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風水で潮汐力なんて聞いた事無いと仰る方も多いでしょ。私が提唱している古代風水は、一般に風水と言われる現代風水とは大きく異なります。
風水とは元来、自然現象を理解し人間の生活に役立てて来た古代環境科学なんです。当然月の運行もその中に含まれます。
中国や韓国では未だに太陰太陽暦(旧暦)を重要視していますね。日本でも約150年前までは旧暦を使っていましたよね。実は、古代文明のほとんどは太陰太陽暦を使っていたんです。
太陰暦は月の運行周期(新月から新月または満月から満月)を1ヶ月とし、12ヶ月を1年とした暦です。でも、これだと1年が354日になってしまい、季節がズレてしまいますよね。
そこで、数年に1回、閏月を差し込んで、1年を13ヶ月にして調整したんです。つまり、太陽の運行も正確に把握していたんです。これを太陰太陽暦(旧暦)と言います。
西洋でも、元々は太陰太陽暦でしたが、ユリウス・カエサル(シーザー)が反対を押し切り、太陽暦に替えてしまったのです(ユリウス暦)。だから暗殺されたのかもね。
エジプトでは5000年前から太陽暦を使用していました(太陽暦の起源)。これをローマに持ち込んだのです。クレオパトラと関係がありそうですね。スケベ心出して、気を引こうとしたのかな(お前とは違うぞ)。
1582年ローマ教皇グレゴリウス13世が、ユリウス暦を修正したのがグレゴリオ暦です(現在私達が使っている暦)。因みに、ロシア(ギリシャ正教会系の国)では未だにユリウス暦を使います。
ユリウス暦では1月7日が12月25日となっていますので気を付けてね。「はっ、頭の良さが漏れてしもうたぁ~、漏れとる漏れとる~(馬鹿か、ただのくだらん蘊蓄だろが・・・、ったく)」。
ここで、ちょっと考えてみて下さい。日本の様に海洋国ならば、潮の満ち引きを知る上で月の運行の把握は重要であったかも知れませんが、中国文明は内陸に起った文明です。
正確には黄河中流域を中心に発達した文明で、海との接点は極めて少なかったのです。また、古代中国人は農耕民族であり、季節変化を重要視した太陽暦こそピッタリの筈です。
季節が毎年約半月から1ヶ月ずれてしまう様な暦を使ってまで月の運行に拘った訳は何でしょうね。太陽暦を採用するだけの知識はあったのに・・・。
2000年以上前の中国の風習を頑なに守って来た(古代風水を現代に伝える)客家と言う人達は、朔(新月)、望(満月)の頃は、重大事を起こしたり、重要な決定はするなと言います。
この頃は、気が乱れて災いが起り易いと言うのです。さてと、皆さんは如何思いますか。信じるか、信じないかは、「みなさんの自由だぁ~」です。
今から400年余り前、2人の男がいました。織田信長と明智光秀です。羽柴秀吉から救援要請が届き、信長は光秀に出馬を命じ、自らも非武装の供回りを連れて本能寺へ。
秀吉の救援要請は勝利の目途が立ったと言う知らせなのです。秀吉は根っからのおべっか使いですから、信長の御蔭で勝てたと言う事にしたいのです。それを知っている信長は気楽な出陣だったんですね。
天正10年6月1日の新月の日(1582年6月20日夏至の前日)、本能寺に到着した信長は公家を招き、呑気な茶会を開きます。そして、ぐ~すか、ぐ~すか寝込んでしまったのでした。
光秀は同日、命じられるまま出陣しますが、あろう事か、方向を本能寺へと替え、翌日早朝に襲撃し、信長を自害させたのです。
こうして天下を手中にした光秀でしたが、秀吉に討たれてしまいます。1582年と言ったらグレゴリオ暦制定の年です。懐かしいなぁ~。
グレゴリーに新しい暦教えたついでに、信ちゃんと光ちゃんに、新月又は満月の頃は、大事を為したり、重要な決定を下してはいけないと口を酸っぱくして言ってやったのに(はぁ~)。
古代風水の風水師の言う事は聞くべきなのです(お前何時の時代の人間なんだよ、え~、いい加減にしなさい)。実は、私はタイムスリップをする事が出来るのです(やかましい)。
信じるか、信じないかは「皆さんの自由だぁ~」(嘘ですよ~)。
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