天空の真下 -20ページ目

天空の真下

空想大好きな、永遠のドリーマー

実態は
齢60にして危ういくらいの豆腐メンタル
危ういくらいの平凡な日々


前にも先にも"生ランディ"を見たのはそれが最初で最後だった。


話は前後するが、僕にとっての東日本大震災の話に移らせてもらうと、10代僕は宮城県名取市というところで過ごした。
そこから、隣の大都会仙台の高校に通っていた。
ランディのStrengersやそのLyin' Eyes口ずさみながら、心の中で響かせながら、友達と仙台の街を練り歩いた忘れられない高校最後の思い出の日々だった。

それから東京の大学に受かり、家族も関東に基盤を移し、東北は自分から少し縁遠くなっていった。
でも青春の思い出の地として大人になってからもあの土地が心から離れることはなかった。


2011.3.11
そして、あの未曾有の大震災。
僕の住んでいた名取市も仙台市も甚大な被害をうけた。
住んでいた場所は内陸だったが、すぐ隣の地区の沿岸部は壊滅的な被害で街は跡形もなく消滅してしまった。

10代、よく遊びに行ったり、学校の写生大会とか笹かまぼこ工場の見学、色々な行事で度々その地を行き来した。

剣道の朝稽古も、被災したかつての中学校で行っていた。

その他にも遊びに行ったりした記憶のある思い出の地が次々と被災した。

決して一生忘れることはできない。
辛かった。
津波の映像がテレビで流れるたび、今でも涙が止まらなくなる。

その後、ボランティアや高校の同期会も兼ねて震災直後の土地に何度か足を運んだが、実際現地に行って目の当たりにすると、さらに哀しみは癒えなくなり、その一方で懸命に生きる東北の人々に逆に勇気をもらったするのも事実だった。

僕の知る限りでは、直接関わりのあった人で亡くなった方は今の所いない。ただ、親戚が亡くなったり、実家が流されてしまった人もいた。


実は高校時代の一番の親友の消息が分からない。
友達に聞いても音信普通で…。
ひどく仲が良かったのだが、大学に進学してから些細なことで喧嘩別れしてしまい、付き合いが途絶えてしまった。
でも今でも彼の事を度々思い出す。

彼の実家は常磐線の駅の近くにあり、よく泊まりにも行った。

その駅と近辺はあの津波で、激しい破壊の爪痕が見て取れた。

電話をしても、現在使われておりません…のアナウンスしか流れず、他の友人に聞いても彼のことはわからない。

実はその彼、僕の音楽に共感し、イーグルスやランディの話をいつもきいてくれて、一緒にレコードも聞いたり、そしてランディの来日の時も一緒に上京してくれて、二人でコンサートに行き、一晩ホテルで語り合った仲だった。


いずれにしても、あの震災で僕の心は変わった。

人の死は辛く悲しい。
そして、それを乗り越えて希望を見つけて生きていこうとする人々の姿も今回の震災で知ることもまた出来た。一方で、立ち直れず打ちひしがれる人々もまだ大勢いることもとてもよくわかっている。

人々は、悲しい…

だけど、いつかは"Try And Love Again"




前にも先にも"生ランディ"を見たのはそれが最初で最後だった。


話は前後するが、僕にとっての東日本大震災の話に移らせてもらうと、
10代僕は宮城県名取市というところで過ごした。

そこから、隣の大都会仙台の高校に通っていた。

ランディのStrengersやそのLyin' Eyes
口ずさみながら、心の中で響かせながら、友達と仙台の街を練り歩いた忘れられない高校最後の思い出の日々だった。


それから東京の大学に受かり、家族も関東に基盤を移し、東北は自分から少し縁遠くなっていった。
でも青春の思い出の地として大人になってからもあの土地が心から離れることはなかった。


そして、あの未曾有の大震災。
僕の住んでいた名取市も仙台市も甚大な被害をうけた。

住んでいた場所は内陸だったが、すぐ隣の地区の沿岸部は壊滅的な被害で街は跡形もなく消滅してしまった
10代、よく遊びに行ったり、学校の写生大会とか色々な行事で度々その地を行き来した。
剣道の朝稽古も、被災したかつての中学校で行っていた。

その他にも遊びに行ったりした記憶のある思い出の地が次々と被災した。
決して一生忘れることはできない。
辛かったです。
津波の映像がテレビで流れるたび、今でも涙が止まらなくなる。

その後、ボランティアや高校の同期会も兼ねて震災直後の土地に何度か足を運んだが、実際現地に行って目の当たりにすると、さらに哀しみは癒えなくなり、その一方で懸命に生きる東北の人々に逆に勇気をもらったりもします。
僕の知る限りでは、直接関わりのあった人で亡くなった方は今の所いません。
ただ、親戚が亡くなったり、実家が流されてしまった人もいました。
長くなってしまうけど、もう少しお付き合いいただけますか?
実は高校時代の一番の親友の消息が分からないのです。
友達に聞いても音信普通で…。
ひどく仲が良かったのですが、大学に進学してから些細なことで喧嘩別れしてしまい、付き合いが途絶えてしまいました。
でも今でも彼の事を度々思い出します。
彼の実家は常磐線の駅の近くにあり、よく泊まりにも行きました。
その駅と近辺はあの津波で全て流されてしまっていました。
電話をしても、現在使われておりません…のアナウンスしか流れず、他の友人に聞いても彼のことはわかりません。
実はその彼が、僕の音楽に共感し、イーグルスやランディの話をいつもきいてくれて、一緒にレコードも聞いたり、
そしてランディの来日の時も一緒に上京してくれて、二人でコンサートに行き、一晩ホテルで語り合った仲なんです。

だけど、人の死は悲しく辛い。
そして、それを乗り越えて希望を見つけて生きていこうとする人々の姿も今回の震災で知ることも出来ました。
一方で、立ち直れず打ちひしがれる人々もまだ大勢いることもとてもよくわかります。
人々は、悲しい…だけど、いつか
Try And Love Again
夏美さんのブログ、いつも共感がもてます。
今日は長々と自分のことを書かせていただき、申し訳ありません。
読んでいただけたら恐縮です。
本当は自分のブログに書こうかとも思ったのですが、ここでコメントしたことで少し思いを出すことができました。
ごめんなさい。
お付き合いくださり、ありがとございました。
これからも是非よろしくお願いいたします。
初瀬
https://youtu.be/SPSElD_PWlE
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1976年 僕は小6だった。

当時、洋楽にはまるで興味がなかった。

そして翌年、1977年、お向かいの独身寮からABBAのダンシングクイーンがひっきりなしに聞こえてきて、なんかいいなーなんて感じだった。

同じ年にイーグルスのホテカリが大ヒットする。
家のラジオでもいつもしつこいくらい流れていたような…。
母も自然と口ずさんでいたくらいだった。

でも、僕が洋楽に興味を持つのはもう少し後になってからで、多分高2~高3くらいに突如目覚めたような気がする。

ビートルズから、イーグルスその他もろもろと突っ走ったが、 中でもこの2バンドは僕の音楽好き人生に多大な影響を与えたことは言うまでもない。

具体的にイーグルスと本格的に向き合ったのは、高3の時。

ランディ・マイズナーの3枚目のソロアルバムがきっかけで、 それが僕とランディとの出会いでもあった。

ランディに心酔し、そしてイーグルスにのめりこんだ。
Lyin' Eyes が収録された「呪われた夜」のアルバムは初めて買った彼らのアルバム。
ランディTITL も合わせて擦り切れるほど聴いたかなぁ。

その頃ランディはソロで、翌年1983年2月か3月だったか、来日の知らせを聞いていの一番にチケットを購入した。

当時僕は宮城県に住んでいたが受験を理由に上京、確かコンサートの日の午前中受験して、夜彼のライブで盛り上がり、ライブ会場でもあった日本青年館に一泊した忘れられない思い出がある。