土曜日の午後へ。 | デュアンの夜更かし

デュアンの夜更かし

日記のようなことはあまり書かないつもり。

 10月10日(土)

「――の夜長」ではないが、夕べの無為な夜更かしを経て床に就き、少し遅めの起床を果たし、いつもの土曜日の朝のようにふとんの中でお気に入りのFMラジオを聴く。今日の特集アーティストは「The Black Crowes」というアメリカのブルースロック・バンドで、ボクはこれまでそのバンドのことを知らなかった。いくつかの選曲されたものに従順に耳を傾けたらばなかなかのツボで、今度本腰入れて調べて、CDを探してみようと思った。番組が終わってもそのまま、すっかり居心地がよくなり抜け出せなくなったふとんの中で粘るも一念発起、ようやく起き上がり一日をはじめる。

▽▽▽

 誰もいない居間に下り、サンドイッチをほお張りながら見るともなくテレビをつけ、新聞や折り込みチラシに目を通す。そして11時、今こうしてブログに向かっている。

▽▽▽

 画面を開いて考えはじめ、ほどなくぶち当たった。なんだか今日は(今は、なのかもしれない)、書けそうにないなぁ――。キーボード所定の位置に指を乗せたまま、そのまま数分ぼーっと考える。そして、「書けそうにない」という感覚は少し久しぶりなものだと思い当たる。ブログを書くことは、ある意味野球で打席に立つことに似ているというふうに思う(野球らしい野球はしたことがないけど)。その体(てい)でパソコンの前に座るとき、それはそこそこ神経を集中させる必要がある。その瞬間ふと思いつく「あ、書こうかな」というテーマが投手で、そいつはボク目がけて力の限り投げてくる。それを上手に文章に落とし込むことができればヒット、だけどストレートがあれば変化球だってあるし、じりじりとなかなか投げてこないときもある。どんな球が来るのか分からない。一筋縄ではいかないということだ。それでも打者にも幾らかの権利はあって、こちらの分が悪いとみればタイムをかけて間をあけるということもできる。

▽▽▽

 ちょっと書けそうにないなぁと思ったボクは、一旦いわゆる「タイム」をかける。パソコンの前を離れ、そしてたばこに火をつけ煙に占う。たばこはいつも、開け放した窓に向かって上を向いて吸う。すると空には形の良い雲(それは雨を降らせる心配はなさそうな)がたくさん浮かんでい、快晴よりもそんな空の方が好きなボクは、心がほっと一息ついたのを分かった気がした。書けそうにない(≒書くことがない)ときは、的が絞れていないためにぼんやり考える対象に際限がない。一本のたばこが終わる短い間とはいえ、その間に自分を取り巻くいろいろなことを考える。そういうときほど浮かんでくることとは、得てしてふだん目をそむけがちな重要なことばかり。考えることに嫌気が差すこともあるけれど、だけど稀にあるこんな機会によって自分はなんとか保たれているのかもしれない。そしてこういうときのたばこは息が長い(深く吸い込むという意味ではない)。たいして吸うことなく指にはさんだまま、ぼんやり時間が経過していくせいだ。そしてだいたい、たいして吸っていないくせに、それでも火を消すのはふだんよりも早い。「よし、書こう」という気になるからだ。

▽▽▽

 一本のたばこがはじまって、やがて終わっていく間に考えた諸々のことは、きちんとハッピーエンドを迎えるものもあれば店晒(たなざら)しになってしまうものもある。そうやって取る「タイム」によって、当座のブログは――今日だってこんな形だけれど、どうにか書き終えることができるのだが、もっと長期的な「諸々のこと」は、解決の糸口を見出せたものもあれば何も進展のないもの、場合によっては別のさらなる試練の種を発見することだってある。大切なことはふたつある。「そんな『タイム』によって自分は保たれていると思うこと」、そして「何がいちばん重要なことかを見抜く必要があること」。実際の打者がタイムの間に未来のことを考えているとは思いがたいが……。

▽▽▽

 巷では三連休だそうだ。ボクはなぜかこのような連休が訪れると、世の勤め人たちに対して「おめでとう!」と言いたくなる。こんな時間(12時半になっている!)に早々とブログを書いているのは、このあとそんな友人と釣りに行くからだ。今日は釣れるか、ブラックバス!