こんにちは!蓮水りのです!
私は、学生時代から、人の悩み相談を受けることが多かったです。と同時に、自分自身も悩みのつきない日々を送っていました。
大学では、心理学を専攻しました。人の心の仕組みについて、とても興味があって。そして、いつか臨床心理士などの心の仕事をしたいと思っていました。
ユング心理学で有名な河合隼雄先生の臨床の研究会などに参加し、臨床の現場でのお話に衝撃を受けました。
河合先生のような臨床のプロでも、心をすり減らしながら、クライアントさんに向き合ってらっしゃる。
簡単にできる仕事ではない。そう思いました。
大学院出て、すぐに臨床心理士になるのではなくて、もっと人生経験を積んでから心の仕事をしようと決意しました。
大学院では、臨床というよりもメンターの教授に引っ張られ、発達心理学の研究をしました。
研究テーマは、”対人関係のネットワーク”について。屋久島へ単身2度、島の人々の対人関係のつながりについて研究しに行きました。
しかし、そんな論文作成のための研究生活に、だんだんおもしろみを感じなくなりました。まさにその頃、人生初の入院を経験しました。
孤独で不安な入院生活。そんな中、自分を癒してくれたものは、友人や家族からもらったお花。
小さいころから、野っぱらにはえている草花は大好きでした。でも、このときのお花から受けた感動は、今でも忘れられません。
自分は、人の心を理解しようと心理テストや面接調査をして、研究をしているけれど、お花は、そこにあるだけで私たち人間の心を癒したり、感動させる。
お花の世界にのめりこみました。博士課程まで進学していたのに、中退して花屋でアルバイトをする生活。
親不孝者です。。。
花屋では、深夜まで、一生懸命に働きました。時給は、850円。お金のためではありません。
お花を買ってもらうお客様のため、花屋のオーナーさんたちのために頑張ってました。大変だったけど、楽しかったですね。
最後の方は、花屋の支店まで、任されるまでになりました。
その後結婚し、相手が転勤族だったため、花屋は辞めて専業主婦に。
でも、家でじっとしている性格ではなく、花屋時代にお世話になったアロマセラピストに自分も憧れて、資格をとりました。
今でも、アロマトリートメントの仕事をいつかやりたいなと、思っています。
そして、結婚して2年。30歳のとき、初めての妊娠。そして、6カ月のときにまさかの早産。子宮口の力が弱い子宮頸管無力症であろうということでした。
それから、地獄のようなどん底の日々が始まりました。
不安定な精神状態のなか、なぜ?と自分に起きたことが現実なのかどうか、むしろ夢であってほしいと思う毎日。
夫への罪悪感と同時に、自分を卑下し、人生を絶望していました。
この状態から這い上がるためには、子どもしかない。どうしても子どもが欲しいと、とりつかれたようにもなっていました。
そして、子宮口を縫縮する手術をしてくれる病院を必死で探し、今度こそ絶対に産むと。
翌年、再び妊娠できました。5カ月のときに、手術のために入院。信じられないことに、術後、1週間後に病院の中で陣痛が始まってしまいました。
絶望しました。この世に絶対はない。こんなにも、子どもに縁のない人生なのかと、自分の運命を呪いました。
それからは、夫に対する罪悪感で、ずっと苦しかったです。
外に出かけるのもつらかったですね。子どもを見るのも、子どものいる家族を見るのも、つらくて。
夫は、そんな私に自然の中に連れて行ってくれました。森へ行ったり、山へ行ったり。
私も、何とかしないといけないという気持ちもありました。空へ帰った子どもたちのために、夫のために、元気にならないと。
そして、何とか目先を変えて、人生立て直していこうかと、大好きだったお花の仕事を始めたりしました。
ネットの花屋は、3年続きました。スピリチュアルな感覚をつかって、お花を市場で仕入れて、花束やアレンジを作って、配送して。
母の日には、全国の方からご注文をいただいたりして、忙しかったです。
これは、当時私がご注文を受けてお届けしたアレンジメント。
大好きな花の仕事は、やりがいがありました。
でも、だんだんと、ネットではなくて、リアルにお客様に会って、仕事がしたい。人恋しくなりました。
それから、派遣に登録して、アパレル販売の仕事を百貨店でしてました。
洋服にはそれほど興味ないけど(笑)、お客様が喜んでいただける接客は楽しかったですね。
一生懸命にやっていたら、2年目の終わりに店長になってました。このころ39歳。
子どもを失ってから、ネットの花屋をやったり、アパレルの店長をやったりしてきましたが、心は不安定でした。
周囲の人には、そういう自分を悟られまいと元気なふりをしていました。夫に対しても、そうでした。平気じゃないのに、平気なふりして。
でもやっぱり、情緒不安定な自分が苦しくて、たくさんのセラピーを受けたり、スピリチュアルカウンセリングを受けたりしました。
いろんなところへ行きましたが、なかなか簡単に癒されるものでは、ありませんね。
仕事中、お腹の大きな女性を見かけると、ぐっとこみあげて涙してましたし。
そんな日々の中で、スピリチュアルな学びをしていくことにしました。
いろんなカウンセリングを受けに行ってもよく分からなかった、”子どもができない自分の人生について”、
スピリチュアルな視点で何か分かるんじゃないか、という想いがどこかにあったと思います。
子どもを亡くしてから、スピリチュアルな意味を知りたいとずっと思ってましたから。
小さいころから、浮遊霊を見たり、人形の口が開いているのを見たり、ホラーな体験はしてきました。
でも、もっと高次元な存在につながって、きちんと学びたいという思いもありました。
スピリチュアルな学びをしていくうちに、心の傷が癒えてきました。
それが、アパレル店長で数字のプレッシャーに追われていた39歳のとき。
39歳・・・40歳目前。 ”え・・・私、子ども・・・どうしよう” そんなふうに焦り始めました。
子どもを亡くしてから、約10年間。次の妊娠なんて、恐怖で想像もできなかった。
でも、スピリチュアルで癒された今、再再チャレンジをしてみようか。。。
39歳で妊活をはじめて、40歳で妊娠しました。前向きで、希望に満ちた妊活をしました。もう苦しい日々とは決別です。
アラフォーの妊活は、いろいろあるかもしれない。でも、毎日を楽しく生きていたら、上で待っている子どものスピリットも降りてきてくれる。
私の妊活については、【蓮水りの妊活日記】に記してます。よろしかったら、ご覧ください。
そして、アパレル店長を辞めて、妊活をして、1年弱で妊娠しました。自然妊娠です。
ここまでくるのに、本当に時間がかかりました。
私は、ずっと子どもが欲しいかったんです。その気持ちを押し殺してきたけれど、その事実に気づくための時間だったんだと思います。
精神的に不安定だったり、妊娠の恐怖心だったり、気持ちを紛らしたりして、あっという間に過ぎた30代。
妊活するのに大事な時期なのに、8年間もロスしてしまいました。
私自身が妊娠した時、すでにスピリチュアルカウンセラーとして、妊活中の皆様のセッションをさせていただいてました。
全国の皆様から、お祝いのメッセージをたくさんいただきました。妊活仲間でもある皆様からの愛の言葉に、私こそが励まされました。
そして、2014年4月、やっとわが子を抱きしめることができました。
ずっとずっと会いたかったわが子。これは、夢じゃない。本当に、自分は母になれたんだ。。。
この子に会うのに、とてもとても時間がかかりました。もしかしたら、もっと早く会うこともできたんじゃないかって思ったりします。
そして、2016年に2人目を授かりました。43歳で妊娠出産という超高齢妊活を制して。年齢じゃない。心が大事なんですね。
子ども2人授かり、それだけでも十分でした。
が、やりたいことがどんどん出てきて、
ついに、横浜日吉にサロンを持つことができました。
そして、2019年には、センター北と綱島にレンタルスペースもオープンさせました。
さらに、2020年は、法人化して株式会社こころの風通しを立ち上げるまでになりました。
やりたいことがすべて叶っています。
それというのも、皆様のおかげであり、家族の支えもあり、できたことだと思っています。
エネルギーの高い状態は、人生まるごと変わっていきます。
私の経験を通して、また私ができることで、お役にたてればと思います。
蓮水りの
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