前にも先にも"生ランディ"を見たのはそれが最初で最後だった。
話は前後するが、僕にとっての東日本大震災の話に移らせてもらうと、10代僕は宮城県名取市というところで過ごした。
そこから、隣の大都会仙台の高校に通っていた。
ランディのStrengersやそのLyin' Eyes口ずさみながら、心の中で響かせながら、友達と仙台の街を練り歩いた忘れられない高校最後の思い出の日々だった。
それから東京の大学に受かり、家族も関東に基盤を移し、東北は自分から少し縁遠くなっていった。
でも青春の思い出の地として大人になってからもあの土地が心から離れることはなかった。
2011.3.11
そして、あの未曾有の大震災。
僕の住んでいた名取市も仙台市も甚大な被害をうけた。
住んでいた場所は内陸だったが、すぐ隣の地区の沿岸部は壊滅的な被害で街は跡形もなく消滅してしまった。
10代、よく遊びに行ったり、学校の写生大会とか笹かまぼこ工場の見学、色々な行事で度々その地を行き来した。
剣道の朝稽古も、被災したかつての中学校で行っていた。
その他にも遊びに行ったりした記憶のある思い出の地が次々と被災した。
決して一生忘れることはできない。
辛かった。
津波の映像がテレビで流れるたび、今でも涙が止まらなくなる。
その後、ボランティアや高校の同期会も兼ねて震災直後の土地に何度か足を運んだが、実際現地に行って目の当たりにすると、さらに哀しみは癒えなくなり、その一方で懸命に生きる東北の人々に逆に勇気をもらったするのも事実だった。
僕の知る限りでは、直接関わりのあった人で亡くなった方は今の所いない。ただ、親戚が亡くなったり、実家が流されてしまった人もいた。
実は高校時代の一番の親友の消息が分からない。
友達に聞いても音信普通で…。
ひどく仲が良かったのだが、大学に進学してから些細なことで喧嘩別れしてしまい、付き合いが途絶えてしまった。
でも今でも彼の事を度々思い出す。
彼の実家は常磐線の駅の近くにあり、よく泊まりにも行った。
その駅と近辺はあの津波で、激しい破壊の爪痕が見て取れた。
電話をしても、現在使われておりません…のアナウンスしか流れず、他の友人に聞いても彼のことはわからない。
実はその彼、僕の音楽に共感し、イーグルスやランディの話をいつもきいてくれて、一緒にレコードも聞いたり、そしてランディの来日の時も一緒に上京してくれて、二人でコンサートに行き、一晩ホテルで語り合った仲だった。
いずれにしても、あの震災で僕の心は変わった。
人の死は辛く悲しい。
そして、それを乗り越えて希望を見つけて生きていこうとする人々の姿も今回の震災で知ることもまた出来た。一方で、立ち直れず打ちひしがれる人々もまだ大勢いることもとてもよくわかっている。
人々は、悲しい…