ラモ's kitchen -2ページ目

ラモ's kitchen

15年ぶりに再始動
ざっくり言うと
  レストランを転々とし
    2か国の公邸料理人を経て
      いまはスイスで出張料理人

また漫画の話になってしまいますが、「大使閣下の料理人」をご存知でしょうか。

 

 

こちらもドラマ化されています。

 

実際に原作者の方は公邸料理人を経験されているということで、その内容はかなりリアルに近いみたいです。

 

ごめんなさい、こちらはまだ読んだことないんです。。

 

ネットカフェでも見つけたことがなく、いつも諦めて闇金ウジシマくんを手に取ってしまう私。

 

簡単に説明すると、大使閣下とは特命全権大使のことで、世界各国の首都に設置される日本大使館のボスです。

 

ただ主要国や面積の広大な国になると大使館一か所では不便です。そこでそうした国には首都以外の都市に総領事館や領事事務所といった機関が置かれます。

 

私はグアム(正式にはハガッニャ、アメリカ合衆国の一部)とストラスブール(フランス東部の地方都市)のそれぞれ総領事館に派遣されました。なので厳密には私は‘‘大使閣下‘‘の料理人ではなく、所轄署勤務の青島俊作と思ってください。

(ただストラスブールの総領事は、欧州評議会のオブザーバーという立場も担っており、その時だけ大使と名乗ります。なのでぎりぎり大使の料理人と言ってもいい、の、か、な?目

 

業務内容はいたって単純。

会食やレセプション時の料理及び大使(総領事)夫妻の日々の食事

 

公的会食の開催頻度は国によってかなり異なります。主要国になるほどやはり忙しいです。その場合ですと料理人ふたりで回します。ほとんどの公館は原則ひとりで回します。

私の所属していた2公館は小さいですので、料理人はわたしひとり。グアムにはメイドさんが1人、ストラスブールはメイドさんが2人いました。彼女たちが会食の際には給仕をしてくれ、また洗い物も手伝ってくれます。

 

彼女たちから現地の言葉を学び、それを武器にTinderで出会う女の子を口説くも撃沈、翌日慰めてもらうというのが公邸料理人の日々です。(ウソ)

 

グアム時代、メイドのエデンさんが会食終了後の片付け中になにやらごしごししてました。

 

 

コーヒーを落とした後の出し殻で腕に磨きをかけるエデン女史

 

このコーヒースクラブ、美肌効果めっちゃあるとか。

 

このあと躊躇なく顔面の施術もいってました。女性の美への執念はすごいです。

 

エデンさんの肌はつやつやもちもちハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がお世話になった銀座のレストランのシェフは、様々な食材でデザートを作ることが得意でした。

 

例えば春が近づいてくると「新玉ねぎのアイスクリーム」

 

夏には「トマトのグラタン」(トマトシャーベットの上に卵黄クリームを流し表面に焼き色をつける)

 

他にもアボカドのムースやパプリカを使ったジュレなど、その味のバランスの取り方はまさに達人。

 

野菜本来の持つ糖質を生かし、加える砂糖の量は最小限に、素材本来の良さが引き立てられたレシピ

 

 

全部失くしてしまいましたゲロー

 

 

この前久しぶりに当時の仲間から連絡があり、「トマトグラタンのレシピもってる?」と聞かれ、ネットで拾ったごろごろ野菜のトマトグラタンのレシピを送ってあげました。

 

トマトにも個体差があります。当時の記憶を辿ると、加える砂糖の量は味見をしながら匙加減だった気がします。

 

話は戻って、そんなシェフの薫陶をうけ育った私は、全ての食材はデザートになり得ると信じてやみません。

 

私がグアムに住んでいたころ、年中店先に並んでいた野菜をみてこれいけんじゃね?と思ったのが

 

GO---YA--- (アメーバさん、ゴーヤの絵文字が用意されていないとか正気ですか)

 

ゴーヤのグラニテ

 

作りやすい分量

ゴーヤ      1/2本

水        300cc

グラニュー糖     80g

レモン汁     大匙2

 

1.ゴーヤを洗い、外側のごつごつした緑色の部分だけすりおろす。

2.水とグラニュー糖を火にかけ沸かし、粗熱が取れたら1のゴーヤとレモン汁を加える。

3.  バットやタッパーに流しいれ、冷凍庫に入れて冷やし固める。時々フォークでがりがり削        って混ぜながら固めるとよりふわふわのグラニテになります。

 

 

 

 

ゴーヤの苦みが口の中をリセットしてくれるので、少量をお口直しとしてメイン料理の前に出してました。正直ゴーヤが苦手な人も中にはいたと思いますが、そんな人でもおいしく召し上がっていただけたのか、招待している会食の場なのでゲストは我慢してくれたのか、おそらく300回以上提供しましたが一度もクレームはありませんでした目

 

余ったゴーヤの中身は、見た目は悪いですが普通にチャンプルーに使えます。

 

            

 

 

 

 

料理人としてのキャリアは、学生時代を過ごした大阪からスタートしました。

 

芸人さんが売れるための験担ぎで、わざと高額な家賃の部屋に住むのに習い

 

当時手取り18万円の初任給に対し9万円の部屋を借りました。

 

そして一年後には東京・笹塚の家賃4万2千円のアパートに引っ越し。手取りは13万円。

 

 

 

順調に転落していきます

 

 

 

この部屋で6年間、低空飛行で踏ん張りました。

 

修業時代の記憶はほば消えかけてます。思い出そうとするだけでゲロー

 

もちろん楽しいこともいっぱいあったと思うけど、私の20代後半は暗黒時代

 

そんな生活を支えてくれたのは、自宅についていたお湯の出るシャワー

 

街場のレストランだと帰りは毎日てっぺん過ぎ。銭湯にいきたくてもその時間は閉まっていることがほとんどです。

 

笹塚・下北沢エリア家賃4万円で風呂付きはかなり難易度高し。あって共同。

 

疲れ切った体を癒してくれる至福の瞬間

 

築40年以上、2階6畳一間の角部屋の外、ぎりぎり物干し竿が掛けられるスペースの端に我が家のお風呂はありました

 

 

 

安心してください。カーテンはついてますから。

 

そんなこんなで公邸料理人としてグアムに派遣される日までお世話になりました。

 

退去時の大家のおばあさんの言葉は今でも鮮明に覚えています。

 

「ガム島いいわねー。ガムはうちの主人も行ってたわ。あ、太平洋戦争の時にね。がんばってね!」

 

余談ですが私の部屋の向かいのじいさんは家賃を3年間滞納してたようですが、大家さん決して彼を追い出すことはしませんでした。追い出したらあの人は行く場所がなくなってしまう、、世田谷人情噺でございました。