日本の貨幣金融制度の変遷 | 【らくーん別邸】50歳から体調も運気もグイグイ回復

日本の貨幣金融制度の変遷

今年、

日本では新紙幣の発行があります。

 

その前に、近代的貨幣制度ができた

明治以降のおおまかな

歴史的流れを基礎知識としておさえておきましょう。

 下矢印

江戸時代が終わる1866年頃から

日本は輸入超過→正貨が国外に流出→保有量が枯渇

 

明治政府は、

国立銀行条例改正と西南戦争対応など

財政不足を補うため

不換紙幣を大量発行した。

 

兌換紙幣だと日本が保有する正貨の量を

超えて紙幣発行できないため

不換紙幣とした。

 

このバラマキにより

市場に紙幣が出回り一旦景気は良くなった。

 

但し、紙幣の価値が下がったため

税収も減ることとなり

結局、政府はさらに金欠に陥ることとなる。

 

この事態を打開するため

1881年、大蔵卿となった

松方正義(1882年日本銀行の創設者)は

税収増を目指し、不換紙幣の回収処分を行う。

 

※日本銀行は、国内唯一の発行権をもつ中央銀行

 

回収したお金は銀に換えて貯めこんだ。

そして銀と交換できる兌換紙幣を作り

銀本位制」を確立。

 

※世界は当時、金本位制が主流だったが

 日本は金保有量が少ないため銀本位制をとった

 

その結果、

紙幣の価値は上がったが

市場にお金は出回らず

世の中は不景気になる。

特に農村部は苦しくなった。

 

そこで松方正義は今度は

「金本位制」へ移行。

5円金貨=金3.75g

1円=0.75g(貨幣法)

税金も上げた。

 

1894年~日清戦争後は

まだ金本位制だったが

 

1914年、第一次世界大戦

での金流出を防ぐため

日本も世界各国も金本位制をやめた

 

世界各国は、第一次世界大戦後に

金本位制を復活させた。

 

一方で、日本は第一次世界大戦後

ものが売れない戦後不況に陥る。

 

さらにこの後、

1923年(大正12年)関東大震災による震災恐慌

続いて、とりつけさわぎの金融恐慌

連続して日本を襲う。

金本位制を中断したまま。

 

そのため日本円の価値は不安定

貿易には使いづらかった。

 

そこで、濱口雄幸内閣は、

金輸出解禁へ踏み切る。

 

金と交換できる紙幣を発行。その結果、

日本のもつ紙幣の量は減り、給料も減る。

 

そこに1929年、世界恐慌が起こり

世界各国はふたたび金本位制、金輸出を禁止。

 

世界各国の物価は、日本よりも下がり

日本は輸入が増えて、景気悪化を招く。

昭和恐慌が発生。

 

日本市場からマネーが減り

景気はさらに悪化。

 

濱口雄幸内閣は倒れ、それに続く

犬養毅内閣時(高橋是清蔵相は)

1931年、金輸出再禁止と金兌換停止を行った。

 

金本位制から離れ

政府が通貨発行額を管理統制する

管理通貨制度へ移行。

 

政府は金(ゴールド)の保有量に関係なく

自由に紙幣を発行できるようになった。

赤字国債も発行。

 

バンバン市場にお金を流した。

円の価値は下がったが

輸出は拡大好調で経済を建て直すことに成功。

日本はいち早く、恐慌から脱出。

 

 

<ポイント>

★戦争・自然災害・恐慌などの外部環境が

 金融政策に大きな影響を与える

★紙幣には価値の裏付けを求める

★紙幣価値の下落=インフレ=物価の上昇

★市場のお金の流通量(市場の血液)が景気を左右

 

 

ブレトンウッズ体制へとつながってゆきます

 

 

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