やる時はやりまっせ!

やる時はやりまっせ!

ニュージーランド南島クィーンズタウンで満天の星と赤色オーロラの撮影に人生を捧げております。同タイトルのホームページTOPを毎週移植

 

レンタカー初日 スペイン・ポルトガル17日間の旅2025 12日目

 

 

 

さて今年2025年の休暇旅行で寄ったスペインとポルトガルの旅も残り4泊。予約しておいたレンタカーを受け取りにリスボン空港まで向かいます。

皆様毎度でございます。今日もイベリア半島の珍道中旅をお送りします。
日付は2025年6月16日(月)になります。

行程はリスボン市内の宿から2本の地下鉄を乗り継ぎ、レンタカーを受け取るリスボン空港まで向かいました。
そこから北上し、上の地図上にある「ナザレ」という大西洋に面した街、その右手に並んだ赤い点辺りをドライブします。

レンタカーは10時00分から借りていたので、空港には09時45分に着くつもりで宿をチェックアウトしました。実際には数本早い地下鉄に乗ったみたいで、空港のレンタカーカウンターには09時35分頃に並んでいました。

借りた車はアニメ「ルパン三世」の愛車である「FIAT500」の現代版。排気量は確か875cc。6速マニュアルシフト。

 

 

 

 

 

筆者はマニュアル車が大好きで、これまで仕事を除いてずっと5速マニュアル。でも今回は6速。しかも、左ハンドル。気分はとってもアイルトン・セナ。

その前に渡された書類に記載のある傷の個所をスマホ撮影。念の為に、おおまかな車体の写真も撮っておき、後で傷の事で揉めないようにしておきます。
エンジン警告灯が点灯しているので、それをリセットして消してもらいました。

アマゾンで購入しておいたスマホホルダーをエアコン吹き出し口の羽根に取り付け、USB-Cケーブルを接続して出発。いきなり片側4車線の道になり、しかもラウンドアバウトが2か所連続で連なっている交差点をほぼUターン状態で空港を後にします。

 

 

 

 

 

向かった先はここ。ヴァスコ・ダ・ガマ橋。テージョ川の河口に架かる大橋です。対岸が見えない位のロング橋です。

立派なワイヤーが見えている吊り橋なので、もしかして日本の技術が入っているんとチャウかと思い調べましたが、どうも全てポルトガルの複数企業が4区画に分けて別々に建設したものだそうです。

テージョ川の河口は最早「海」。これが大航海時代の港になったんですね。内陸なので、波も穏やかですしね。

レンタカーは直ぐ近くの駐車場に停め300メートル程歩いて来ました。

 

 

 

 

 

 

さて車に慣れる為に先を急がずに大橋に寄り、高速道路のルートなどをGoogle Mapで確かめながら大橋の景色を見ていました。

駐車所に戻り、最初の目的地までのルートをGoogle Mapに打ち込みます。そして、上の図がこの日の運転ルート。
リスボン空港の場所が最下段で現在地図にも描かれている大橋の西端にいます。
そして、宿泊先は左上の赤い点である「ナザレ」という街。

ヴァスコ・ダ・ガマ大橋を後にし、暫くは右手にテージョ川を見ながら北上。そこから高速道路に入ります。

今回借りたレンタカーには、日本の有料道路で大活躍のETCと同じ役目をする「Via Verde(ヴィア・ベルデ)」という装置が予め付いており、その使用料金として9ユーロ(約1663円)を支払っておきました。

当初は係員のいる窓口レーンにて、現金かクレジットカードで高速代金を支払うつもりだったのですが、ポルトガルの高速道路の中には、このVia Verdeでの支払いしか受け付けない路線があるらしいのです。

筆者の48時間に渡る行程と見比べると、このVia Verdeしか受付ない所を2回も走る事が判明。仕方なく1663円を払う事になりました。
一般道路を走る事も考慮しましたが、何処から何処まではその範囲なのか詳細が分からず、まあ安心料という事で納得しました。
 

 

 

 

 

 

後から思ったのですが、実はこのVia Verde、まだまだ利用者が少ないのか、他の支払いレーンは混み混みだったので、結果オーライだったと思います。しかも、ETCと同じで「停車する必要がない」のが良かったです。

大橋からA30,A1、A23という高速道路を経て、アルモウロル城の対岸までやって来ました。1171年の建立です。キリスト教VSイスラム教の戦いで勝利したテンプル騎士団の居住地です。

高速を90分間も走ったのですが、この城の下を流れている川は、先程のヴァスコ・ダ・ガマ大橋が架かっていた大河テージョなんです。イベリア半島って、意外と長い川が多い印象です。

そしてこの日の内陸は気温37度に達していました。再びエンジンをスタートさせ、冷房の世話にならないと死にそうです。自分の住むNZはクィーンズタウンで、気温が37度なんかになる事は一切無く、焼け〇にそうでした(笑)。

 

 

 

 

 

エンジンをかけた時計に目をやると既に13時20分。そろそろランチの時間です。もう遅いので城に最も近い街で食べる事にしました。
街の名前は「コンスタンシア」。往路で鉄橋を渡った時に、写真の様な景色だったので迷わず伺います。

メインストリートにたたずむレストランが目に入ったので、近くの無料駐車場に車を停め入店します。しかし、お客さんもお店の方も誰も英語を話していません。メニューも勿論ポルトガル語。

でも、ここはボディランゲージとGoogleレンズを使います。すると英語が解る女性が助けて下さり無事に注文出来ました。食後にトイレも借り、店外に出たら既に14時17分でした。

日没まで7時間もあるので慌てなくても大丈夫なのですが、ここでこの旅で最も悪い思い出になる人災に晒されます。宿の中国人女性オーナーが突然自分のルールを押し付けてきたのです。

予約してから半年近くが経っているのにも関わらず、突如として宿泊日にアレコレと注文してきました。
「何時に着くんだ」「パスポートをスキャンして送って来い」「非接触入室なのでホニャララ」「後で暗証番号を送るので、それを使って入室しろ」

当日の超忙しい最中にこれはないですよね。Booking.comのクチコミ投稿に同様の書き込みがあったので覚悟はしていましたが、想像を絶していました。当日に質問してくる内容ではないので、そうとうレベルが低い方が経営されていると感じました。

結局「何時に着くんだ」を道中何度も尋ねられ、「初めての地で、撮影を大いに楽しんでいるから分からんよ」と返すと半ば諦めたみたいだが、そこからが酷かった。

 

 

 

 

 

さあ、トマールのキリスト教修道院に着きました。
先を急ぎたいのですが、パスポートの写真ページを宿に送らなければなりません。

何故、ここでそんな事をしなければならないのかの質問にも、非接触チェックインだからとしか返って来ません。「もし非接触なら、何故何度も到着時間を尋ねるのか」と質問すると答えを濁します。

早い話、宿の掃除だけして、ゲストは勝手に寝泊まりしてくれればラッキーというのが見え見えで、宿泊税として1ユーロも室内に置いておいて・・・と言うだけ。

なのに、何時に着くんだって何度も聞いて来る。やはり中国人、特に女性は民度が低いのだと確信した。
二度と中国人には接触しないでおこうと感じましたね。

暑いのでエンジンも切れずに駐車場で作業を行いました。さあ、修道院に参りましょう。
 

 

 

 

 

 

内陸なのでとにかく暑い。
首には鳥取砂丘で購入した染手ぬぐいを巻いており、野球帽を何度も脱いで汗をぬぐいます。

この暑さの為だろうけど、お客さんは少ないです。
筆者は相変わらず外観だけの撮影ですが、左手には4Kジンバルカメラを持っており、ずっと動画を撮影しています。

このジンバルカメラはネックストラップで胸元に吊るしており、必要あらば直ぐに電源を入れて動画を撮れる体制にしてあります。

 

 

 

 

 

 

いやぁそれにしても美しい建物です。実は先程寄ったアルモウロル城と同じでテンプル騎士団の本拠地です。年代は12世紀なので、日本は平安時代です。

武士が台頭してくる前のお話ですが、欧州では既に宗教戦争が勃発しており、テンプル騎士団もその一員です。

ここは内装というより、中庭からの景色などが美しいことで有名ですのでチケットカウンターを探します。しかし、案内表示が見当たりません。本来はこのゲートの裏側に右手から回り込むのですが。
実は暑さでやられそうだったので、早く中に入り涼しむつもりでした。石の建物内部は涼しいですからね。
 

 

 

 

 

 

次に入場門の上の城壁に登れる通路に向かいます。ミラーレスカメラにジンバルカメラを持って細い通路を歩いてみました。
ずっと日向を歩いているので、汗の掻き方が尋常じゃないです。ポルトガル内陸の夏はとにかく暑いです。

事実、この時間の大西洋沿岸は気温が10度も低い27度までしか上がっていません。

外壁通路を歩いていると、とある事に気付きます。そう駐車チケットを買って、車のダッシュボードに提示していません。「ヤバイ、チケット切られる」と思い、急遽車に戻りますがセーフでした。

修道院内部を1時間ほどかけて撮影するつもりだったのですが、それも絶たれてしまったので前に進む事にしました。

 

 

 

 

 

Google Mapのナビをセットして、次の訪問地で Fatima ファティマにある聖母大聖堂に向かいます。
修道院訪問の1時間が浮いたので、ユックリ下道を走ればいいやと思いながら、途中で無料区間の高速道路を降ります。

そして、眼前に予定外の美しい建物が広がったので寄る事に。
これがファティマの入口にあるカトリック教会でした。雲一つない空に白い教会が美しかったです。

そこで何かしらの違和感を覚えます。胸に手を当てて考えてみます。

ワチャー、水道橋をすっ飛ばしてるやん!

と気付きます。実は修道院を出て5分の所に美しい水道橋があったのに、暑さと宿のゴタゴタの影響で忘れてしまったんです。あちゃー。

 

 

 

 

 

車で30分もかかる所に戻る時間は流石に無いので、前進する事に。そしてやって来ました「聖母ファティマ聖堂」。

写真では判り難いですが、実は聖堂前は大きな広場となっていて、下手をすると10万人とか収容出来る規模でした。年間何百万人という巡礼者がやって来るそうです。

100年ほど前、3人の子供の前に突然聖母マリアが現れ予言をしたそうです。その予言を信じた群衆がファティマに集まり、太陽の不可思議な動きを目の当たりにしたそうです。

誰もが聖母マリアの仕業と崇め奉り、カトリック教信者の信仰心が世に広まったそうです。

八百万(やおよろず)の神という、全ての物に神様が宿っているという感覚を持つ日本人には信じ難い話だが、世界には宗教が違うというだけで戦争を仕掛ける族が少なくない事を知っておいて下さい。

余りにも広大な敷地を歩いたので、駐車場近くの店でアイスクリームを食って、水分補給をしました。気温は相変わらず37度もありました。

腕時計を見ると、何ともう17時です。行程はちっとも早くは無かったんです。どこで時間を喰ったのか、レンタカーを使った写真撮影時の「あるある」です。
 

 

 

 

 

 

さて20分程の運転で次の街バタリャにきました。その修道院が美しいと聞いていたので撮りまくります。
レンタカーを直ぐ側の無料駐車場位に停め、再び熱風の戸外に出ます。
 

 

 

 

 

 

修道院を反時計回りに移動します。
見るからにゴシック建築です。欧州にはこの手の建物が多くて飽きてしまいますが、ここは可愛げがあって、大きくもなく、かと言って軽々しさは感じません。

これまで24時間耐久レースで有名なフランスはル・マンにあるサンジュリアン大聖堂や、チェコはクトナホラにある聖バルボア教会等の大きなゴシック建築を見てきましたが、どれも可愛げが無かったんですよ。

仏教徒の筆者が言う台詞ではありませんが・・・。

 

 

 

 

 

ぐるり一周すると正面玄関に差し掛かりました。西日に当たっていて、「ええタイミングで来たわ」と予定通りと無理やり納得させていました。ホンマはドタバタやったのに(笑)。

 

 

 

 

 

まだまだ暑いので木陰に入りました。なんかやっと日陰にあり付けた気分でした。
そう言えば直射日光に当たりまくりの一日でした。

常時持っている水を飲み一息入れました。

それでも宿の人が待っている可能性があるので先を急ぐことにしました。
やはり宿はこんな個人経営のものは落ち着かないです。オマケに当日の行程を急かされるし。

Booking.comの口コミに正直に書こうと思っています。ちなみに筆者はBooking.comの最高位レベル会員になってしまっています。
 

 

 

 

 

 

そして宿泊地の Nazare ナザレにやって来ました。しかし、宿の表玄関のチャイムを何度鳴らしてもノックしても誰も出て来ません。

この日だけでBooking.comを通してのメールのやり取りを5往復はしています。撮影に集中したいのに出来ませんでした。そして宿は無人です。

メールで知らされたのは部屋の解除番号だけで、まさか宿が無人だとは思いませんでした。ノックを何度もしていると、隣りのレストランからご主人が出て来てしまいました。

仕方がないので宿に電話をすると、中国訛りの英語を話す女性が出ました。
「何故玄関を開けてくれないのか」と尋ねると、「返送したメールに全て書いてあるので、それを読め」と言って電話を切ってしまいました。既に読んだっちゅうねん。

レストランのご主人がメールに目を通すと、「これとチャウか」と言って、送られて来た暗証番号を玄関の鍵に打ち込み始めます。そう玄関の取っ手に、人の手で擦り切れた番号の書いてある文字盤が隠れていたのです。見事に玄関が開きました。

筆者はその番号が自分の部屋のものだと思っていたのです。メールの文章に「玄関の番号」と書くべきでしたね。メッチャ疲れました。だって、入室に30分もかかったのですから。

宿は丘の上に取りました。時間は既に19時35分です。この30分のロスも痛かったです。

 

 

 

 

 

 

車を走らせ、海辺に降りてきました。久しぶりに大西洋と再会です。時間は20時になろうとしています。

この浜辺近くの宿を取る事も考えたのですが、車があるので敢えて2枚目の写真左上にある丘の上に泊る事にしました。

さて夕食のタイミングです。夕日の事を考えると、宿の近くに戻り、そこにある屋台で飲みながらの方が良いと判断。再び車を走らせます。
 

 

 

 

 

 

ポルトガルなのにフィッシュ&チップスを注文し、早速ビールにあり付きます。一日中運転していたので、この日初めてのビールです。

立て続けにビール瓶を空にし、3本目を飲んでいる間に料理が運ばれてきました。それが、魚が旨いのなんのって。結局ビールを4本飲んで小走りで夕日の見えるエリアを歩を進めます。

50人程度の民衆が集っています。

 

 

 

 

 

 

何処からの方か分かりませんが、モデルになってもらいました。

お子さんの姿もあるのですが、我家の様に(笑)仲の良いご夫婦の様です。

実はこの場所。
世界でも有名な「ビッグウェーブ」のある場所で、サーフィンの世界大会が開催されるんです。
その為に観客用の観戦エリアもあり、今日は夕日の撮影に使わせて貰いました。

 

 

 

 

 

撮影を終えて屋台に戻って来たら、やはり既に閉店していました。

30メートル先にもレストランがあるのですが、ホテルチェックイン後に閉店時間を尋ねた時は「20時30分」と言われたに、21時20分でも新規のお客さんを入れてました。

なんじゃそれ

 

 

 

 

 

さて翌日も結構走るので、さっさと風呂に入って寝る事にしました。
道中、教会を手持ち撮影で撮ります。

しかし、泊った宿のホンマの恐ろしさはこれから始まります。
実は室内に無数の蚊が常駐しており、窓も開けてないのに、耳元で「ぶーん」と飛びまくっています。

午前3時頃に2か所刺されており、その痒みで起きてしまいました。4匹の蚊を撃滅し安心して寝ますが、羽音は引き続き聞こえておりました。

しかし、全く見当たりません。ベッドの下の空間で3匹撃滅したので、今回もそうだろうと思いましたが、羽音が耳元で聞こえています。

それから一睡も出来ず午前4時になってしまいました。これでは運転に影響すると思い、何とレンタカーに非難します。しかし狭くて寝られず部屋に戻るも蚊は未だ飛んでいます。

結局午前5時前にチェックアウトする事を決め歯磨きをスタート。
5時30分に部屋を出て、海岸線の大きな駐車場に車を停めて寝ました。

近くのガソリンスタンドで朝食と珈琲・水を買い、最後にトイレを借ります。

旅行業に従事して40年近く、今回の宿はワースト記録を更新してくれました。泊った宿はこれ
被害に遭われたくない方は止めておいた方が良いでしょうか。バスシャワーも室外共同でこの値段。

失敗しました。

 

 

 

 

 

2026年も大いにオーロラが出ます様に

 

 

 

初めて筆者のオーロラ写真を見に来て下さった方もいると思いますが、筆者は昭和の時代にNZニュージーランドに移り住んだオッサンで、オーロラを撮る為に酒も吞まず、昼夜反対の生活をずっと送っています。

フィルムカメラの時代からオーロラを撮っており、その当時は冷蔵庫の中に常時ネガ&ポジフィルムを保管していました。

途中でフィルムが賞味期限を迎えてしまい、子供のオモチャになったりもしましたが、今では良い思い出です。

その子供達はここNZで生まれ、どちらも筆者の住むクィーンズタウンという街から180キロメートルも南にある病院まで妊婦である嫁さんを筆者自らの運転で連れて行きました。一人目の時は破水してから2時間かけて移動しました。

今では2人とも成人し、23歳でNZにやって来た筆者も還暦を迎えました。
そんなオッサンが撮る赤いオーロラですが、ご興味ありましたら、またお越し下さいませ。

 

 

 

 

 

ニュージーランドのオーロラ 2025年12月22日早朝

 

 

 

オーロラファンの皆様、ご機嫌麗しゅうございます。

今回も南半球のオーロラをご覧頂こうと思います。実はこの写真、予想よりも24時間以上早くに地球に到達したと思われる高速太陽風によるものなのです。

実は27日前の前周期に、さほど大きくもないコロナホールが未だ太陽のほぼ中心から少しだけ右に動いた辺りで、高速太陽風が地球にやって来た事があったんです。
ただコロナホールがほぼ太陽の赤道上にある事から、オーロラ撮影のスクランブル出動だけはスタンバっていました。

しかし、天候も悪く、太陽風磁場の向きも南北を行き来するだけで、地球磁場に大きな風穴が開く事もなく「空振り」に終っていたんです。

今回は同じコロナホールの大きさが地球の数百倍の大きさに成長して真正面に戻って来ました。
前回の高速太陽風の到達が24時間以上早くになった事から、今回も同じだろうという事でNASAや他の専門機関の予想を無視し、筆者独自にスタンバっていました。

 

 

 

 

 

そして、その予想が見事に当たりまして、日付が22日に変わった直後、日本時間だと21日20時頃から撮影に出動しました。専門機関の予想は22日の深夜でしたので、約20時間ほど早く到達した事になります。

太陽風磁場の向きが南向きに落ちたのが60分間程だったので、大した出現にはならないだろうと思いました。事実序盤は地平線スレスレに赤と緑のオーロラが左右にダンスする模様が撮れましたが、やはり60分間の南向きでは大きなオーロラは出ません。

その後は70分間ほど北向きを維持したので撤収を模索する段階に。しかし、再び南向きに大きく落ちました。午前1時50分頃の話です。

その時の太陽風速度が秒速620キロメートルだったので、筆者の方程式に当てはめると、1時間後には「それなりの出現が来るかな」という事で、3台の天体改造機によるタイムラプス撮影を継続する事にしました。
 

 

 

 

 

 

そして02時53分。一本の光柱が出始め、その後にそれが数本、そして10本近くに増えていきました。
筆者の方程式は間違いありませんでした。

しかし、この朝の天文薄明開始時刻は03時21分。空が白み始めるまで30分を切っています。
オマケにオーロラベルトはNZニュージーランド南島から徐々に離れていく時間帯なので、大したオーロラにはならないだろうと思いました。

しかも、目の前の湖は強風で波打っており、その飛沫が三脚を濡らすレベルだったんです。真夏のクィーンズタウンですが、気温は06度。そして強風。上下共スキーウエアを着て対処します。

3台の天体改造機に取り付けたレンズの焦点距離は24mm、18mm、10mmとし、三脚を3台横に並べて撮りました。

皆様はどの構図がお好きでしょうか?

 

 

 

 

 

南十字という星のシャワー

 

 

 

日本の70%程の大きさしかないNZニュージーランド。
そこに533万人しか住んでいません。

昔は横浜市の総人口と同じ・・・と言われていた頃もあったのですが、移民を増やした結果、500万人を越えました。

地球の総人口が80億と言われていますが、その92%が北半球に住んでおり、南半球には6億4千万人しか住んでいません。

理由は南半球の81.6%が海洋だからです。そう、陸地がないんです。
しかも、南極大陸という陸地もあり、人類は住めません。

そう過疎も過疎(笑)。

そんな大地に赤道儀望遠鏡を立ててみました。

頭上には天の川が最も高く昇り、その中央に南十字。

熊や蛇、ワニ、狼、野犬など、危険な動物は一切いません。夜間に愛車のドアのロックを忘れても何も盗まれる事もありません。クィーンズタウンは今の所。

南十字が天の川の中央部分に見えています。

 

 

 

 

 

1枚目の写真は普通のミラーレスカメラで撮ったので、天の川が白黒の様に写っていますが、天体改造カメラで撮ると、天の川の本物の色と赤色の星雲が浮かび上がって来ます。

この写真がそれです。中央の十字架が南十字です。

今では星を普通のカメラで撮る事もなくなりました。
何故なら天の川って黄色~茶色なので、改造カメラで撮らないと「その色」の波長が何十%も透過しないからなんです。

そう学生時代から星をフィルムで撮っていたので、本物の色をずっと見て来たんですよ。
普通のカメラで撮っても天の川や星雲の本物の色が出ないので、時間が勿体ないですよね。

フィルムカメラで撮ると、全ての色を透過します。それと同じ条件で撮るのなら、先ずは天体改造カメラをご考慮下さい。

これまで一眼カメラを5台も改造しましたが、カメラは日進月歩で進化しているので、度々カメラを改造したくなっちまう。

これだけの星空があるので、機材を揃えないと後悔してまうしね。

いやぁ、それにしても南十字がほぼ頭の真上で輝いているなんて、ええ所に住んでまっせ。

ところで、スマホを見るのにほぼ真下をずっと見ている皆さん、クィーンズタウンに来ても首が固着して、南十字を見られへんのんとチャイますか?

 

 

 

 

 

餘部橋梁と鳥取砂丘 グリーン車乗り放題2週間の旅2025 11日目

 

 

8日ぶりに大阪の実家に戻り真夜中の洗濯をし、この日と翌日は日帰りの旅をしました。
今年はジャパンレールパス・グリーン車2週間券を購入しているので、鉄路旅もこの日を入れて残り4日。

11日目のこの日は、山陰本線に因美線、智頭急行線、山陽新幹線と利用し、軽く日本海を見て来ました。

でも荷物は Lowepro のバックパックだけなので、撮影枚数がいつもの5倍にもなりました。
やはり、撮影に集中するには、大きな旅行バッグを持っていてはダメだと悟りました。

14日間の行程は以下の通りです。

1日目 池袋→新宿→塩尻→長野→加賀温泉→山中温泉
2日目 山中温泉→加賀温泉→新高岡→城端→五箇山菅沼→新高岡→富山→敦賀→高槻→摂津富田
3日目 摂津富田→新大阪→博多→鹿児島中央→天文館通
4日目 天文館通→鹿児島中央→宮崎→大分→黒崎→八幡→皿倉山展望台→八幡→小倉→博多
5日目 博多→岡山→善通寺→高知→多度津→今治→岡山→博多
6日目 博多→新大阪→東京→新函館北斗→札幌
7日目 札幌→南稚内(→猿払村→宗谷岬→白い道→稚内公園→ノシャップ岬→夕日丘パーキング→南稚内)
8日目 南稚内→旭川→札幌→釧路
9日目 釧路→南千歳→新函館北斗→八戸→八食センター→八戸中心部→舘鼻岸壁
10日目 舘鼻岸壁朝市→陸奥湊→八戸→盛岡→秋田→新潟→高崎→金沢→敦賀→高槻→摂津富田
11日目 摂津富田→高槻→京都→城崎温泉→餘部→福部→鳥取砂丘→鳥取→姫路→新大阪→摂津富田
12日目 摂津富田→新大阪→新鳥栖→佐世保→展海峰→石岳展望台→佐世保→新鳥栖→新大阪→摂津富田
13日目 摂津富田→新大阪→紀伊勝浦→那智山→紀伊勝浦→名古屋→新横浜
14日目 新横浜→東京→銚子→銚子漁港→銚子→東京→中野→お茶の水→秋葉原→東京→京都→摂津富田

この日の行程は

摂津富田→高槻 07:10発 07:13着 京都線
高槻→京都 07:15発 07:28着 特急サンダーバード3号
京都→城崎温泉 07:32発 09:52着 特急きのさき1号
城崎温泉→餘部 10:26発 11:07着 山陰本線
餘部→福部 12:43発 13:37着 山陰本線
福部→砂丘東口 13:57発 14:06着 日本交通
砂丘会館→鳥取駅 16:20発 16:42着 日ノ丸自動車
鳥取→姫路 16:55発 18:27着 特急スーパーはくと14号
姫路→新大阪 18:52発 19:21着 新幹線さくら564号
新大阪→摂津富田 19:30発 19:48着 京都線

 

 

 

 

 

さて、皆様の中で、先に表示した本日の行程表を見て、
「おいおい、特急サンダーバード号のグリーン車から、特急きのさき号のグリーン車まで4分で乗り換えるのかよ。」と思った方は、相当「鉄」分の多い方だと思います。

そう、特急サンダーバード号の到着ホーム0番線と、特急きのさき号の出発ホームである30番線は、東西で差があるものの、同一ホームとなっているのですが、9両編成のサンダーバード号のグリーン車は先頭車。

しかも、特急きのさき号のグリーン車は「反対方向に向けて出発する列車」の先頭車。

9両全てを飛び越えて、未だその先にある30番線まで辿り着き、4両編成の先頭車への移動を4分で成し遂げなければなりません。

「新幹線と違って、特急9両なんて知れてる」と思いグリーン車に14分間だけ乗ったのですが、実は到着時間の07時28分って、07時28分45秒でも「07時28分」の場合があります。この日は、まさにそれ。

そう3分強で最低約360メートルを移動する必要があるのです。しかも、時間は朝の07時30分。
中央改札から入って来る旅客とぶつからないように、出発ギリギリで30番線まで辿り着き、最後尾4号車から乗車出来ました。

この状況を知ってはいましたが、サンダーバードの9両編成+アルファって、還暦過ぎのオヤジにはきつかったぁ(笑)。でもオモロかった。

 

 

 

 

 

最後尾4号車から乗ったので、先頭車の前方部分にある半室グリーン車に向かっている間に列車は出発し、かなり揺られながら着席出来ました。

他に乗客は誰もいませんでした。

アホな乗り換えをしましたが、皆様の中で同じ乗り換えをされる方がありましたら、京都駅に着くまでにサンダーバード号の最後尾9号車まで移動され、そこから下車される事をお勧め致します。

筆者は乗り鉄なので、きのさき号が何処から出発するのか知っていたからこそ出来た技でして。

息を整えながらグリーン座席の最後尾である5Aに着席し、大きな窓から見える景色も備えました。

 

 

 

 

 

特急きのさき1号は定刻の09時52分に城崎温泉駅に到着し、後続の列車に乗り継ぎます。午前中の目的地は餘部鉄橋。

ホンマは手前の豊岡駅で後続列車に乗り換えても良かったのですが、実は大阪人なのに城崎温泉って来た事が無かったんですよ。そこで、乗り換えをこの駅にし、34分間だけ撮影する事にしました。
メイン通りはインバウンド客が半数を占めており、温泉好きな方が多い印象を持ちました。

日本人が長寿命なのは、実はこの毎日「湯船に浸かる」事が理由の一つだと言われています。
日本人以外で毎日「湯船に浸かる」なんて贅沢な事をしている人種は、世界中何処を探しても日本だけではないでしょうか?

それを勘違いして、日本食が長寿の秘訣と思い込んでいる人がおり、ラーメンを週7で食べる白人を知っています。その男性に、毎日のラーメンは逆効果なので、とにかくシャワーではなく「湯船に浸かれ」とアドバイスをしますが、湯船に浸かれば、同居人が水のシャワーを浴びる事になり、共同生活が出来なくなります。

そう海外では多くが、ホットウォーターシリンダー、早い話、お湯のタンクから給湯します。そのお湯は電気で温められたもので、最高でも70度にしか出来ません。理由は、それ以上だとタンクの寿命が極端に短くなるからです。
海外のホテルだと、55度が平均だと聞いています。しかも、お湯のタンクは一部屋に一つではなく、数室で一つなんて所もあります。故にお湯には限りがあり、数人が湯舟一杯にお湯を溜めると、容易にお湯が無くなり、水風呂・水シャワーになります。

日本がどれだけ恵まれているのかご理解頂けますか?だから長生きなんです。

 

 

 

 

 

そんな長寿の国・日本なのですが、その歴史の生き証人である城崎温泉のメイン通りを歩いてみました。なんせ34分間しかありません。

見た目は「くたびれた温泉街」といった佇まいではある物の、「それがどうした、文句があるなら長生きしてみろ」といった風情があります。

スマホしか見ない若者の戯言なんか無視して、その風情を貫き通してみて欲しいと思います。スマホしか見ない若者も、いつかその良さに気が付くでしょう。

 

 

 

 

 

300メートルほど歩き、地蔵湯橋までやって来ました。
山陰本線の鉄橋も見える所なのですが、運行本数が少ないので列車を撮る事は出来ません。

でも、この佇まいですが、夕暮れからブルーモーメントの時間帯に来て長時間露光をすれば・・・と感じました。いずれ嫁さんと来るかな。

筆者の嫁さん、温泉が大好きなので。

写真を幾らでも撮ってしまうので、そろそろ駅に戻らないといけません。

しかし、旅行バッグを持っていないって、こんなに楽なんですね。
今後もジャパンレールパスを使った旅に度々組み入れたいと思います。

 

 

 

 

 

さて、後続列車に乗ります。山陰本線の各駅停車で、浜坂行きです。

ワンマン列車なのですが、指導員の方がおられ、新人教育を受けておられました。かと言って、運転に新人感は無く、誠にスムースな運転をして下さいました。

途中、日本海と入江の景色を楽しみながら列車は西へ進みます。
香住駅で上り列車との交換がありました。

キハ40型に乗れて、顔が緩んでいたと思います(笑)。

 

 

 

 

 

そして41分の乗車で、午前中の目的地である餘部駅に到着しました。

2枚目の写真のホーム左手に、昔の線路が見えていますね。余部橋梁(鉄橋)があった時代の線路跡が今でも残してあります。

それでは特急はまかぜ号が直ぐ後ろから近付いてきているので、早速2枚目の写真の右端にあるコンクリートの壁、その裏側にある「お立ち台」に向かいます。

 

 

 

 

 

ホームの西端に近い所から遊歩道が設置されており、それを下っていきます。

ヘアピンカーブを数回クリアし、線路をくぐる所まで来ると、ご覧の様な看板が見えてきます。

撮影スポットである「お立ち台」に行くには、坂を登っていきます。

 

 

 

 

 

これまたヘアピンを数回クリアして登っていくと、突然目の前にお立ち台が現れます。

この日は若い女性が2名も来ておられますが、筆者と入れ替わりに帰ろうとされます。
「もう直ぐ特急が来ますよ」と声を掛けると、「やはりそうですよね」と、待てど暮らせど特急はまかぜ号が来ないので撤収する所だった様です。

3人で仲良く撮影場所をシェアし、はまかぜ号が来るのを待ちました。

70-200mmレンズに交換しようと思いましたが、やはり橋の全景も入れたかったので、24-70mmのままにし、70mmのクロップで105mm対応で済ませました。

α7RIIIは古いですが、それ以降のソニー機は全ての機種でノイズが酷くなったので、今でも使い続けています。

 

 

 

 

 

来ました来ました。

15年前までは鉄橋があったのですが、例の列車転落事故を境に、コンクリート製の新しい橋梁を造り始めました。

故に、トンネルを出た後も直線だった線路が、Sの字に変わってしまいました。

大阪駅から、この特急はまかぜ号に乗る手段もありましたが、この写真を撮るために京都駅を走ったのでありました(笑)。

 

 

 

 

 

お立ち台を撤収後に男性一人と擦れ違いました。

その途中、このアングルが目に入りました。お立ち台の直ぐ下にあります。
ここから望遠レンズで真正面を狙ってもいいかも知れませんが、海が切れるかも知れませんね。

 

 

 

 

 

復路に新旧の橋梁を撮ってみました。

鉄橋は100年以上前に建てられたものですから、この地域の重要な建造物だったに違いありません。

 

 

 

 

 

駅のホームとの分岐点まで戻って来ました。
山陰本線の列車に乗る方は、この登り坂を利用すれば駅にたどり着けます。

筆者は次の列車まで1時間以上確保してあるので、観光とランチを楽しみます。

 

 

 

 

 

下り遊歩道に沿って歩いていくと、赤色の鉄橋が途中で切れている事が見えて来ます。
またそれに緑色のタワーが立っているのも見えて来ます。

この緑色のタワーは実はエレベーターで、この坂道を歩いて登らなくても、最上階が駅への近道となっている訳です。

筆者も後続列車に乗る時に利用させて貰います。

 

 

 

 

 

そして再度橋梁をくぐります。
ちなみにレンズは Laowa 10mm F2.8 Zero-D です。超広角で、しかも地平線が真直ぐなレンズです。

沢山写って撮影が楽でした。

 

 

 

 

 

ほぼ地べたまで降りてきました。

ここにエレベーターを架ける発想は、何方のアイデアなのでしょうか?筆者には思いも付かない内容です。
周辺住民の年齢層も上がって来ているのでしょうね。

 

 

 

 

 

さて、鉄橋時代の遺構横にやって来ました。

明治時代に建築され、100年以上も山陰本線を支え続けた鉄橋なんですねぇ。
このアイデアも何方のものなのか、現地に住まないと分からない事だらけです。

鉄橋から列車が落下した時、ここにカニ缶詰加工工場があったと聞いています。カニの本場ですもんね。

高さが41メートルもあるそうで、ビルの14階建て屋上と匹敵するのかな。
筆者にとってだと、世界初の商業バンジージャンプがクィーンズタウンで始まったのですが、その高さが43メートルなので、ほぼ同じ。

そのバンジーサイトにお客様を連れて何度も伺いましたが、メッチャ高いです。
山陰本線を通す為に、鉄橋を選ばざるを得なかった事を、もう少し調べてみたくなりました。

 

 

 

 

 

慰霊碑横に実際に使われていた鉄橋の一部が展示してありました。
日本海からの潮風で、塩害に晒され続け、こんなに錆びていました。

天気が荒れた時の風力計を人間が確認して運行させていたが為に発生した事故ですが、1986年も継続されていた事に驚きを隠せません。

 

 

 

 

さて正午が近付いて来たので、道の駅にやって来ました。

奥に資料館があったので寄ってみます。
国鉄時代に使われていたものや、車両等の写真が販売されており、無人店故にお金を投げ入れるシステムもありました。

筆者は乗り鉄なので、「みな、好きやなぁ」と思いながら次の電車の発車時間の事を考え、早々にランチにしました。

メニューの種類が多くて困りました。列車の発車時間を考慮して、時間のかからないであろう「海カレー」を注文しました。

そう言えば日本帰省中に、食堂系のメニューを暫く選んでいなかったので新鮮でした。

 

 

 

 

列車の発車時刻は12時43分。慌てたくないので、余裕を持って鉄橋下まで戻ってきました。

遊歩道を使って駅まで登っても良かったのですが、折角のエレベーターがあるので、観光目的で利用させて頂きました。

あっという間に旧鉄橋の高さまで連れて行ってくれます。

 

 

 

 

 

鉄橋と同様に鉄骨で外枠が造られていましたが、海が近いので塩害の事を考えると、定期的なメンテナンスも大変だろうなぁと感じました。

でも、ガラスのエレベーターを採用されており、美しい日本海も見られ、特に晴れた日に来られた方はラッキーでしょうね。

この日は曇天でした。

実は翌日に晴天になるのですが、その晴れ間を佐世保の九十九島に当てました。

 

 

 

 

 

エレベーターを降りて左折すると足元に旧線路があり、、その先は通行止め。
この高さを風除けのない鉄橋で渡っていたとは。迫力満点だったでしょうね。

寝台特急出雲号は、ここを上下線、何時頃に通過していたんでしょうね。

 

 

 

 

 

それでは駅のホームに向かいます。

ベンチシートも設置されており、地元の頑張りを感じました。

 

 

 

 

 

それでは12時43分発の鳥取駅行き、普通列車に乗り込みます。

下車駅の福部までは54分間もかかりますが、撮影が忙しくて一度も座りませんでした。

すると途中の岩美駅で100人近い乗客がホームを埋め尽くしており、あっと言う間に車内は混み混みになってしまいました。

高校と病院があるので、その皆様だったのかもしれません。

ただ筆者は2個先の駅で下車するので、短時間の満員電車乗車で助かりました。

 

 

 

 

 

13時37分、鳥取行きの普通列車は定刻に福部駅に到着しました。

筆者は、この駅前から出る日本交通さんのバスで鳥取砂丘近くのバス停まで移動します。

ただこの列車、この駅で上り列車と交換するのか、筆者がバス停に着いても未だ出発していなかったです。次が終点の鳥取駅なのに、ここで9分間も待たなくてはなりません。

これも山陰本線アルアルなのでしょうか?

今度ユックリと鳥取に泊って、飲み屋でジモティと語らいたいですね。

 

 

 

 

 

福部駅で列車を下車し、300メートル程で福部町総合支社前バス停に着きます。そこで日本交通のバスに乗り換えます。

乗車時間10分弱で鳥取砂丘の入口である「砂丘東口バス停」で下車しました。
多くのインバンド客がバスを待っていましたが、何故ここからバスに乗るのでしょうか?

もし往路に鳥取駅を出発するバスに乗った場合、砂丘の真横にあるバス停まで行くバスではなく、そこに行かないバスもあるのが原因ですよね。
早い話、往路もこのバス停で降りて砂丘に行ったんでしょうね。ややこしいですね。

まあGoogle Mapで調べれば、どちらも表示されますが、特急の到着時間に合わせて乗ったバスが、砂丘の真横まで行かないバスだったのでしょうね。

 

 

 

 

 

筆者が福部駅から乗ったバスは、残念ながら砂丘横付けのバスでは無かったので、東口バス停で下車しました。

そして徒歩で300メートルほど歩けば、砂丘に出られる一つ目の入口にやって来ます。
ただ念の為に事前にトイレに行きたかったので、650メートルほど歩いて砂丘会館のトイレをお借りしました。

道路を渡り階段を上ります。
すると目の前に砂漠が広がりました。

両親の田舎が岡山県なので、津山近辺は何度も伺っているのですが、因美線に乗って鳥取には一度も来てませんでした。

先程の岩美駅ホームで100名近くが乗車したり、広大な砂漠があったりと、もっと早くに来ておけば良かったと思いました。

しかし、この砂丘。海まで遠いです(笑)。
でも、まさに砂の丘が目の前に広がっていました。平じゃ無かったんです。当たり前か(笑)。
 

 

 

 

 

 

ではもう若くないので、ユックリと前進する事にしました。
手前の階段を上る前に、女性2名が靴の中に大量の砂が入ったらしく、靴を脱いでひっくり返している姿に出逢いました。

「やっぱり、そうなりますか?」とお尋ねすると、「歩く場所次第ですよ」とアドバイスを下さいました。

しかし、何処を歩けば最も靴に砂が入らないのか分かりません(笑)。蹴り上げなければ良い感じだと思います。

 

 

 

 

 

階段の最上段から約400メートル歩くと、「馬の背」と呼ばれる最も高い場所に着きます。
最後の150メートル程度は上りなので、筆者と年齢が近い方は無理をせずにユッタリと登られて下さい。

目の前には日本海が広がっていました。階段横にあった掲示板に「晴れ時々曇り」と手書きで書かれていましたが、残念ながら餘部にいる時から太陽の姿を一度も見ていません。

日本の天気予報ですが、気象予報士制度を採用するようになってから、以前より予報が当たらなくなっていませんか?
超難関試験の一つですが、やはり「予報」は未来を当てるものなので大変です。

筆者もスターウォッチングツアーを長年運営していた時に、直前まで天気とのニラメッコをするので、それはそれは鍛えられました。ちなみに、NZの予報官よりも天気予報を当てられます(笑)。

 

 

 

 

 

バスを降り、次のバスまで2時間15分の時間を確保していましたが、そろそろ大阪に戻ろうと思います。
砂丘会館で一杯吞めるかなと思い、それを見越して馬の背を後にしました。

すると、その馬の背を上り下りしている若者3人が目に入りました。
あの斜度を走って下っています。

「若さってええよね」

まさか自分が還暦を迎えようとは思ってもいませんでしたが、時間は万人に平等なんですね。参りました。
ただ、これからも「その気になれば」この下り坂を全力疾走で下れる体に仕上げる事は可能だと思いますが、筋肉が何本も切れるでしょうね。

その為には、アイスクリーム摂取量を減らして、このお腹を引っ込めないとあきません。

 

 

 

 

 

砂丘会館で手ぬぐいの染め物を購入し、スペイン・ポルトガル旅行の汗拭きにすることにしました。
16時20分発の日ノ丸自動車バスで鳥取駅に向かいますが、車内は物凄い混みようです。

鳥取駅を16時55分に出発する特急スーパーはくと14号のチケットを持っているのですが、バスは16時42分の到着予定です。
しかし、どうも混雑で雲行きが怪しくなってきました。

Google Mapで現在位置を確認しながら乗車していると、鳥取駅到着が列車発車の5分前辺りになりそうなんです。これではコンビニで夕食と燃料・ツマミを買う時間もないと思われました。
しかも、コンビニのレジが大渋滞中。

夕食とビール燃料の確保を諦めかけた時、駅弁カウンターが閉店しかけているのを見かけました。
残念ながら駅弁は全て売り切れだったのですっが、500ミリリットルの一番搾りを販売されているのを確認し、速攻で購入。

何とか間に合いました。初めてのスーパーはくと号乗車です。

5号車グリーン車入口前にて動画撮影をしたのですが、ドアが開くと同時に筆者を入れて8名が車内に入っていきましたが、その内2名さんは最も大きなスーツケースを転がしておられます。

いつも通り、最後尾から乗車しましたが、その内グリーン車に着席したのは筆者を含めて3名だけでした。
半室指定席は後ろの4号車入口から乗ったほうが遥かに近いのですが、スーパーはくと号車両の入口は各車両1カ所しかなく、しかも入口が前部にある号車と後部にある号車が混ざっているという、少々ややこしい列車でした。

そして、遠慮なく車内で燃料補給をさせて貰いました。姫路駅までは1時間32分間の乗車です。
途中、車掌さんにジャパンレールパスではカバーされない、智頭~上郡間の運賃とグリーン代金を現金でお支払いしました。智頭急行は第3セクター路線ですからね。

 

 

 

 

 

姫路駅には定刻の18時27分に到着し、新幹線に乗り換えます。
バス遅延の為、鳥取駅で購入出来なかった駅弁を乗り換え時間の25分間で購入しようと思っていたのですが、500ミリリットルの一番搾り2本でお腹が空いていません。

そこで、実家に戻ってから食べさせて貰う事にしました。

新幹線ホームに上がると500系新幹線が目の前に停まっていたので、舐める様に録り(撮り)まくってしまいました。
いつ見ても500系の流線形は美しいです。それが眼前にあるのですから、飛行機とは違いますよね。

500系出発後に下りホームに鹿児島中央駅行きのさくら569号が入って来ました。

次の日に新鳥栖まで連れて行って貰う車両を眺め乍ら、依然天気が悪い事を改めて知りました。

その後に新幹線さくら564号に乗り、新大阪乗り換えで実家に戻りました。
京都駅でダッシュしたのが12時間前だったので、この日もかなり楽しみましたね。

さて次回は12日目の模様をレポートします。行先は佐世保の九十九島です。これも日帰りになるのですが、佐世保駅から九十九島の展望台に行くバスは一日1本だけなので、朝一のバスに乗って出発します。
お楽しみに。

 

 

 

 

 

大気光 敵か、それとも味方か

 

 

 

2025年12月4日(木)です。
実は昨晩3日の夜に、太陽風速度が遅いままなのに、その磁場の向きが大きく南向きになり、地球磁場がかなり乱れました。

となればオーロラが出ない訳はないのですが、生憎「月齢13」という月の大きさ。そう、ほぼ満月ではあ~りませんか。これでは猛烈な磁気嵐にならない限り、オーロラはまともに写ってくれません。

そこで悲しいかな自宅待機。
クィーンズタウンの丘の上に設置してあるウェブカムを見ていると、一瞬だがオーロラの光柱が2本そびえ立っていた。しかし、空が白み始めるタイミングなので、出動には至らずでした。

こうして「真夜中にスクランブル発進する」体制を維持しながら、ここ十何年間も過ごしています。

そして最近、ここ13年間で撮影した全ての天体写真を入れてあるHDDをタワーに挿し、再度RAW現像をしています。その中に、「これはアカンわ」という写真が見つかったので紹介します。

先ずは上の写真をご覧下さい。
天体写真を撮った事のない方だと、それなりに星の多さなどに気付いてくれると思うのですが、目が肥えている方には違和感満載の写真だと思います。

そう、実は写真の色が明らかに変です。

どう変かと言うと、先ずは中央から右下に掛けて赤く染まっている事です。
次に、右端を除いて写真が緑っぽい事です。

右下に写っている小マゼラン雲と球状星団NGC104周辺は、明らかに赤いですよね。

これ全部「大気光」英語では Airglow と言います。

 

 

 

 

 

実は、この夜(2018年12月14日早朝)はこの写真の左手に写っている緑色の彗星を撮りに来たんです。

写真最上段には「逆さまのオリオン座」の下半分が写っており、バーナードループ、エンジェルフィッシュ星雲、バラ星雲等も写っています。

しかし、写真中央付近には左右に横たわる赤い物体があり、それ以外の空の殆どが緑色に染まっていますね。

この赤色も緑色も、実は「大気光」なんです。

こうなってしまうと、この大気光を封じ込めるフィルターを使うしか無いのですが、実は大気光の緑色が発する波長は557.7nmで、赤色が630.0nmなんです。

そう、この数値ですが、オーロラの緑色と赤色の波長と全く同じなんです。

オーロラ撮影をライフワークにしている筆者が、この波長を除外するフィルターを持っているわけもなく、大気光が夜空を染める夜は、諦めるしかないのが現状です。

大気は「微かな光」を真夜中に発光し、それが大気光として認識されるのですが、その微かな光が捉えられる程、クィーンズタウン郊外の星空が真っ暗だという事になるでしょうか?

という事で、今の所、この大気光は筆者には「敵」になっています。幾らRAW現像画像処理をしても、大気光が出ている場合は困難を極めますので、さっさと諦めます。

皆様が清水の舞台から飛び降りてニュージーランドに星を撮りに来られた夜に、この大気光が出現しない事を祈ります。

 

 

 

 

 

巨大黒点群 これを待ってたんよ

 

 

 

2025年も師走の12月に入り、日本の皆様におかれましては、そろそろ年越しの準備に入られる方もあるかと思います。
しかし、ニュージーランドでは「おせち料理」も「門松」も「帰省する時の鉄道チケット」「お年玉の袋」「年賀状」「大掃除」「お歳暮」「年越しそば」「かぼちゃ/ゆず」等、何一つ準備不要です。

我家は日本人家族なので、唯一「年越しそば」だけは嫁さんが毎年作ってくれます。

そんな中、太陽の左手から大きな黒点群が見えてきました。太陽も自転をしているので、この黒点群もあと3日ほどで真正面にやって来ます。

もし、その時に大きなフレア爆発を起こした場合、待ちに待った48時間連続のオーロラ出現なんて事になるやもしれません。

この黒点群、相当大きいです。

ちなみに太陽は地球の110倍の大きさがある事から、地球は小さな黒点1つの大きさとほぼ同じ大きさになります。

もし真正面を向いた時にフレアが起こったとすれば、その2日後くらいに衝撃波が地球に到達しますので、大きなオーロラとの対面は2025年12月7日(日)の夜辺りになるでしょうか。

その時の月齢は17.2なので、空が真っ暗になって、1時間後には大きな月が昇って来てしまう計算になってしまいます。

航空業界の皆様には申し訳ありませんが、エアバス320型機が太陽フレアの影響で機体に不具合が出てしまいました。それが再度発生してしまうかも知れません。

 

 

 

 

 

今回のソフトとハードウェアの改善/交換は、それも見越しての処置なのかもしれませんが、「オーロラを期待してしまって」申し訳ないと思っております。

比較対象の意味も込めて、この写真をご覧下さいませ。
立派な大きな黒点群が写っていますが、撮影日は何と2001年3月29日(木)です。

実は、この日に大きな黒点群が大規模フレア爆発を起こしました。いや、前後3日間に渡って、中規模、大規模フレア爆発を繰り返したんです。

まるで昨年2024年5月11日に出現したオーロラの時と同じように、フレア爆発が地球方向を向いて、複数起こりました。同時にCMEという宇宙ガス放出現象も連発し、太陽のフレアに地球が数発撃ちぬかれたんです。

そして、2日後の2001年3月31日の夜、23時に仕事を終えて車に向かいました。
するとどうでしょう、勤務先が街中なので街灯が邪魔で見えなかった夜空が、七色に燃えていました。

急いで帰宅しますが、その大オーロラを見上げている人が2名しかいませんでした。
後は皆早寝でもう寝てます。

当時はフィルムカメラしか持っておらず、しかも「まさか、こんな大オーロラが出るなんて」分からなかったので、自宅には24枚撮りネガフィルムが1本しかなく、それを大切に使いながら午前4時頃までに全部撮り終えてしまいました。

その中の一枚を表紙にして写真集を発刊しました。

 

 

 

 

 

こちらがその写真集の表紙(右半分)、裏表紙(左半分)です。
未だに好評発売中です(笑)。ご興味ある方は、アストロアーツさんのオンラインショップをご覧下さいませ。

この夜に撮った写真も5枚ほどA4サイズでこの写真集に入れてありますよ。

そんな事より、これから1週間以内にこの黒点群がフレア爆発を起こした場合(あわよくば連発で)、太陽活動の第25期を飾るオーロラとなる事を期待しますが、彗星と同じで、期待し過ぎると、ロクな結果になりません。

故に、自然体で過ごしたいと思います。

先程 Sony α7V という最新のカメラが発表されましたが、私は既にマウント径の大きなニコンのフルサイズ機を2台も天体改造し、昼光用のカメラも必然的にニコンに変わっていくでしょうから、ソニーさんのカメラとは離れていくと思います。

なんせ背面液晶で撮像を確認している最中にシャッターボタンを押してもシャッターが下りないカメラは無理です。

現在昼光用カメラとして使っている α7RIII で何度もシャッターチャンスを逃してしまった経験があるんですわ。オーロラを連続で撮っている時に、わざわざシャッターボタンを2回押さないとシャッターが切れないカメラは正直使い物にならないですからね。

さて、この黒点群ですが、徐々に大きくなっている模様で、地球に正対する時にはもっと巨大になっているかも知れませんよ。Stay Tune でっせ。

 

 

 

 

 

続・リスボン スペイン・ポルトガル17日間の旅2025 11日目

 

 

 

流石に疲れが出ているのか、この日は宿を昼過ぎに出ました(笑)。

今回も2025年の休暇旅行で寄ったイベリア半島巡り、その11日目をご紹介しますが、還暦を迎え、若い頃の様な無茶なスケジュールをこなせなくなってきています。
そこで、リスボンの2夜目は09時頃まで就寝し、その後にまったりと布団の中で過ごす朝にしました。

ホンマは3泊しかないので、先を急ぐべきなんでしょうが、身体がもちましぇん。

ですので、宿を出て地下鉄の駅に行くまでの間に朝ご飯を食べました。時間は既に12時30分を過ぎています。
流石に朝ご飯なので食べる量は少ないのですが、別途燃料(ビール)補給だけは欠かせません。
この500ミリリットルジョッキを2杯頂きました。

さて、この旅も終盤に差し掛かって来ましたが、マドリード空港に入り、トレド、セゴビア、サンチアゴ・デ・コンポステラ、ポルト、コインブラ、リスボンと移動してきました。
後はレンタカーでリスボンを北上しナザレ泊、南下してアルマダ泊と続きます。

 

 

 

 

 

ランチタイムに朝食を摂り、最寄りの地下鉄駅である Intendente からグリーンラインに乗ります。
終点の Cais de Sodre 駅で下車しました。

流石に終着駅なので、自動改札が横に十数台並んでいます。ICカードである Navegante をかざして通り抜けます。このカードには10ユーロ分をチャージしてあります。

VISAタッチでもイケますが、割引がない為に割高になります。

 

 

 

 

 

地上に出て来て横断歩道を渡り、西行きの停留所に陣取ります。
目指すは15E系統の市電に乗ること。

このICカードは、連続した90分間以内の乗車であれば、一定料金しか請求されない事から、寄り道をせずに西に向かいます。
 

 

 

 

 

 

車内は2列+1列のクロスシート座席と、横向きのロングシート座席が混ざっていました。筆者は相変わらずバックパック・カメラバッグを背負っている関係で、車椅子が置ける様になっている広場の様な場所に陣取り立っていました。

車窓の景色を4K動画を撮りたいですからね。

そして27分間の乗車で6.5キロメートルを進み、Lg. Princesa 停留所で下車しました。
ここから大河側に向かっていきます。
 

 

 

 

 

 

テージョという大きな川に向かう手前に、ポルトガル国鉄の線路を歩道橋で越えていきます。
そして、線路の両側に片側2車線の道路があり、片側計4車線という動脈を形成しています。それをこの歩道橋で越え、川岸に向かいます。

この辺りでビール2杯分のトイレタイムとなっており、トイレアプリで調べます。
すると、この歩道橋を渡り切った所に公衆トイレがあると表示されたので先を急ぎます(笑)。

確かにトイレはありましたが、入口の自動ドアは開かずの扉となっており、早い話営業していません。

そこで、その近くにあったレストランにトイレを有料で借ります。
既に多くの利用があるみたいで、トイレ入口に利用料1ユーロと書いてあります。

念の為に小銭を持っておいたので、ギリギリ間に合いました(笑)。

 

 

 

 

 

スッキリしたので撮影に集中出来るかと思った矢先、目指す「ベレンの塔」が完全補修中なのが見えて来ました。

テージョ川に入る船の監視を目的に16世紀初頭に造られたもので、世界遺産に認定されたのが42年前と言うから古い。ちなみに日本で最初に世界遺産に認定されたのは法隆寺で、筆者がNZに最初の一歩を踏み入れた1988年、37年前になります。

 

 

 

 

 

補修中のベレンの塔を離れ、歩いてリスボン市街地方面に戻っていきます。

そこで見えているのがテージョ川と、この大河に架かる「4月25日橋」と、マドリードに戻る前に宿泊する対岸のアルマダ地区。

レンタカーを駆使して、内陸やユーラシア大陸の西の果てを見に行き、その夜に「4月25日橋」を渡っていきます。

NZの大都市オークランドと同様で、大小様々なヨットが右往左往していました。
アメリカズ・カップの挑戦艇もある事でしょうね。

 

 

 

 

 

そして、本日のハイライトである「発見のモニュメント」という記念碑が見えてきました。

その前に小腹が減ったので左手に並ぶ店を吟味しながら進むのですが、そう言えば次に食べる場所を決めていた事を思い出し回避します(笑)。

それよりも、遠くに見えているモニュメントが「おいでおいで」と呼んでいるかのようで、先を急いでしまいました。

 

 

 

 

 

そして、とうとうやって来ました。死ぬまでに一度は訪れたかった場所だったんです。

筆者は旅行会社のスタッフだった1998年から「日本語でのスターウォッチングツアー」を開催してきており、そのツアー中に大航海時代の話を織り交ぜていました。

理由は、南の空に浮かぶ2つの白い雲の名前にあります。
一つはLMC、もう一つがSMC。前者は Large Magellanic Cloud で、後者は Small magellanic Cloud の省略になります。

そう大マゼラン雲と小マゼラン雲の事。
この2つは肉眼で毎晩見える天体で、慣れて来ると満月の夜でもその存在が分かるようになります。

このマゼランという言葉ですが、実はポルトガル人航海士であるフェルディナンド・マゼランの名前から来ています。

5隻の船を率いて、インド洋航路とは反対の西回り航路で世界一周を目指した人です。

2つのマゼラン雲は、彼の苗字から取られており、南米最南端の「マゼラン海峡」も彼が世界で初めて通り抜けたということで名前が残っていますね。

そう筆者は、地球の真裏からマゼランに会いに来たのです。

 

 

 

 

 

太陽光の関係で、記念碑の西側から撮影していますが、実はこの中に筆者が知っている人物は誰一人もいません。

それでは、これらの人物は一体誰なのでしょうか?
勿論、大航海時代に関係する人々であることは間違いないのですが、一度も聞いたことがない名前が並んでいました。

ただ先頭のエンリケ王子だけは聞いたことがあり、この人物はこの塔を東側から見ようが、西側から見ようが先頭にいます。

エンリケ王子が主導し、世界に漕ぎ出したと言われている人物で、このメンバーたちの善き理解者であったそうな。

60年以上前にコンクリートで造られた記念碑ですが、立派な佇まいであります。

ちなみに、最後の写真の左端に写っている女性像がエンリケ王子のお母様になるそうです。

 

 

 

 

 

そして、こちらが東側になりますが、生憎午後の訪問なので逆光であることをお許しいただきたい。

左端の先頭がエンリケ王子以外は、全く誰か分かりません。
ですので、少し近寄ってみます。

 

 

 

 

 

1枚目と3枚目の写真に、我々日本人にも馴染みのある人物がいるので、名前を書いておきました。

ヴァスゴ・ダ・ガマ
フェルディナンド・マゼラン
フランシスコ・ザビエル

以上3人は皆様でもご存じだと思います。

ガマはインド航路の発見者
マゼランは世界一周航海時の船団船長(途中のフィリピン・セブ島で部族間の争いに巻き込まれて死去)
ザビエルは日本のキリスト教を伝導した宣教師

ザビエルは実は髪の毛がフサフサであることは教科書の写真と違いますね(笑)。

日本はその後にスペインを含む列強各国に狙われ、植民地にされる可能性があったんですよね。その調査目的でザビエルが日本に送り込まれ調査をしていたそうです。

しかし、日本が列強の植民地にならなかったのは、これらのスパイが「日本から手を引け」とレポートしたそうな。理由は武士の強さと、優れた鉄砲の改造精錬技術だったと言われているそうです。

もし、それが無ければ、日本は江戸時代さえも無かった事になり、世界大戦をも経験していなかったかも知れません。
元寇以降も武士が強く、伝わった鉄砲の改造と精錬技術にスパイである宣教師達を驚かせたそうな。
そして列強各国に「日本はヤバイ」と伝わったみたいでっせ。

 

 

 

 

 

筆者が住むニュージーランドは現在大きなトラブルを抱えており、ジモティが国を後にして海外に流出しています。

この直接的な原因は、全く産業が欠如している国家に、大金を持つ、特に東アジア2か国からの移民が即金で住宅を買いまくり、その値段を釣り上げて行ったことです。
そして、それを産業にしてしまったことです。

ミルク製品を作り、後は不動産業のみ。
これでは子供達は学ばないし、それ故に学校側も発展していきません。

そこに、能力のある人間たちが、「スローライフを楽しむ」目的で大量に入って来ました。必然的にNZ人より優れているので、要職を奪っていきます。
しかし、スローライフを楽しむ為に移民してきたので、新たな、例えばIT産業等の世界と戦える業種は増えず仕舞い。

仕事を奪われた原住民は、家の高騰と仕事を奪われました。
そう、早い話、教育に重点を置かなかった事が最大の理由です。

その点、日本は列強各国をも怖がらせる組織力と技術等を持ち合わせていたわけです。

ご覧の通り、写真の世界地図にニュージーランドは何処にも描かれていません。流刑地だったオーストラリアの、未だその先に大地があると誰も知りもしなかったのです。今でも同じですよ。

 

 

 

 

 

すみません、4K動画を切り抜いたモノなので、写真が若干傾いています。

このリスボンを出航して世界に漕ぎ出したポルトガルですが、スペインとの競争に巻き込まれます。
しかし、その独自の特色を生かして、世界中に植民地を開拓していきます。

今から500年以上前の簡素な羅針盤しかなかった時代に、貧弱な船で世界に漕ぎだしたポルトガルとスペイン。現代のニュージーランドには、そんな考えを持つ民衆は皆無です。手漕ぎの船でタヒチからやってきたマオリ族という先住民がいるのですが。

もし存在したら、今頃、もっと産業化が進んだ国家となっており、ここまで住宅価格が値上がる事も無かったでしょう。

ただ現代のポルトガルも華がありません。
過去の栄光に囚われ、何もしなくてもポルトガルは偉大な国家だと勘違いしているとしか思えません。

そう、何処でも同じ。
過去の栄光を引きずる事がどれだけ無駄で危険かという事です。

そうならない為に最も有効な薬は、やはり教育です。
日本は昔から識字率が高かったですよね。これも寺子屋などの教育施設が充実していた事が大きな理由。

国家は先ずは教育を充実させて行くべきです。
反面、教育を受ける人口の減少もトラブルです。

NZは14歳以下の子供が、全人口の20%を越える割合で存在しますが、教育は正直言って最低ラインだと思います。
日本は教育に関しては充実しているが、その教育を受ける子供達が圧倒的に減っています。

 

 

 

 

 

世界に漕ぎ出した勇気に尊敬の念を感じ乍ら、今度は地下道で山手に向かいます。
 

 

 

 

 

 

そして、目の前に美しい建物が見えて来ました。これが世界遺産ジェロニモス修道院

本来なら入場するべきなのでしょうが、その価格が何と18ユーロ(約3250円)もします。
リスボンカードという、街中のほぼ全ての施設の入場が含まれているモノをお持ちの方は率先して入って行かれますが、そうでない、例えば内装に全く興味のない筆者の様な場合だと躊躇します。

もし、入場するとしたら、嫁さんと一緒に来た時にしたいという感情もあり、腹も減ったし、燃料補給も急がれる状況なので、ほぼ素通りして市電乗り場に向かいました。

しかし、この建物も大航海時代に入江に入って来た船に偉大なるポルトガルを見せつける為に造ったものと理解しています。自分の功績を固辞する目的で大金が動くって、いつの時代も人間は見栄の塊だと感じました。

まあ、現代では日本人男性もお化粧をされるそうなので、まあそれも良かろうぜよ。
オッサンには理解出来ない内容ではありますが(笑)。

ちなみにこの写真を撮った時間ですが、既に16時を回っており、閉館は17時30分です。
なのに、長くはないですが、入場の列の最後尾が見えていますね。

やはり嫁さんと来た時に入りたいです。でも長い時はオンラインでチケットを買っても1時間待ちがザラだそうですよ。

 

 

 

 

 

さて燃料補給です(笑)。
修道院前から市電に乗り、みどりの地下鉄、その終点駅 Cais do Sodre まで戻って来ました。

交通費を節約するなら、ここから地下鉄に乗り継げは90分以内同料金システムで済みますが、次の目的地は Time Out Market というフードコート。
ここでメッチャ遅いランチにします。

 

 

 

 

 

時間は16時45分ですので、昼食には遅く、夕食には早過ぎます。しかし、これだけの賑わいです。
そう、明らかに既に飲んでいる人ばかりです(笑)。

筆者は5時間ぶりの食事なので、しっかりと食べました。
でも体力を補充する目的で再びパットタイを注文し、炭水化物の補給です。

思った通り値段が張るので、ここはさっさと撮影してずらかります(笑)。

食後に撮影場所を吟味していると、男性スタッフに「写真を撮るなら2階を勧めるよ」という言葉を賜り、誰もいない秘密の場所的な場所に辿り着きました。

3枚目の写真がそれです。
こういう時の為にズームレンズは有効ですね。

画角を変えて十数枚撮りましたが、撮影場所を前後に動けない場所から撮る時に便利ですよね。

夕食前の時間帯ですが、ほぼ満席状態です。
1時間後はドタバタでしょうね。

 

 

 

 

 

お洒落な盛り付けでした。

ただ、多くのテーブルと椅子の背が高くて、お年寄りと子供は座るのが大変です。
背の低いテーブルと椅子の割合は全体の15%程度でしょうか。

全部平らげたのですが、全く量が足りませんでした。

そこで考えたのが、2件目。

翌日は午前10時からレンタカーの予約を入れている事から、日中は全くビールを飲むことが出来なくなると思い出し、これはもう一軒行って「飲み溜め」が必要と悟りました。

そこで、思い付いたのが居酒屋。

Google Mapで調べてみると、近くに日本名の居酒屋店がヒットしましたが、夜の営業開始時間がどれも19時と遅く、1時間30分以上も先の話です。

そこで、宿近くの居酒屋を探します。

すると、値段が市内価格よりも大幅に安い店を発見。
そこに向けてバスに乗ろうと店を後にします。
 

 

 

 

 

 

ところが、Google Mapに表示されるバスがやって来ません。15分後のバスもやって来ません。

これって、最初に寄ったトレドと同じで、その路線だけが工事か何かで運休してると判断し、急遽地下鉄にて移動する事にしました。

ただし、駅からメッチャ急な登坂が数百メートルも続きます。
まあ街中の居酒屋だと破産するので、安い飯屋という事で頑張りました。

居酒屋ではなくラーメン店でしたが、スタッフはタイ、韓国、香港てな感じの皆さんで、英語がメッチャ通じて助かりました。
餃子を肴にしてビールを飲みたかったので、ラーメンの注文を後回しに。

ビールを3本(小ボトル)を3本飲んだ最後に写真のラーメンで〆ました。
翌日から日中はお酒を吞めないので、その前に補充です(笑)。

20時15分頃に店を後にして、宿までは1キロメートルとMAPで表示されたので、余裕で下り坂を利用して歩いて戻りました。

ただ、未だ昼食を終えた事になります。
故に、夜は23時閉店の店にて酒の肴とビールを買い込んで、深夜の部屋吞みを開催し、午前3時頃に就寝しました。

翌朝は午前9時前にチェックアウトをし、地下鉄を2本乗り継いでリスボン空港に向かい、予約してあるレンタカー会社のカウンターには9時35分には着いていました。
48時間のレンタカーの旅が始まります。お楽しみに。

 

 

 

 

横断歩道での停止率2025 in Japan

 

 

 

この数字、驚きました。
2019年を最後に、日本の横断歩道停止率を取り上げて来なかったのですが、今年2025年の全国平均が50
%を越えて来ています。

その最後の停止率を取り扱ったページはこちらになるのですが、その当時の全国平均停止率は2018年で8.6%、翌年2019年で17.1%だったんです。

それが知らないうちに2025年では56.7%という、まさにJAFさんの勝利といった構図になって来ましたね。
この実験を毎年行っているのがJAFさんで、皆様の中にもJAF会員がおられ、車のトラブル時に彼等に助けてもらった方も少なくないでしょう。

そのJAFさんが、今年も8月に47都道府県での調査をされた模様です。
調査場所は各都道府県で各2か所ずつ。計94カ所。

調査場所の条件としては

①センターラインのある片側1車線の道路
②前後5メートル以内に十字路やT字路の交差点が無い事
③道路幅が2.75~3.5メートル
④交通量が1分間で3~8台
⑤制限速度が時速40~60キロメートル
⑥横断歩道を50往復、計100回渡る

といった秘密の場所で行われたそうです。

TOPは相変わらずの長野県。そして2025年の停止率最下位は山口県。長州藩の末柄の皆様、元気があるのは良いのですが、やはり相手を格下に見てしまう癖が抜けておられないのでしょうか?

 

 

 

 

 

この実験を初めて行った2016年の全国平均値が7.6%だった事も驚きですが、短期間でそれが8倍近くも増えた事はもっと驚きです。

まあ、それだけ歩行者が優先だという事を知らなかった状況があったという事でしょうか。

2018年の最下位は栃木県で、その停止率は何と0.9%。これを言葉で言い換えると、「停車してくれる車は1000台でたったの9台」という事になります。

しかし、知事が頑張らはって、今年はなんと67.8%。

2019年に最下位になった三重県。当時の停止率はたったの3.4%。
それが今年2025年は66.4%でっせ。

そして今年も優勝は長野県。
筆者の認識では、この調査が始まる前から長野県知事が「止まろう止まろう運動」というモノをされていたそうな。それが理由で停止率が高かったのだと思っていたが、長野在住の知人に停止率が高い理由を尋ねたら、「横断歩行者が左右を確認することなく渡り始めるから」という回答を得た。

それがもしホンマなら、長野県で車を走らせる時に注意が必要だと思ったが、他の理由を探してみたところ、もっともな現象を見つけた。

それは「歩行者が運転手に感謝の相図を送るから」だそうです。小学生はお辞儀までするそうな。そりゃ、止まりたくもなるわな。

山口県の皆様、これまで2回連続で最下位になった都道府県は過去にないと思いますので、来年も最下位にならないように御注意を(笑)。

 

 

 

 

 

そして、これが今年2025年の停止率を表にしたモノです。
停止率が40%を切っている都道府県がメッチャ目立つグラフでんなぁ。

北海道、福井、大阪、山口、大分、沖縄の6道府県がそれ。


しかし、こうして停止率が上がっていくのは素晴らしい事です。
ここニュージーランドでは、筆者が初めてNZの土を踏んだ1988年の時点で、停止率ほぼ100%でした。
日本は2016年で7.6%という低さが顕著でしたが、その9年後に全国平均56.7%にも跳ね上がっています。
今後も停止率が上がって行くものと思いたいですね。

しかし、ここニュージーランドでは停止率が年々下がっている様な気がします。
筆者が横断歩道を渡ろうとしていて、停車してくれない運転手、その殆どが中東や東南・東アジア人と思われるドライバーばかりなんです。

最も運転が荒いのが中東、インド系運転手で、その中にはホテル専属の運転手がおり、ホテルのゲストを乗せての送迎時でも、前の車を煽ったりします。
そして、横断歩道で歩行者を優先させない人種として、東南・東アジア人ドライバーが顕著です。

恐らく彼等はレンタカーを運転時は、母国の状況と同じ感覚でハンドルを握っているものと推測出来ます。

日本もインバウンド客が大勢やって来ていますが、中にはレンタカーを借りる旅行客もいるでしょう。彼等は昔の日本と同様で、横断歩道で歩行者を優先させるなんて事をしない可能性があります。

停止率が年々上がってきているとは言え、インバウンド客が運転する車には十分注意が必要です。何故なら、彼等は「郷に入れば郷に従え」を無視しているからです。

 

 

 

 

 

オーロラ 肉眼では通常白黒に見える その2

 

 

 

「人間って、ホンマに強い光しか色が分からへんのやなぁ」

大昔に同内容のレポートを上げた事があるので、今日はその第2弾。光柱が顕著なオーロラの写真を再現像したのでご紹介します。

上の写真は2023年2月15日深夜に出現したオーロラを撮ったものですが、肉眼ではこんな感じで白黒にしか見えない事が多いんですよ。
ただ、この夜の出現はある程度強かったので、車から降りて直ぐに「あっ、光柱出てるわ」と分かりました。

しかし、写真で撮った時の様に色までは分からず、完全に白黒。

ただ恵まれているのは、オーロラ出現域である南南西の空には光害が全く無く、直線距離で150キロメートル先に人口5万人弱の街が一つあるだけ。

しかも、ニュージーランドでは街灯やショップなどの照明は空を照らしてはいけないという法律がある事から、光害は日本と比べて極端に少ないです。街中はアスファルトの反射光が強くてダメですけどね。

故に、出現域に天の川が架からない場合、その空域が明るくなることは一切ありません。

そんな中、写真の様に照らされれば、それがオーロラだと一発で気付く事が出来ます。

 

 

 

 

しかし、これを天体改造カメラで撮ると、この様に鮮やかな色が浮かび上がって来ます。
改造カメラはオーロラ赤色を50~80%透過させないというフィルターを除去してあるので、フィルムカメラで撮った時とほぼ同じ写真を手に入れる事が出来ます。

これをiPhoneや一般のミラーレスカメラで撮ると、そのフィルターが邪魔をして、ここまでの赤色は写りません。

という事で、海外オーロラツアーに向かう計画がある方は、悪い事は言いません、天体改造カメラを追加しなはれや。

極寒の中で2台以上のカメラを操作するのは大変だと思いますが、一生で何度も出逢えるオーロラではありませんので、後悔のないように万全を期して下さい。

そして予め、オーロラには色が付いていない可能性が高い事を考慮して頂き、空が白ければ「取り合えずシャッターを切ってみる」のが宜しいかと。それがオーロラであれば、色付きで写ってくれます。

それとこれはオーロラを25年間撮って来ての注意点なのですが、オーロラが見えていない領域も撮ってみて下さい。SAR Arcという赤い帯が写る事があります。

これを逃さない様にするには、空域を何ショットも撮って確かめるか、対角魚眼・円周魚眼レンズを使うと便利です。

太陽活動期の真っ最中です。オーロラに出逢えるチャンスが高い時期です。撮影機材は万全でどうぞ。

そうそう、オーロラの出現が強力だと、緑色も赤色も肉眼で見える事がありまっせ。