【病気シリーズvol3】落ちているときじゃないと分からないこともある | しなやか自分軸で関係を築ける人になる!

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しなやかな自分軸で大人の対話力を向上します。大人の対話力が子どもに波及し共に育ち合う世の中になりますように。

複雑な心をシンプルに!

自分の専門家になれば対話はできる

しなやか自分軸研究所@所長川西未来子です。

 

 

元気になって行くと忘れそうなので備忘録です。

 

 

 

気になる言葉が過去にいくつかあるとき

その気になることを一つ一つ検討すると

 

 

その言葉が消えたり、、、

違う捉え方になったり

次の学びのステップになったり

自信になったりする

 

 

消えたり現れたりする母との会話や言葉がある

 

 

 

 

記憶の中の母は宗教の教えに忠実で

家族は置いてけぼり

信者さんにばかり尽くす

自分をあまり持たない人のイメージ

 

 

 

 

 

介護中の会話

 

「なんでも言ってくれたらするからね」と私

 

「みこの好きにしてくれたらいいよ」

 

「いや~それが一番困るから希望を言って欲しい、、、」

 

「そんなこと言われても分からない、、、」

 

と言われるので試行錯誤の介護だった。

 

 

 

 

そして母が死の間際で言った言葉

 

「みこ、、、もう頑張れへんわ、ありがとう」と

 

 

この二つの場面。

 

 

 

 

 

 

母を楽にさせてあげよう

痛みも苦しみも最小限になるように

あわよくば回復も望み、、、

自然の流れの死なら受け入れよう

ガン以外の病気にはさせない!

 

 

(ガンになってガンで亡くなることは実際には少なく、

心不全や腎不全、敗血症など

ガン以外で亡くなるパターンが多い、

これを医療看護の怠慢だと思っていたので、、、

でもこの頃の医療システムだとしょうがないんですよね)

 

 

 

 

と思って介護していたけれど、、、、

それがもしかしたら、、、

 

 

 

 

 

母に「もっと頑張れ」と

思わせてしまったのではないだろうか?

 

母を追い込んだのではないだろうか?

 

母は苦しかったのだろうか?

 

じゃあ、私はどうしたらよかったのだろうか?

あれ以上私にできることは何があったのか?

 

 

どうしようもないことなのに、、、

たま~~に気になる。

 

 

 

 

そして、、、

 

やっぱり欲求は明確じゃないと介護側が困るよな

人の世話ばかりして自分を置き去りにして

欲求が分からなくなっていたのかな~と思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、たまたま就活で帰ってきた娘が

お粥を作ってbedまで持ってきてくれた

 

 

 

発熱して6日目、初めての固形物

結婚して以来初めて人に作って貰ったお粥

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作ってくれただけで有り難かった。

 

 

と言ってもお椀いっぱいは食べられないので

上記の量に減らした。

 

 

 

 

 

 

そうか!!

 

 

 

 

母は私が世話をしただけで嬉しかったのかもしれない

 

 

欲求がなかったのではなく

気持ちでいっぱいいっぱいだったんだ。

 

 

人にして貰うことが申し訳ないような

有り難いような、、、複雑な気持ちだったのだろう。

 

 

嬉しかったけれど、

それに応える(元気になる)ことができなくてごめんね。

 

 

か、、、。

 

 

 

 

 

 

余命3ヶ月が8ヶ月の闘病だった。

 

充分じゃないか

色々な話もした

 

 

 

 

 

 

母は欲求が不明確な人ではない!

ただ自分の中の贅沢を禁止していただけだ

と思うと、こんな言葉が思い出された。

 

 

 

 

 

「なんでで出来てる餃子買わないの~」と私

 

「子どもには何が入っているのか

 分からないものは食べさせられない

 そんなものを買うことがイヤなの」

 

と、なんでも手作りだった。

 

 

 

 

医者からもらった薬も

薬を飲むと長引くような気がするから

飲まない方がいいかもね。

と言って飲まなかった。

 

 

 

 

子ども二人が流行っていてね。

みこは4人目だから医者から

「堕しますよね」と言われて

「産みます!」って言ってやったんだよね。笑

 

 

 

 

世の中は抱き癖がつくからと

泣いているのに放置しろと言う。

そんなことより

自分が抱きたいと思うのだから

気持ちに反することはできなかった。

 

 

 

 

 

な~~~んだ、

ちゃんと自分軸で生きていたんじゃん。

 

 

 

 

 

ただガンになった時の心の備えや

ガンの自然治癒に関する知識がなかっただけなんだよな~と。

 

 

 

 

身体も気持ちも落ちてみないと

見えない世界があるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

しなやかにね( ̄ー☆

 

 

========追記=======

 

病気が見つかった時、

肺がんは全身のリンパに転移していました。

 

肺がんなのに咳はなく

息苦しさも痛みを訴えることもなく

酸素吸入も最期のひと月に

酸素1〜2ℓぐらいで楽だと言っていました。

 

最期の3日前まで食べれていました。

 

ただ手の痺れだけありました。

 

母はガンで老衰のように息を引き取りました。

 

最期を看取って

清拭をして死化粧も私がしました。

 

3歳と1歳を抱えての介護でしたが

色々考えた期間でもありました。