陰陽師・安倍晴明【電子単行本】 8 (プリンセス・コミックス)
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10年前ですが
京都にある安倍晴明神社
そして映画「陰陽師」も見ました
癒し王ふじです。![]()
「陰陽道」は、僕にとって
東洋医学の陰陽思想にも関わってくるので
大変興味をそそられます。
「陰陽道」というと・・・
呪術ばかりがクローズアップされがちですが
それはほんの一部に過ぎません。
今日は
安倍晴明が成り上がった根本要因について
少し考えてみました。
次の3つのポイントを挙げたいと思います。
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1.時代が要請する専門知識を有していた
2.プレゼンが上手だった
3.心身のコントロール術に長け長寿を全うした
それぞれ補足します。
1について
安倍晴明は一応エリート血統
ではありました。
賀茂氏からの流れで
安倍氏が陰陽師を引き継ぎました。
ただ、
平安時代「陰陽師」自体の社会的地位は
まだ低い方でした。
平安時代は天変地異が多発した時代であり
それは祟りで起こるとされていたので
そこで求められたのが
天文学・気象の知識であり
祟りを予知し鎮める技
だったのではないでしょうか。
天文学・気象の知識があれば
不確実性を回避し
正確に予知する力も上がります。
三国志で有名な諸葛孔明も同様ですね。
📝過去記事 栄枯盛衰の世界史通史からの学び
それにドンピシャの人材が
安倍晴明その人でした。
40歳で天文得学生となったので
当時としてはかなりの遅咲きでした。
2については
彼はプレゼンが上手だったと
想像されます。
人をうまく導き信用を獲得する
心理術を体得していたのでしょう。
時の権力者である藤原氏にも
その実力が認められて晩年出世
してゆくこととなります。
3については
気のコントロール法を習得し
それを自在に操ることができたため
それを攻撃にも防御にも使えることができた。
今でいう”気功”です。
それは心身のコントロール術と
言い換えてもよいでしょう。
彼は結果として、85歳まで生きた。
当時としてはかなり長寿である。
たとえ遅咲きでも、長生きして
実績を少しずつ積み重ねることで
人物としての評価は結果的に上がります。
長生きすると死後の評価や影響力まで
コントロールすることができるのです。
※長生き戦略は、健康管理術をよく研究し
実践していた徳川家康にも共通しています
📝過去記事 カオス時代を生き抜くには徳川家康から学ぶ
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安倍晴明に学ぶ点は
この他に多々あります。
また機会があれば~![]()