2014.6.29
【 千仏洞地獄峡 】
ぶらり的には耕三寺と言えば、この 【 千仏洞地獄峡(せんぶつどうじごくきょう) 】 の記憶がメイン!
見るからに手掘り風w
横の看板見ると、
( ̄д ̄) 洞外28℃!洞内11℃!!
これは実際の気温に応じて、毎回変わっているのだろうか?(; ̄ー ̄)...ン?
女性は強し!
先に突入を 許してしまう、ぶらり。
ふ、不覚じゃ(ー'`ー;)ムムッ
壁にこの様な地獄模様が 掛けられており
これは『火の車 地獄行』でした。
こんなん、あったかな?ヽ(~~~ )ノ ハテ?
しかし関心が湧いてきます。
ちょ、ちょっと待って~な!(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
ところどころ天井の高い所があり見上げると、地蔵さんが壁一面にw
昔より、おもしろく感じながキョロキョロ
してました(笑)
【 救世観音大尊像 】
鉄筋コンクリートで固めた基礎の上に鉄心を組み、コンクリートと漆喰を併用し肉付けした上に塗装しているものだが、こうした工程による仏像の造立、同様の技術は例がなく当時、耕三師自ら陣頭に立ち、労苦を惜しむことなくかつて培った鉄の加工技術を遺憾無く発揮されたもの。
説明読まんと、 『なんでこんなもんが?
』 って、 ?マークだらけ(^▽^;)
ここから先は、幼少の頃には無かった場所、 【 未来心の丘 】 への道です。
広さ5,000平方メートルにもおよぶ白い大理石の庭園で、世界を舞台に活躍されている彫刻家 杭谷一東(くえたにいっとう) 氏 にその制作を依頼したものらしい。
辺り一面の白いものは大理石ですよ~♪
ガシガシ歩いて行くayusanさん。
じっくり見てると置いてかれます(笑)
【 二鬼の庭 】 と記されたところにある石像。
なんだろう?こいつ!?
って思ってたこれは、北方を護る「毘沙門天(びしゃもんてん)」の天邪鬼らしい。
おまえ、やっぱ『鬼』なんじゃな!? ( ̄▽+ ̄*)
天辺まで上がったところは 【 光明の塔 】 と呼ばれ
仏教護法の十二天より「日天(にってん)」が放つ光(希望)の塔であり、西に沈む太陽に合掌
を形どっている。
全貌は ・・・来てみぃ♪ (*≧m≦*)
辺りを 見渡すと黄色い橋が架かっている「高根島(こうねじま)」を見ることができます。
みかんで有名です。
MEGUさんも、写真撮ってるみたい。
ここに使用されている大理石のすべては彫刻家 杭谷一東(くえたにいっとう)氏のアトリエ(仕事場)があるイタリア・カッラーラで採掘し、コンテナ船で運んできています。
丘にそびえ立つ大小様々な形をしたモニュメントや広場、道... 氏は制作に当たっては常に、その石のひとつひとつと対話し、また周囲の景色の形や色、風雨、光といったあらゆる自然との調和(バランス)も考えて創造してこられているとのことですが、
・・・・難しい(-_-;)
ひとつ言えることは太陽が反射してアホほど眩しく、そして暑い(笑)
そしてとてつもなく金が掛かっていると言う事・・・ですわ(-ω☆)キラリ
『寺』と言う名の所に来て、煩悩全開になれるところも珍しいなw
そして緑の有難さを改めて思う。
( ゜ー゜)( 。_。)ウン♪
キレイだべ~♪
そしてここも『お初』となる場所、 【 潮聲閣(ちょうせいかく) 】
耕三寺建立発願の原点ともいうべき建造物で、書院造を主とした日本住宅と西洋風住宅である洋館とを複合させた大邸宅となっており、これは耕三和上がまだ大阪で大口径特殊鋼管の会社を営み成功を収めていた当時、ここ故郷瀬戸田に住んでいたご母堂の老後を慰めるため、自身の事業を陰日向なく見守り続けてくれた報恩のために建築したもの。
洋館部分華麗なステンドグラス!
(* ̄。 ̄*) ウットリ
この和室部分、片方の部屋の天井には「屋久杉」が使われているらしい。
ここ故郷瀬戸田に住んでいたご母堂の老後を慰めるために建築したとも言われるこの家。
ここから眺める風景は、どれだけお母さんのことを思っていたのか、間接的にではあるが感じることが出来る。
このような素敵な風景を誰にも邪魔されず見る事を許された母堂さま。
その時の『笑顔』が見えそうな空間でしたよ
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
あれだけブーイング(●`ε´●)を 発していた、ぶらりもすべてを見終わる頃には仏の顔になっておりましたよ(笑)
(。-人-。) 南~無ぅ~
【 つづく 】

















