2018年7月6日、この日も梅雨時期の雨が降り続いていたが午後から次第に雨足が強くなり、夕刻には警報が発令される程の土砂降りとなった。この頃には各地で土砂崩れや道路の冠水、河川の氾濫が起きており、消防や警察に救助要請の電話が殺到した。しかし通報の回線はパンク状態になり、救助に向かおうにも対応できる署員の数はあまりにも足りなかった。また、三原市などは消防署そのものが浸水し救助活動ができない地域もあった。さらに帰宅ラッシュで渋滞が発生した所へ土石流や増水した河川の濁流が襲いかかり、被害が拡大する結果となった。

↑西日本豪雨を報じる当時の新聞。翌7日の新聞は配達が不可能として欠配となっている。


 幸い自宅は裏庭に多少泥が流れてきたくらいで被害らしいことはなかったが、断水が1週間ほど続いたのには閉口した。とはいえ家は雑用に使える井戸があることや停電がなかったことも幸いした。
 呉市は周囲を山に囲まれ、前は海のため主要な国道や県道が通行止になると陸の孤島となり、様々な物資が枯渇することになった。この時友人らと通行可能になった道路や物資の入荷情報などを共有して何とかやっていたが、県がフェリーをチャーターして海路から物資の輸送を行ったためこうした状況は2週間あまりで解消された。
 自分は普段建設機械を扱う仕事をしているため被災した現場に入ることも多く、それまで見慣れていた場所が土石流などで無残な姿になっていたことに言葉を失った。また、出入りしていた土木業者の人から「〇〇のΧΧ地区は20人以上が亡くなっている」といった話も聞き、改めてその被害の甚大さを思い知らされた。


 ※西日本豪雨は九州北部や中四国など広範囲に甚大な被害をもたらしたが、この災害で直接犠牲になった人は263名とされている。その中で広島県では114名が犠牲になるなど他県に比べて突出している(※震災関連死を含めると153名、現在も数名が行方不明)。広島県は2008年8月にも可部や八木などで大規模な土砂災害が発生して多くの人が亡くなったが、この時の教訓は生かせなかったのかと悔やまれてならない。その一方で「線状降水帯」という気象現象が広く認識されるようになり、大雨に対する警戒の目安となった。また、自治体は災害弱者の避難を促すため早めに警報を出すようにするケースが増え、「助けに行くのではなく連れて避難する」というスローガンは避難意識や「共助」の見直しを再考するものと言える。西日本豪雨で被災した方々の証言に目を向けてみると「まさかここが…」とか「もっと早く避難していれば」など未だに後悔の念を抱いている方々が少なくない。以前女川でお話を伺った酒井さんは「自然の力に人間は敵わないからとにかく逃げる」ことを力説されていたが、これは津波だけではなく様々な自然災害に言えることだと思う。「その日」に備えて様々な準備を行い、考えうる対策をアップデートしていけばその分生存率も高まるのではないだろうか?

 改めて犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。


 ※掲載写真・筆者撮影