【らくーんの奇跡】 らくーん22 一年生
20年を迎えた「らくーん22 」
その「奇跡」を
平成の癒し王ふじが
振り返ります。
<一年生>
約7割の準備で見切り発車
お店を立ち上げた。
どうせ始めるなら
最低限の必要な準備ができたら
早く動いた方がいい
まずやってみる!
あとは走りながら考える!
そんな気持ちでした。
サラリーマン時代にコツコツ貯めた
自己資金で念願の独立を果たした。
もちろん、
親や知人の資金援助、補助金や助成金、借金もない。
ついに
憧れた”一国一城の主”になれた。
でも、主を維持するには
現実は厳しかった・・・
最初の一ヶ月目
応援してくれる友達や知り合いが
来てくれて、嵐のごとく過ぎ去る。
忙しすぎて覚えていない。
独立する際に
応援するよ!と言ってはいたが
一度も顔を出してくれない人もいるし
オープン早々に応援しているよ!と
祝いや花を持ってかけつけてくれた友もいる。
数々の応援の言葉や友の行動に
僕は一人、密かに感動し涙した。
行動を起こしてくれた友のことは
一生忘れない!!
2ヶ月目~3ヶ月目
OP月の活気は徐々に沈静化し
予約はなかなか入らなくなった。
まさに開店休業状態。
当日キャンセルや約束を平気で破る人も続き
人間不信にも陥った。
1週間仕事が入らない週もあった。
さすがに凹んだ。
半鬱状態、ノイローゼ状態だったかも知れない
とにかく悩み焦った。
自信もなくしていった。
だが
僕は行動することで
直面した問題を切り抜けようとした。
とにかく
いろいろなことを
やってみるしかない!
試行錯誤だ。
1ヶ月の売上も僅か5万にも満たず、赤字。
家賃にも届かない。
原資を取り崩す日々。
経費を削減しギリギリで食いしのぐ。
苦しかったが
親や友人などには
弱音をはいて
安易に頼りたくなかった。
自分の欲しいものは
当然すべてガマンし
食費も極力削った。
質素倹約。
100円ショップで見切りになった
パンなどを食べて過ごした。
4ヶ月目~
小さい店舗だけに
広告などにかける金の余裕などない。
予算もないだけに
智恵と工夫で
宣伝方法などを考えた。
HPも、外注する金がないので
自分で勉強し、とりあえず自製。
体裁は悪いがナイよりマシ。
手書きでダイレクトハガキを
書いたり、とにかく自分で汗を流し
動いていろんな手段を試した。
近所のビルへ、ポスティングもやった。
道路で自製のチラシも配った。
近所へ挨拶回りもした。
施術の現場では
日々、泣き言やマイナスは一切口にせず、顔にも出さず
目の前に来て下さるお客様
一人一人をとにかく丁寧に
喜んでいただけるように、僕なりに一生懸命接客した。
まだ駆け出しで、技術は三流・・・
でも、下手なりにも一生懸命さ
心を込めて全力で施術をした。
それしか僕にできることはなかったのだ。
とにかく最初は経験を積み
丁寧に数をこなすことが大事!と考えた。
幸い、前職も接客業であったので
人と接することは
僕は、もともと好きでもあるし
仕事自体は、日々楽しみを見つけて取り組めた。
お客様と交わす会話から
たくさんのことを吸収し学べた。
お客様は先生だ。
多くの気付きや学びが日々あることに
嬉しさを覚えた。
そうこうするうちに
飛込みで来てくれた方の中から
リピーターになってくれる人が
ぼちぼち現われ始めた。
経営の安定には、リピーターが大事だ。
僕はとにかく
お客様が喜んで満足して
元気に帰ってもらえるように
一生懸命やるしかなかった。
”凡人の三流”ですから・・・
遠方から来られる
初めてのお客様は、新宿駅まで
僕が迎えにいくこともあった。
帰りはビルの下まで降りて、お客様を見送った。
7ヶ月目~
たまたま運良く
らくーん22
という僕の店が
雑誌記者の目にとまり
初めて雑誌の取材をうける。
その時、
らくーん正メンバー数も100名に達した。
さらに、神風?順風が吹く。
シティバンク、エンプラスといった
有名上場企業から、健康セミナー、リフレ、整体の
講師をやってみないか?との
依頼話が次々に舞い込んだ。
これはチャンスだ!!
経験不足だったけれど
何でも受けてやってみるしかない!
とにかく、舞い込んだ話にご縁あり!
というスタンスで
流れにのっかって、来た話はすべて受けて
全力でやってみた。
この時期、自身の視野を広げるため
老人ホームでリフレのボランディアも
はじめた。
すべてが経験の積み重ね。
すべての経験で無駄なものはない。
すべての経験を今後に生かそう
平成の癒し王ふじ