場所。


この世とあの世の境界。
日常と隔離された独特の空間。


厳かであり、そしてなぜか奇妙に明るい。
泣きじゃくっている人々を横目に見ながら、自分はこの独自の違和感に酔いしれる。

 
ずっとこの場に留まりたいと思う。
いつまでも、このときが続けばいいのに・・とさえ。




そして翌日には平凡な日常が訪れる。

容赦なく自分で自分を貶めていく、
平凡な日常。
なんとなくそこそこマジに自殺考えちまったりしてた。
でもねえ、実際あんなの到底怖くて出来るもんじゃないってのがよくわかった。

車運転してても自ら事故って死ぬ勇気などこれっぽっちもなくって、
どっかよその車が自分にぶつかってくれて死んでしまうぶんにはいいけど…なんて考えてた。

いや、やっぱり死ぬのは生きる以上に怖すぎる。

気のせいか、そのころから自分の霊感が強くなったような気もするんだが、
きっと死者たちから、おまえは死ぬには値しないやつだってたしなめられているような気がしないでもないです…。

そして美味いもんを食い、心熱く燃え滾る映画なんかを見ると…
あー死なんでよかった…、と心の底から染み入ったりするのである。



それより先日、そこそこ親しくしてた友人が亡くなった。
ガンとの闘いが何年も続いた末の事だった。

最後に会ったのは今年の夏前か。
車椅子に乗り、笑顔で語り合ったその人の姿を思えば、まだ
この世にいるような気がしてならない。



生きようか。


よく持ってあとせいぜい20年足らずの人生だ、なんて考えちゃえば
どうせ自然に訪れる死をいつしか受け入れるだけ。

それまで、この世に自分は何を残せるかな?


そんな事をしみじみ感じ入る今日は11月1日。


晩秋の入り口である。