父のその後 | ラクのブログ

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思った事や、感じた事を、綴っていこうかと思ってます。

施設を決めて行かなければと

説明を受けたあと

また先生から電話があり

家族は呼ばれました。

どこかで菌が発生し高熱は出てるし

白血病の数値が爆上がりで

このままだと、持って1、2週間

長くて一ヶ月と。

施設の話をしましたが

このまま、ここで看取りますと

面会時間も人数も制限なし

いつでも来て下さいと

会わせたい人がいたら

会わせて下さいと言われて

なんか自分の事やのに

ドラマ観てるみたいな感覚でした。

近くにいる父の弟家族の娘二人も

来てくれて、始めて聞いたから

驚きと怒りで、叔父叔母は

娘二人に、なんでもっと早く言うて

くれへんかったんって

めっちゃ怒られたらしい。

私達も急な展開で

施設に移ったらいつでも行けるし

それから話せば良いと思ってたし。

でも最期が家から近い場所で

いつでも行ける病院で

良かったと思う様にしました。


時間がない余命宣告を受けた私達は

会社の帰りに病院に寄り

甥っ子は遊びとバイトの合間

姪っ子は宿題持ってバスで一人で行き

母は叔父と都合を合わせて

叔父の娘も、都合をつけて来てくれて

数日は泣いたなー


しかし皆で行き始めたら

父に変化が出て来まして

目がしっかり開く様になり

左半身がかすかに動き出し

問いかけに頷いたりして

叔父の娘がホワイトボードを

用意してくれて

こちらが言いたい事は伝わり

余命一週間を越える前から

ホワイトボードに漢字を使い絵も書き

自分がして欲しい事を書き

なんと、目に入れても痛くない

甥っ子の名前を大きな声で呼び

みんなを驚かせました。

妹が私は?って聞いたら

首を横に振り、娘二人の事は

分からないみたいですわ。


伝える事が出来て

意思の疎通がしたいという私達の

願いは叶いました。


数値も今は下がって安定してるし

尿カテーテルも取れました。

なんか人の力って凄いなーって

思いました。

父の兄弟も電話をくれて

励ましてくれたり

父はみんなに守られて幸せやなーって 

思ったけど

みんなで力を合わせて

あーした方が良いとか

こーしようとか

励ましてくれたり

知恵を出し合ったり

まだ何かをやれる時間があり

父が幸せだけじゃなく

父を通して私達の方が

優しさと幸せな時間を貰ってると

感じてます。


今食べたい物は

アイスクリームらしいです。 

父が自ら書きました。 



そのためには、水を飲むリバビリを

頑張って貰わないと。

私達は力を集結させて

余命を伸ばしてみせます。


私達は沖縄キャンセルしました。

私の鍼の先生は、私の体と心を

いつも一番に考えてくれるので

沖縄キャンセルを残念がってくれたけど

まぁーいつでも行けるし

それはまたのお楽しみに取っておきます。