主人は病気になる何年も前から、大学ノートに走り書きのように、1日1ページずつ毎日の記録を書いていました。


日記とも言えないようなあまりの走り書きに、最初の頃は、もの忘れがひどくなってきてその為の記録?…と心配になってました笑い泣き


でも細かすぎる日常のその走り書きに、今ではそのノートが主人の生きた証として、しっかり残っていますおねがい


そのノートから、重粒子線治療中の様子を少し書いておこうと思います。



2022年2月22日(火)


重粒子線治療開始1日目

この日は息子が仕事休みなので、重粒子線治療に付き添ってくれました


重粒子線センターで待ち合わせて、治療が終わったら、コンビニで買い物後施設まで送って帰宅。

診察→採血→重粒子線治療(約45分位)

感覚的にピンポイントや全体的ではなく、内側からのイメージ


と記録してありました


◯23日(水)


この日は重粒子線治療お休みで1日施設


主人のノート

「重粒子線治療一回終わって、まだ胸部の重み、圧迫はある。痛みが弱冠感じる」


◯24日(木)

重粒子線治療2日目

大阪の娘が付添


主人のノート

「昨日よりも少し胸痛む」


◯25日(金)

重粒子線治療3日目


この日は私が付添

治療後、施設に帰る途中に、生まれ育った家の辺りに行ってほしいと言われて、車でグルグル周りました。


もう住んでた家は無いのですが、ここに誰々のお店があって…と、細い道を行ったり来たり、スマホで写真もいっぱい撮ってとても懐かしそうでしたおねがい


お世話になってる施設と、住んでた辺りや通っていた小学校はすぐ近く。

土地勘もある懐かしい場所の近くで、しばらく過ごせて良かったように思いますおねがい


◯26日(土)

治療お休み

主人のノート

「今日は1日中ベッド寝っぱなしDAY」


◯27日(日)

治療お休み

主人のノート

「今日も昼から寝てTV。夕方散歩。ジュース自販機買う」

「胸部焼ける痛み」


往復300m程となってますが、重粒子線センターでは車イスなので、自分で外に散歩に出れたのは、かなりビックリでしたウインク

2022年2月21日(月)


この日から主人は重粒子線センターで重粒子線治療が始まりました。


入院しながらの重粒子線治療はできないので、この日の朝にがんセンターを退院です。


私は前日に父の四十九日の法要を済ませて大阪に向かい、病院で退院準備をして、翌日も又大阪に来ないといけないので、急遽大阪市内に住む娘の所に泊まる事にしました。

初めて一人住まいの娘の部屋に泊まって、それはそれでちょっとドキドキでしたウインク


翌日、重粒子線センターは12時半から…


朝から病院へ向かい退院まで時間があったので、一人で少し大阪城公園を散歩。

梅もまた少し咲き始めてました。





そして退院手続きを済ませて、重粒子線センターへ。

この日はいよいよ重粒子線治療のリハーサルという事で、主人もだいぶん緊張しているようでした。


私はその間に、がんセンターへ戻って支払いや、大量の薬を処方してもらいに薬局へ行ったりとバタバタでした


そして、重粒子線センターが終わったら、病院にも家にも帰らず、入所させてもらえる事になった小規模多機能型居宅介護施設さんへ。


案内されて入ると、ちょうどデイサービスに来られてるお年寄りの方々が集まってテレビを観ておられました


お部屋は個室で、全てに名前を書いた衣類や必要な物を整理しました。

今まで病院で看護師さんが管理して下さってた大量の薬も自分で管理しないといけなくなりましたアセアセ

でも、薬は私も毎日大量に飲んでいるので、分けるのは得意なんです爆笑



でも、こちらにお世話になれる事になったのは本当に本当にありがたい事でしたキラキラ


そうでなければウィークリーマンションかホテル住まいになり、主人一人で生活なんて絶対無理なので、一ヶ月間私も引っ越して送り迎えと介護の生活でした不安


重粒子線センターへも基本施設さんが送り迎えしてくださいます。

ただ重粒子線センターでは家族が付添わないといけないので、私と息子娘で交代で付添う事になりました。

子ども達が協力してくれるのは本当に助かりましたニコニコ


重粒子線センターは土日が休みで、平日に通う日が決められて、3月22日の最終日まで全16回。


今まで経験した事ない未知の事だらけでしたけれど、命を繋ぐ為の治療が始まりましたおねがい

2022年2月8日.9日


主人は重粒子線治療前の二度目の重粒子線センターでの診察日となりました。


前回同様、一旦がんセンターを退院して、お隣の重粒子線センターへ。

今回は型取りもあるということで、診察は2日間にわたって…


なので、ホテルも2泊連泊です


一週間前にも泊まっていたので

勝手もわかって、娘と3人で大阪でのホテルライフも少々楽しみながら


主人の診察時間中に、又々大阪城散策🏯

梅林の梅の花も少しずつ咲き始めていました



そして、3日目の2月10日に再びがんセンターへ再々入院となりました。


重粒子線治療の始まる21日までは、主人はがんセンターでの入院生活。

その間に、介護認定の為の調査も病室まで来て下さって行われました。


私は…と言えば、その間は、仕事もあり、主人の大阪への転入手続きや亡くなった父のいろんな手続きの為に、よく知らない地域の戸籍を探したり、父の四十九日の法要があったり、右往左往の日々でしたアセアセ

2022年2月4日


がんセンターへ再入院して2日目、病理検査の結果が出て、主治医からの説明がありました。


主人のこれまでの経緯は…


2021年9月頃より頚椎や左肩の痛みがひどくなり、12月頃には左鎖骨の辺りの腫れが大きくなり…

この時は近所の整形外科や内科で診てもらうも、原因わからずでした。

(内科では、鎖骨の辺りの腫れは骨の奇形かも…と言われ、何の検査もない始末チュー

(整形外科では、年明けに近くの病院で診てもらう為の紹介状を書いてもらってました)


結局、近所の病院行く前に

1月7日 K医大病院整形外科診察

1月12日 CTやその他の検査の結果から、がんセンターの専門医に診てもらう方がいいということで紹介状もらう。

1月18日 がんセンターの整形外科で診察


そして、2週間後に検査結果を聞きに行くはずが、病理検査の為の切開した所の出血止まらず痛みもひどくなり23日に救急入院でした病院


先生のお話は、

検査の結果、やはり腫瘍は悪性腫瘍で、その中でも希少がんの類上皮肉腫。

それとは別に、多発性骨髄腫もみられるとガーン


まずは類上皮肉腫の治療から始めないといけないので、重粒子線治療をして、多発性骨髄腫の治療はその後考えるというお話。

ロキソニンを使う事は、多発性骨髄腫にはよくない…とか。

肺にも1つ小さい影が見られるが、これは炎症かもしれないので、こちらも重粒子線終わってから詳しく調べましょ…とタラー


新たに多発性骨髄腫もって…汗

もうどういうこと…悲しい


でもこの時点では余命の話などは無くて、とにかく重粒子線治療を受ければ何とか悪性腫瘍も落ち着くのかも…と思っていました。


主人の両親も結婚前に癌で亡くなってました。

父親は食道がん、母親は子宮がん。

それは聞いていたのですが、両親とも癌になったのが主人と同じ60才頃だったと聞いてビックリびっくり

なので、主人は「両親もこの年だったし仕方ない…」と驚き


私も結婚した時から、もしかしたらいつか主人も癌になってしまうかも…とは心のどこかにはあったのですが、まさかこんな珍しい悪性腫瘍になるとは思ってなかったですショボーン


でもまだ重粒子線治療を受けれるチャンスあったのは、がんセンターに来てたおかげ…と思うことに。


重粒子線治療に向けて、主人の介護保険の申請や、大阪の施設に入る為のいろんな手続き、1月に亡くなった父の分の手続きもあり、私は連絡や書類提出に追われる日々でした笑い泣き

2022年2月3日


前日、がんセンターを退院して重粒子線センターの診察を終えて、病院すぐ近くのホテルに泊まって、又朝からがんセンターに再入院と…忙しい2日間キョロキョロ


でも又翌週も重粒子線センターでの診察が2日間あるので、その時の為に又こちらのホテルで2泊分の宿泊予約を済ませました。


こちらのユニバーサルルームを利用させて頂いたのですが、リクライニングベッドや、昇降する洗面台、浴室シャワーなど、車イス利用の主人にも、とてもリラックスできて過ごしやすいお部屋でした照れ

車イスのレンタルあったり、看護師さんもいらっしゃるとかで、本当にこのホテルと出会えて良かったですラブラブ


がんセンターに再入院の手続きを済ませて主人は病室で落ち着いたところで、お昼から私はご紹介頂いた施設の方とお会いする事になっていました。

重粒子線センターで待ち合わせて、お話色々伺いました。

以前にも重粒子線センターに通う為に入所されてた方もいらっしゃったそうで、施設から重粒子線センターへの送迎もしてくださるそう。

ただ重粒子線センター内は家族の付き添いが必要なので、送迎のみとの事。

それでも末期がん患者の主人を受け入れてくださり、看護師さんや介護士さんがいらっしゃって、24時間お任せできる施設に入らせてもらえるなんて、本当に嬉しいお話笑い泣き

ただ介護保険を使うには、住所を大阪に移したり、介護認定を受けたり…と色々しないといけない事は山盛りです。

でもやれる事をやっていくしかない!ということで、入所に向けてお願いする事になりました。


主人に話すと、その施設は主人が生まれ育った場所の近くだそうで、なにか御縁を感じずにはいられませんでしたキラキラ


なんとなく先の見通しも見えてきて、ほんの少〜しホッとして家路に着く事できました車