こんにちは、みなさま。
今回のブログでは、不眠症から入院に至るまでの全容を書いていきたいと思います。
もともと不眠症で、お薬をもらいに大阪にいた時から通っていました。
東京に移住してからも変わりませんでした。
先生と色々話すようになりました。
家族構成や、家族がどんな仕事をしているかなどをカルテに書き記していかれました。
2019年10月21日に母を亡くしてから、私の精神はおかしくなっていきました。
心の中に大きな穴が空いたような感覚。
不眠症は悪化していく一方でした。
そして、先生からもらう薬の中に鬱病に効果があるものが付けられるようになりました。
先生は「副作用で眠れる効果があるから」と仰ったので、それを信じて飲むことにしました。
そして数ヶ月が経ち、薬はどんどん増えていきました。
鬱病の薬も最初は1種類だけだったのが、躁鬱の薬も追加され、流石に私は変だと思うようになりました。
もしかして、何かの病気なのか?
先生に思い切って聞きました。
「私は何かの病気なのでしょうか」
先生は仰いました。
「あなたは、『双極性障害のⅡ型』です」と。
うすうすみなさまもお気づきかもしれませんが、私はてんかん持ちです。
障害者手帳も持っています。
でも、今回はそれとは全く異なる病気で、説明を聞いて唖然としました。
双極性障害には、Ⅰ型とⅡ型があり、Ⅱ型は自殺率が高いから気をつけてと言われました。
私は気をつけつつ日常を過ごしましたが、常に母の面影を探していました。
会いたい
声を聞きたい
抱きしめたい
名前を呼んでもらいたい
笑顔に触れたい…
屋上に行っては夜空を眺め、母の元へ行こうか悩み始めるようになりました。
それ程、私の中では大きな存在でした。
退院した今でもまだ、探している時があります。
そして、その話しを先生に話したら「入院」を勧められました。
セカンドオピニオンで、脳がどれくらい鬱状態なのか調べる検査もしてみると、結果は真っ赤で、そこでもまた「入院」を勧められました。
そういった流れで私は精神病院に約1ヶ月半、入院することを余儀なくされました。
それは、とても過酷なものでした。
最初は独房のような部屋に入れられ
窓は高い位置にこじんまりと
トイレは備え付き、少し仕切りがあるだけ
ドアは鍵が3つかけられ
布団は床に
もちろん、携帯電話は没収されたまま
まさに、隔離状態でした。
1週間もしないうちに綺麗な個室に移されましたが、独房のような部屋は今でもトラウマです。
それから、退院に向けて生活していくように頑張って病院で暮らしました。
普通の総合病院ではなく、私が入院したのは精神病院。
規則が厳しかったです。
そんなこんなで私の、不眠症から入院に至るまでの経緯をここに記します。
今は、自宅療養中でリハビリ中です。
訪問看護師さんも協力してくれています。
応援してくださっているみなさまには、私の音楽活動が中断してしまい、心苦しく思います。
それでも、ラジオやライブに出演させて下さる炎のROCK AVENGER様や背中を押して下さる関係者のみなみなさまには感謝してもしきれません。
いつまでも私はミュージシャンでいたいです。
そのために、一時中断している今をお許し願いたいです。
その上で応援してくださるファンのみなさまにも、感謝しています。ありがとう。
私の報告は以上です。
これからも私は母の愛を心に留め、生きていきます。
よろしくお願いいたします。
RAMI