こんにちは。蓮水りのです。
私が妊活をはじめたのは39歳です。
2012年8月に仕事を辞めて、9月に風疹ワクチンを受けたので、本格的にスタートしたのは、12月からです。
30歳、31歳のときに妊娠したときは、苦労せず、すぐに妊娠しました。
だから、心の中で、すぐに妊娠するかな~という気持ちと、年齢を考えるとそんなにうまくいかないかもしれないという気持ちの半々でした。
しかも、仕事のストレスは半端なく、よくストレスで不正出血をしてました。
仕事をやめたくて仕方がなかった春頃は、毎日出血。
かといって、毎日が疲労困憊していて、休みの日に婦人科へ行くこともしませんでした。
今から考えると、子宮にめちゃくちゃ悪い日々を過ごしていました。
あるときは、朝起きると大出血をしていて、びっくりしたことがありました。
そんなぼろぼろな状態だったので、加齢だけでなく、子宮の状態も不安がありました。
・・・とはいっても、子どもがほしかった。
もしかしたら、いや、私の場合は、かなりの確率でまた早産をして、つらいことになるかもしれなくても。
覚悟を決めました。
最初、子どもがほしいと言っても、夫は賛成してくれませんでした。
過去の出来事は私だけではなく、夫にも深い悲しみの記憶として存在していたのです。
だから、妊活をするときに、夫を説得するのが大変でした。
「今度だって、どうなるかわからないでしょ!?もしそうなったら・・・。」
夫は、今まであまり口にはしなかったけれど、子どもをなくした悲しみをもうこれ以上経験したくないと。
それは、私自身ずっと苦しんできたので、夫の気持ちもよくわかりました。
妊娠=幸せ・・・というよりも、私たちにとっては、妊娠=不安だから。
1度目の妊娠時、アロマテラピーを活用し自然なお産をうりにした助産院へ通っていました。
26Wのときに、夜遅く出血をして、救急車を呼びました。
助産院は、リスクに対応できません。救急隊員の方も困って、受け入れてくれる病院を探していました。
私は、赤ちゃんが下に降りてきている感覚があって、非常にまずい状況だとわかりました。
受け入れてくれた病院で言われたのは、子宮口が開いて赤ちゃんが降りてきていると。
子宮頸管無力症であろうとのことでした。
26wで早産したら、目や耳の障害のある子の確率が高いので覚悟しないといけないと医師から説明も受けました。
ただ、その病院は、超未熟児の管理はやってないから、NICUがあるJ大学病院へ電話して早産した場合の子どもの受け入れを要請してくれました。
しかし、満床だと断られたそうです。
早産したら、もうこの子は生きるすべがない。。。必死でした。。。
でも、無情にも朝から陣痛は始り、夕方には出産してしまいました。生かしてあげられないわが子を。
その後の私は、もう・・・。いま、こうして書いていても涙で画面がよく見えなくなります。
悲しみがいえないまま、翌年には2回目の妊娠をします。
今度は、助産院ではなく、子宮口を縛る手術をしてくれる病院へ通っていました。
21Wに手術しました。
”今度こそ!子宮口を縛って安静にしていれば大丈夫だって先生も言っているし!”
相当リキんでいましたね。子宮口縫縮手術をすれば、大丈夫だと。
でも、信じられないことが起きたのです。
手術して1週間後、入院中に子宮口が開いて、陣痛が起き、またもや早産。。。
この世に、”絶対はない”んだと、自分の運命を呪ったし、夫への罪悪感で精神的に不安定な30代を過ごしました。
こんなことがあった私たちが、また妊活なんてしていいのだろうか・・・。
私自身ずっと悩んできました。
病院で手術をして予防的措置をしても、うまくいかなかったのに。
もう自分の子宮はダメなんだと、お金もないのに代理母出産とかいろいろ考えました。
自分に絶望して、自分の子宮を恨んで、生きる意味を失って。
・・・でも、それでも、子どもが欲しかった。
夫の反対する気持ちもよく分かりましたし、私の妊活は夫と話し合うことから始まりました。
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