一週間あまりの現地行動も終わり、今日は終日移動なのでこれと言って書くこともないと思う。ここ数年の8月は天候不順などのトラブルが相次ぎ、まともに帰れるのかモヤモヤすることが多かったが、今回は夕方には自宅に帰ることができそうである(最初ののぞみ号も博多発だったので線状降水帯のタイミングがズレていたらヤバかったかも)。

 今回の行程の反省は前記事でも触れたが移動距離があまりに長く、そのポイントを見る時間が浅くなってしまったと言わざるを得ない。福島方面は未だに距離感が掴めず、常磐道の一部が不通になったことも痛かった。岩手側も重点を釜石市か大槌町どちらに絞るべきだった。釜石市については今回昭和20年7月と8月に起きた米海軍の艦砲射撃を調査したかったが、現地での資料集めに時間を取られて記事が書けるほどのことができなかった。この件はしっかり情報を収集して来年やり直そうと思う。


 これまでに何度も書いたが、自分が初めて仙台入りしたのは2011年8月だった。当時はとにかくこの惨状を記録し、現地で自分なりにできることがあればお手伝いをしようという思いで行動に移したと思う。それまで報道で散々被災地の様子を見ていたが、実際にその場で見た時の衝撃は自分の価値観を激変させるくらい凄まじいもので、現地のブロ友さんから協力を得られたこともありニュースだけでは分からない内情も知った。
 今後のことは当初考えていなかったが、帰宅すれば自分は自宅で普段通りの生活を続けているのに被災者の方々は仮設住宅で不自由な生活を送り、生きるための基盤を失った方、親族が亡くなったり行方不明のままの人たちとのギャップがあまりに大き過ぎてこれでいいのかという疑問が拭えなかった。そんな思いが積み重なって翌年のゴールデンウィークも仙台に行くことに繋がったと思う。ブログがきっかけで現地の人との繋がりが増えたことも大きかった。年に二回訪れていると定点観測の意味もあるし支援で購入していた地元のものも今は「美味しいから」という理由になってきている。こうしたことがきっかけで三陸の食文化や民俗を考えるきっかけにもなった。
 ここ最近は金銭的、体力的な問題から年に二回の仙台入りが果たしていつまで続けられるのかという思いが浮かんで来るようになった。そろそろ引き際かな、と思ったりするのだが年が明ける頃には結局準備を始めてしまうんだろうなあ…。

 最後に現地でお会いした皆さん、ガイドを快く申し出てくれた吉浜の小松さん、宿泊でお世話になった民宿の皆様には改めてお礼申し上げます。


 「また会おうぜ!」