#6 廓噺の代表作 ~「明烏」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

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1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。


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 廓噺というのは遊廓を舞台にした噺で、多くの演目が今に伝わっており、廓噺なくして落語は語れない。

遊廓は遊女屋が集まっている所で、城下町、宿場町や港町などを中心にして全国的に設けられていたもので、この内、落語に最も多く出てくるのが江戸の吉原遊廓である。

 吉原遊廓は浅草寺の北(現在の千束4丁目辺り)に位置し、四方を堀で囲まれ、広さは約2万坪(甲子園球場2つ分)だったという。遊女の逃亡を防ぐ為に堀には橋が一つも架けられておらず、外界とは大門一つで結ばれていたという陸の孤島であった。大門には番人が常駐していて、人の出入りを厳しく監視していた。

 吉原は幕府公認の遊廓で、3,000人を超す遊女がいたという一大性風俗基地であった。同時に江戸の名士の社交場という機能も持っていたようで、町人に混じって武士や豪商も出入りしていた。蜜柑と材木で一財産を築いた紀伊国屋文左衛門がここを借り切って豪遊をしたという逸話も伝えられている。しかし、華やかさの裏では、人身売買で苦界に身を沈めた悲しい女性の物語も多くあったようである。

 

廓噺の代表作である「明烏(あけがらす)」を鑑賞してみよう。

 19歳になるが勉強ばかりしていて遊びは一切しない商家の若旦那が、町内の遊び人2人に「浅草観音の裏手にある、大層流行っているお稲荷さんへお参りに行こう」と誘われる。家に帰って父親に相談すると、「それは良いことだ。是非行っておいで。あそこは私も若い頃に行ったことがあるが、形(なり)を良くしてお賽銭を沢山持っていくとご利益が大きいからそうしなさい。それから今晩はお篭り(外泊の意)をしなさい」と、一も二も無く勧め、お参りの作法をいろいろ教える。実は父親が遊び人2人に「倅を一度、吉原へ連れて行っておくれ」と先日頼んでおいたもので、後継ぎの経営者として遊びも知っておかなければならないという父親としての配慮であった。

 若旦那は父親に教えられた通り、途中の茶店で2人に飯を驕って“見返り柳”の所まで来ると大勢の人出に吃驚し、「迷子になったらこの柳の下で待っています」と言う。「まるで幽霊だね」と2人は笑い、若旦那は遊廓とはまだ気付かない。

 やがて大門を通って中に入ると、さすがの若旦那も遊廓であることに気付いた。「私は帰ります」と泣きそうに若旦那が言うと、2人が「先ほど通った大門の番人が『3人で入った』とチェックしていますから、1人で帰ると『怪しい奴だ』と大門の所で留め置かれますよ」と脅す。

 観念した若旦那が泣き泣き酒席に就いていると、女将から一部始終を聞き、その初心さに惚れたナンバー1の花魁(おいらん)が、相手をしたいと自ら名乗り出て酒席に出て来る。やがて“お引け(酒席の終了時刻、午前0時)”になって3人はそれぞれの部屋に引き取る。

 翌朝、遊び人2人は「相方が来なかった」と不首尾をぼやきながら朝食の席に就くが若旦那がなかなか起きて来ない。何か不都合でもあったのかと心配になった2人が若旦那の部屋を覗くと、若旦那と花魁はまだ布団の中に居る。「若旦那、昨夜はどうでした?」と2人が訊くと「お篭りは大層結構でした」と若旦那が答える。「ちぇっ、心配して損をした。もう帰りましょうよ」と2人が言うと「花魁が放してくれないんですよ」と若旦那はのろけを言って起きて来ようとしない。頭にきた2人が「じゃあ、我々は先に帰りますから」と言うと若旦那が応えた。「帰れるもんなら帰ってごらん。大門で留められるよ」と。

 

 この噺は演り手が多いが八代目桂文楽の至芸に尽きる。付け足すとすれば、三遊亭楽太郎(六代目三遊亭円楽)が若い頃に演じた、若旦那を地で行ったような一席が印象に残っている。

 「明烏」という題目は、新内の「明烏夢淡雪」から付けられたと聞く。詳細については

知らないが、烏は早起きでその鳴き声で人間を起して回ったとされており、“三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい”という都々逸と同様の趣旨であろうと思われる。

遊廓の様子を知っている人はもう80歳を越えているだろうから廓噺にピンと来ない人が多いと思う。だが、廓噺を得意とした五代目古今亭志ん生が、「学校じゃ教えてくれませんが」とギャグを入れて噺の度に廓の様子を説明してくれているから、志ん生を聴けば大体の感じが掴めると思う。私としては、若い落語ファンが廓噺をどう受け止めているのか、訊いてみたいものである。

 

 隆盛を誇った吉原も、1958(昭和33)年4月1日に施行された売春防止法で灯りが消え、今はソープランド街に変身しているようである。大門も残されておらず当時の吉原を偲ぶことは全く出来ないが、大門から東へ100mほど行った土手通りの吉原大門交差点に、遊女との別れを惜しんで廓の方を何度も振り返ったという“見返り柳”と碑が設けられており、微かに名残を留めている(写真 2007年)。

 

 


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