#80 五右衛門も極楽へ行く ~「お血脈」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

善光寺(長野県)は宗派を問わず誰でも受け容れる主義であるため参詣人の多いお寺である。この善光寺を舞台にした「お血脈(おけちみゃく)」という石川五右衛門が主役の噺がある。

 

 仏教の伝来と一緒に身の丈一寸八分(約6cm)の白金の阿弥陀像が日本に持ち込まれた。しかし日本は神国であるからと仏敵のモリヤノオトドの命で大阪・難波ヶ池(現在の和光寺・阿弥陀池)に投げ捨てられた。

 ある日、本多善光(ホンダヨシミツ)が池の傍を歩いていると、池の中から「ヨチミチ、ヨチミチ」と呼ぶ声がする。声の主は捨てられていた阿弥陀像で、「ヨハ(余は)チンチュウ(信州)へマカリコシタイ(行きたい)」と舌足らずで言う。善光はこれを拾い上げて信州へ行き、御堂を建てて祀った。これが善光寺の起源である。

 

善光寺では“お血脈(おけちみゃく)”というお札が売られ、これを1分(15,000円見当か)で買って額に押し戴くとどんな悪行をした者でも極楽へ行けるという信仰が広まり、これを買い求める参詣人で活況を呈した。このため極楽は賑わうが地獄は閑散となる。閻魔大王が地獄総会を招集し対策を練った結果、石川五右衛門に命じてそのお血脈の印(お(ふだ)を刷る時の判子(はんこ))を盗ませることになった。

 

五右衛門は善光寺へ忍び込み、盗み出すことに成功した。このまま持って帰れば良かったのだが、南禅寺の山門に上がって「絶景かな、絶景かな」と見得を切ったほどの芝居気の多い五右衛門のことで、「大願成就だ、ありがてえ」と印を額に押し戴いた為そのまま極楽へ行ってしまいました。

 

 サゲが洒落ている私の好きな噺の一つである。人間、有頂天になるとついつい油断が生じるということがよくある。“勝って兜の緒を締めよ”という諺が思い出される。

 短い噺であるため随所に演者の工夫が観られ、聴き比べるのも面白い。春風亭小朝は、「あそこで将棋を指しているのは志ん生と文楽だよ、釣り糸を垂れているのは金馬だ、サイコロを振っているのは三木助で金勘定をしているのは円生だ、皆にお茶を出しているのが三平と小円遊だよ」と極楽の様子を描写する形で故人となった噺家の趣味や個性を端的に表現しており、この件を聴いてうなずく人は落語通と言えよう。

 

【雑学】演者に共通して、「お釈迦さまは生まれた時に“天上天下唯我独尊”と生意気なことを言ったものだから、皆に寄ってたかって頭を殴られたので瘤だらけになったんです」というギャグが話される件がある。本当はどういうものであるのかという疑問が湧き調べる気になった。これも落語の効用の一つである。このヘアースタイルは螺髪(らはつ、らほつ)と呼ばれ如来像の特徴となっているとのことで、インドに生まれた実在の聖人、釈迦牟尼をモデルにした仏像であるというからお釈迦さまが縮れ毛であったということであろう。

私が善光寺を訪れたのは1990年のことで、その時は“お血脈”はもう売られなくなっており、“戒壇めぐり”というものが有名となっていた。ご本尊が安置されている部屋の床下の真っ暗闇の回廊を一周して、本尊の真下にある錠前に触れることが出来ると極楽へ行けるという信仰である。真の闇を経験したのはその時が初めてで、私は一歩も歩くことが出来なかった。女房に手を引かれて何とか一周したが、錠前には触れず仕舞いであった。

ご本尊の阿弥陀仏は全く公開されず、その分身(ダミー)である前立本尊が7年に一度、御開帳されるそうである。

 

永観堂・京都 2007年)

 


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