以前夕食を食べながらローカルニュースを見ていると、広島県北部の庄原市にある口和(くちわ)郷土資料館が取り上げられていた。郷土資料館や民俗博物館というと生活に関係した古民具や農機具などが主な展示になるが、口和郷土資料館は音響、映像関係の展示も充実しているようだった。ニュースではエジソン蓄音機などが実際に稼働しており、バックに映っていた電気製品などもかなりレアなものがあるように見えた。
早速調べてみると当館は月、木、土曜日のみの開館になっており、 なかなか日程の折り合いがつかなかったが土曜日に有給が取れたので早速行ってみることにした。
自宅から車で2時間以上かかったが、ナビを頼りに何とか到着した。同資料館は1977(昭和52)年に開館したが、庄原格致高校口和分校が1980(昭和55)年3月に閉校したためこちらに移設されたとのこと。正面入口も学校の雰囲気が色濃く残っている。
入口でスリッパに履き替えて館内に入ると廊下や教室がほぼそのまま残っている。廊下にも様々なものが展示されており、へぇ~、と眺めていると女性の方(後で分かったが館長の奥様でした)が出てきて当館の概略を説明して頂いた。少し前に他の見学者が入ったそうなのでガイドの方にもう1名追加してもらうよう連絡を取ってくれた。
↑館内の連絡にはこの電話機がインターホンとして使われていたことにまずびっくり。右のクランクハンドルを回すと相手の電話機がジリジリ呼び出す仕組み。左の黒い筒が受話器で本体下、ラッパ状の所が送話口。
↑階段の踊り場付近にはアマチュア無線や電鍵などが展示されている。電鍵とはモールス信号を打つキーで、いわゆる「トントンツーツー」の組み合わせによる電文送信機。実際に打つとあの音を聞くことができるが発信そのものはしていないとのこと。
↑二階の音響、映像関係展示室には貴重なものが多く、実際に稼働するものはここにしかない個体も少なくない(ソニーのCDデッキ初号機もあった)。左側のエジソン蓄音機は実際に演奏してもらったが、アナログレコードとほぼ変わらない音質に感じた(動力はゼンマイ式)。
家庭用電話機とラジオ類。ウチはかなり長いこと「黒電話」を使っていたが、プッシュホンに切り替わったのはいつだったのだろうか。今の若い世代にはダイヤル式の電話機はかけ方が分からない人もいるとのこと。
戦前、戦後のラジオも勢揃い。真空管からトランジスタになりラジオも劇的に小型化されたが、ソニーのポケットラジオが販売された時は今のスマホやケータイのような感覚だったのかも知れない。そう言えば展示品を眺めていたらばあちゃんの部屋には横長のデカいラジオがあったのを思い出した。ラジオといえば小学生の頃定期購読していた「〇年の科学」の付録にラジオを自作するキットがあり、イヤホンからAM放送が聞こえた時は感動したものである。
↑ブラウン管のテレビも展示品からその歴史を辿ることができる。しかもこれらはリアルタイムの放送を受信できることに驚かされた。テレビも時代と共に小型化されて行ったが、70~80年代にはラジカセとセットになったラテカセやポータブルテレビも市販されるようになった。当時のテレビといえば据え置きが基本であり、1家に1台という家庭も多かったと思うがパーソナルにテレビを持ち運ぶというスタイルはそれまで考えられなかったことだろう(「ルパン三世カリオストロの城」では銭形警部がコレで結婚式の中継を見ていたなぁ)。しかしその価格はとても気軽に買えるものではなく、自分の周囲で所有していた人を見た記憶がない。当時のポータブルテレビと言えばソニーの「ジャッカル」や松下電器(現パナソニック)の「トランザム」がメカっぽくてカッコ良かった。
↑画像を撮影するコーナーはフィルム式カメラから8ミリカメラ、ハンディカムに放送局で使われていたプロ用カメラまで並んでいた。業務用カメラはテレビモニターとつながっており、テレビ局ごっこも体験できる。
画像を記録する媒体はVHSやβマックスの他にレーザーディスクやVHD、Uマチックなど様々。家庭用として普及したのはごく一部で、業務用はともかく我々の知らないフォーマットが一般化することなく時代の流れで消えていったものも少なくない。自分が初めてビデオデッキを実際に見たのは叔父の家にあった松下電器の「マックロード」だったと思う。当時は赤外線リモコンではなく有線ケーブルのリモコンだった。
↑これはゲーム機なので映像機器とは関係ないが、ウチに同じものがあった(メーカーは任天堂)。こちらもきちんとプレイ可能。今見たらシンプル極まりないゲームだったが、家庭用テレビゲームのハシリとして思い出深い。
↑別室には電卓やタイプライターなどの事務機器が集められている。小学生の頃家にはカシオの電卓があり、計算ドリルの宿題に電卓を使うというインチキをやったことが思い出される(笑)。また、ウチの姉ちゃんは商業高校だったので和文タイプライターを習っていたが、途中からワープロの授業に変わったと言ってたな。
写真には写ってないが、機械式の計算機(タイガー計算機)もあった。理屈はよく分からないが、計算する数値をセットしてクランクハンドルをガリガリ回すと「チーン」という音が鳴り答えが出るというもの。
↑1階にはオーディオルーム?があり、真空管アンプやテープレコーダー、ステレオデッキなどが鎮座。リストにあるレコードをリクエストすればかけてもらえるということで「それ行けカープ♪」をお願いしたら自然に他の見学者と合唱となり、思わぬ盛り上がりとなった(広島県人は大抵歌えるのだ)。
↑消えたフォーマットの中でも貴重なのがこのフィルモン蓄音機であろう。これは日本フィルモンという企業が1937(昭和12)年から1940(昭和15)年にかけて製造された日本独自のフォーマットであり、現在は国内に5台余りしか現存しないらしい。構造的にはレコードを帯状にしてエンドレスに繋げたものと言えばよいのだろうか。幅35ミリのセルロイドテープに音が刻まれており、再生時間の短いレコードとの置き換えを念頭に開発、発売されたと言われている(レコードが片面3分余りなのに対してフィルモン音帯は30分以上記録することができた)。
長時間録音というメリットはあったが日本フィルモンが戦争の影響で閉業し、機械が高価なこともあってレコードに取って替わることはなかった。こうして戦後忘れられたフィルモン蓄音機だったが、地元で音帯が発見されたことがきっかけとなり館長の安部博良さんが既存の部品などを組み合わせて再生機を製作したとのこと。
↑廊下にはジュークボックスがあり、しげしげ眺めていたら奥様が電源を入れて「どれか聞いてみますか?」と言われたのでラインナップの中から「いい日旅立ち」をチョイスしてみた(無料です)。しかもカバーを開けて内部のレコードが出し入れする所も見せてもらえた。数十枚あるレコードから一枚を抜き取り、演奏が終わると元の位置に戻されるアナログな仕掛けは見ても楽しい。
口和郷土資料館の館長である安部さんは「こうした機械は動いてこそ価値があるし実際に動く所を見たり手で触れることに意味がある」と力説されており、「ガラスケースに陳列されているものを見るだけでは構造が分からないし記憶に残らないでしょう?」と言われたが、そのために展示してある機械を稼働できるように修復した努力には敬服するばかりである。
※なお、口和郷土資料館は昭和の古民具や農機具、地域で発見された化石など貴重な資料も多数展示されているが、今回は消えたフォーマット関連のみ取り上げたことをご了承下さい。
口和郷土資料館|庄原観光ナビ 【公式】広島県庄原市観光情報サイト https://share.google/hAyu98qKhxMG29xzv ←同資料館の詳細はこちら。















