父が亡くなった。
急死だった。
あっという間に旅立ってしまった。
時節柄葬儀場が混んでおり、葬儀は亡くなった日から3日後に執り行われた。
実家で死装束を着させ、(ドライアイスでコチコチに硬直していたため、白い纏いは上からかぶせる形になった。)
棺桶に移し、(体格のよい人だったので特大のものを用意してもらった)最後に色とりどりの花で埋め尽くしてあげて、葬儀場に向かわせた。
火葬のみで済ませ 弔電もいらず内輪だけで、ささやかに見送ることにしたが、あまりにもあっけなかった。
80歳という年齢の割には、骨はしっかりとしていて骨壺も一番大きなサイズにしてもらった。
斎場から、再び我が家に戻った父はささやかな祭壇の上で、位牌と蝋燭と線香と、白い花とともに四角く美しい白い箱の中で今ひっそりと眠っている。
7年前に動脈瘤乖離で8時間の大手術で一命をとりとめ、今回再発し今度こそダメだった。
ある意味、あの時からずっと覚悟していたので、7年間充実した余生を送れたのではないか…と一同穏やかな気持ちでいる。
母は認知症が入り、イマイチピンと来ていないようで、亡くなった直後からとぼけた事を連発しては周りからは失笑の嵐だった。
父の身辺整理で弟が今一番大変そうだが、同居で独り身なので彼に多くは任せようと思う。
ただ、自分はというと心残りといえばない訳でもなく、親の心とのズレは微妙に埋まらないまま、旅立たれてしまった…という事かな~_~;
色々と煩わしい事が重なり、実家を避けていた自分はとうとう父と言葉も交わさず、顔を合わす事もなく死に目にも会えなかった。
自分がアウトローである事を何処か親の責任でもあると感じざるを得ないまま、もう父と二度と会えないと悟った今とても会いたい気持ちでいっぱいになる。
それが正直な気持ち。
父は父なりに、俺を「守ろう」として色々とやってくれてはいたんだ…という事にようやく気付いた。
望まない人生を歩まされたのでは…と逆恨みをしたりもしたけど、今はそんな気持ちもどうでも良くなった。
自分にとってたった一人の父親だったんだ、と懐かしい気持ちだけが今はよぎる。
父の見送りの前日には、久々に実家に泊まり(何故かそうしたくて仕方なかった)、父の亡骸と一つ屋根の下で最後の一晩を過ごした。
何にしろ、親の死にこんなに穏やかな気持ちで臨めて少し今は拍子抜けなくらいだけど、自分も残りの人生精一杯やっていかな…って感じか(^_^*)
アメリカの作曲家フォスターのあの歌が頭をよぎる。
南部の奴隷が、今は亡き優しかった主人を偲ぶ様子を歌詞にしたものだという。
状況はまるで異なるが、あのメロディーが何故か父の死語から自分の心の琴線に触れている。
※写真は父の実家のあった岩手県花巻市の風景。
白黒は昭和初期の市街地の写真を拝借。







