町内の若い衆が集まって一杯やろうということになったが酒の肴がない。そこで各自が肴を持ち寄ることになった。乾物屋の主人や子供を騙して数の子や鰹節を泥棒まがいの手段で調達してくるなどの過程が前半のポイントで笑いを誘う。
後半は調理をする件で、七輪に火種を入れずに火を起こそうとしたり、数の子を煮たり、鰹節のだし汁で褌を洗ったりの常識外れの調理行動が相次ぎ、挙句の果てには酒の燗を担当した男が、燗のつき具合をみると言って一人で酒を全部飲んでしまい、酒盛りが台無しになってしまうという滑稽噺。
私が落語に関心を持つようになったのは1956年であった。切っ掛けは、高校の文化祭で先輩の生徒会長が演じたこの「寄合酒」という一席が面白かったことであった。
当時は八代目桂文楽、三代目三遊亭金馬、五代目古今亭今輔、六代目春風亭柳橋、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭円生、三代目桂三木助など錚々たるメンバーが活躍し、昭和の黄金期を築いていた時代であった。NHKラジオの落語番組も多く、こうした時代環境にも恵まれて私は落語ファンになっていったのであった。
当初は大笑いをしただけであったが、今この噺を聞き直してみると、プロットの不自然さというものを感じさせられる。
この噺の時代設定は明確ではないが、噺に出てくる物の値段や褌を常用していたことなどから推定して、戦前つまり1945年までの情景を描写したものであると思われる。
戦前の男性は、「男子厨房に入るべからず」の時代であったとはいえ、生きていく為に家事の基礎は心得ており、現代人よりははるかに自活能力を持っていたと私は思う。従って、この噺に登場する若い衆たちの行動に不自然さを感じるのである。
それに引き比べて、現在は出来合物の多くがスーパーなどで調達できる時代である。金さえあれば加工・調理しなくても食べていける時代となり、男も女も自活能力が退化してきているように思う。料理用語の「びっくり水」をスーパーへ買いに行った女性もいると聞く。現代の若者を主人公にしたら、傑作の「現代版寄合酒」が創作できるかも知れない。