2月27日(金)
ずっと昔に「話し上手は聞き上手」という言葉を耳にし、それ以来ことあるごとにそれが顔を出す。そのときのそれは「話し上手な人は、その前に聞き上手である」という文脈で使われていたと記憶している。何かがひっかかっているのだろう。そしてそういうものは得てして自分にとって重要なものである場合が多いのを経験上知っているから、ちょっと考えてみることにした。
ひっかかっているのはその言葉の意味か?いやちがう。その言葉の意味は早いうちに理解はできていたと思う。要するに、「真に話が上手い人は、まずはよく相手の話を聞ける人である」とかそういう意味なのだろうと。そこで、もう少し掘り下げて考えてみると、ひっかかっていたものがようやく見つかった気がした。それはメカニズム。「何かを上手くなろうとするには、その反対のことが上手になる……」この先がまだよくわからないのだが、「必要がある」なのか「のが近道である」なのかだろう。なるほどそう考えてみるとなんとなくしっくりとくるものが多い。「釣り上手は待ち上手」、「料理上手は食べ上手」、「笑わせ上手は笑い上手」、等々。
つまりは、能動上手は受動上手と言うことができるのではないか。受動しながら次に自分が能動するときのためのイメージを固めたり、学んだり、準備をしたりする。それらを自分の持っているものと混ぜ合わせて、完全に自分のものにする。それすなわち、物事上達への近道なり。あぁ、「近道」か。きっと近道が正解なのだろう。
これでこのメカニズムは自分の中で理解できた。これを早速活かしてみたい。ボクが今上手になりたいと思っていることはたくさんあるが、そのひとつに「眠ること」がある。もっと細かく言うと「寝つくこと」だ。それを上手になりたいならば、つまりその逆を上手にすればいいということだから、つまり「眠る」の逆は「起きる」か。起き上手になればいいということになる。まったく意味がわからない。眠るの反対が起きるとは短絡的過ぎたか。ならば他には何がある、「活動」か。活動上手になればいいのか。「眠り上手は活動上手」。なるほど、ずいぶん理解できるようになった。つまり、すこーんと寝つくためには、上手に活動しておくのが近道となるということ。上手に活動とはどういうことだ。一日の終わりに精神も肉体も疲れ果てていること、なのか。そうか、毎日頭も体もたくさん使えば快眠が得られるのか。そんな気がしてきた。よしやってみよう。
そうしたら次はたくさん本を読もう。エッセイなんかいいかもしれない。なんだか今とても、読み上手になる必要があるような気がする。