★夫たっちゃんとの馴れ初めシリーズ★
9年前の出逢いを振り返っています。子どものいる生活とはあまりにも無縁だった二人が双子にも恵まれ今では5人の親に。
(15)ねえ神様、あなたの大切な子どもを私に授けてください。
美しい未来を待っていてください。
今は少しざわざわしやすいですが。
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変わりやすい時期といえば、馴れ初めシリーズ。私の人生にものすごく分かりやすく変容が起きた時期のお話。たっちゃんに「子どもの父親になってほしい」と爆弾発言をして、返事を待たず宮古島に向かい、産まれて初めて御神事を体験させてもらい、すっかり沖縄かぶれしたお話。
(15)ねえ神様、あなたの大切な子どもを私に授けてください。
ある御嶽に近づいただけで、涙が止まらなくなった。全身が震えて、どうしようもなかった。何これ何これ何なの!って叫んだけど「ご先祖様の涙」だった。私が生きてその地に辿り着いたことに、ただ感動して下さったんだ。私はご先祖様からみて、どれほど輝いて見えただろうか。あの頃は考えもしなかったけど、今はそう考える。
沖縄に行き恐れ多くも盛大な御神事に関わらせて頂き「祈りと陽射しが常に連動する奇跡」を体感した。一回だけじゃなく、ずっと。私が祈ると陽が射す。宮古島という土地は、神という存在を忘れていた私を祝福してくれました。ちっぽけな私を慈しみ包み込み、いとも簡単にたくさんの奇跡を見せてくれました。
あの時ご一緒して下さった方には感謝を忘れません。
って、言いつつこの時の私お金がなさすぎて。台風の襲来で延泊することになって、延泊分の宿泊代が払えず「後で振り込みます!」といったままタイミングを失い何年も払わなかったりしました。恥ずかしい(笑)←罪悪感からくる受取拒否の悪い態度。悪い態度なら任せて!ってぐらい、本当に幼かったの。
宮古島の祖父が那覇の祖母と結婚して、産まれたのが私の母。私の母は、三姉妹の末っ娘。祖母は、那覇のお嬢様でした。沖縄出身なのは聞いていましたが、母は兵庫の生まれだったので、宮古島出身とまでは知りませんでした。沖縄と言われてもピンとこない感じ。沖縄に行って初めて、母の手料理が沖縄料理だったと気づきました。祖父が好きだったメニュー。
祖父は沖縄から集団就職で尼崎に来て成功した人。電気屋を営んでいました。関西に住み、三姉妹を育てながら、沖縄の兄弟たち全員を養っていたそうです。相当な人徳者だったようで、祖父の孫だと話しただけで、涙ながらに私が拝まれたりしました。
私自身は、延泊のお金も払えないようなお子ちゃまだったので、ひたすら恐縮するしかできませんでしたが(苦笑)母も逢ったことのない、母にそっくりの母の従姉妹は、たくさんの思い出の地に連れて行ってくれました。祖父が若い頃に住んでいたお家。大きなガジュマルの木。祖父が産まれたお家の近くに大きなマングローブの森!そこかしこに神様、神様、神様!
神様を知らなかった私から、神様を知ってしまった私へ。母の従姉妹と別れたあと、親戚経由で家族と連絡をとり、祖母の17回忌へ向かいました。嵐で延泊になった結果、関西に帰った翌日が法事だったのです。ほとんど連絡を取ってなかったにも関わらず、法事であることを耳にするのも不思議な話。
今となっては、微塵も思い出せない感覚なのですが「家族は私を愛していないから、私がいなくなった方が嬉しいはず」って思っていたんです。今では、なんでそう思っていたのかすら分からないぐらいなの(笑)
って、せっかく書いたのに続きにならなかった・・・めげずに更新(笑)
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難しくて意味わからんけど(わからんのんかいw)
読み続けると理解できるようになる
宇宙の愛でできた摩訶不思議なサイト⭐️
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極度の男性恐怖症だった私が
被害者意識を超えて
夫と結婚するまでのお話⭐️
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