忘れてはいけない事。
あなたがもし遭遇したら、その時、どのような行動を取りますか?
ご自身
そして
自分以外の人を一人でも救えますか?
それが、家族であっても他人であっても
下記は知人の実体験です。
まずは
読んで見てください。
そして
一人一人の命の大切さ。
人の命の尊さ。
人生を大切に!
を。
感じてください。
------------------------------
その時、七歳の孫娘と私だけが自宅にいました。
地震です。小さな揺れが何度となく起こりました。
突然座っていた私たちが数㌢飛び上がるような大きな揺れを感じました。
部屋のタンスが倒れてきました。
ふすまも外れてしまいました。
揺れのせいで、
すぐに立つ事も動くことも出来ませんでした。
一時が過ぎ、突然静けさが!
ともかく孫を抱えて庭に出ました。
庭に出ると同時に、
再び、地面を突き上げるような物凄い揺れを感じました。
屋根瓦が落ちてきました。
孫娘は恐怖に怯え、私の懐で泣きじゃくっていました。
ともかく孫娘を抱え、庭で様子を見ていました。
犬が吠え、鶏も大騒ぎ。
大きな揺れが収まり、静寂のなか少しの時間が経ちました。
ほんの少しの時間、いいえ、かなりの時間だったのかもしれません。
ともかく一度家に入りました。その間も微震は続いていました。
部屋中が滅茶苦茶でした。
タンスやテレビ台も倒れてしまい縁側のガラス戸などは外れ地面に落ちていました。
テレビもつきません。
電話が通じません。
携帯電話で、家族に連絡をしましたが、誰一人として通じませんでした。
そのうちに、孫娘が"じいちゃん"。
潮の臭いが凄いね!
そういえばいつもよりも潮風が強く感じました。
この間にも、地震は続いていました。
家の前の道路を何人もの人が右往左往していました。
突然、その人たちが、右から左へと走っていく姿が見えました。
何かを叫んでいるのですが、あまり良く聞こえません。
胸騒ぎがしました。・・・胸も苦しくなりました。
道路まで出て右側をみると、凄い勢いの水流そこまで来ていました。
孫を抱え走り出しましたが、
あっという間に
足首、
更に
膝
・・・腰まで泥水につかりました。
泣き出した孫娘を背負い、
次には、
肩車して・・・
逃げ道を探しました。
孫娘が、肩から落ちて流されていきます。
それを追いかけるように無我夢中で泳ぎましたが追い付きません。
奇跡?でしょうか。
ほんの一瞬・・・
流れが二人を引き合わせてくれました。
何も考えずに死んでも離すまい。
絶対に離すまい!
と力だけで彼女を抱えていました。
流されながら、
浮き沈みしながら、
彼女の顔だけを水面に出すことを考えていました。
もがき苦しんでいると・・・
何かにぶつかりました。
足の骨が砕けるかと思うくらいの勢いで、硬いモノにぶつかりました。
・
・
・
2度目の奇跡です。
運が良かったのです。
裏山に登る階段の鉄柵に足が引っ掛かりました。
痛みなどはドコ吹く風。
無我夢中で柵にしがみつきました。
孫娘を抱えていた力も尽き欠けていた時でしたから・・・
泣きじゃくる孫娘を抱えて、やっとの思いで裏山に登りました。
二人ともたっぷりと海水(泥水)を飲み、お腹がかなり膨れていました。
裏山には、たくさんの人が居ました。
泣いている人
叫んでいる人
怪我をしている人
呆然と立ちすくんでいる人
ともかくごった返しでした。
そして、
傷だらけでしたが、私たち二人は助かったのです。
孫娘が犬の事を心配していました。
繋いだまま、私たちは逃げ去ったのです。
小さな孫娘は、そんな中、愛犬の太陽(犬の名)の事を心配していました。
私は、気がつきませんでした。
愛犬を放してあげられなかった事
あの時、吠え叫んでいました。
言い訳になりますが、あの時はその余裕は有りませんでした。
孫に言われてはじめて後悔しました。
・
・
・
・
・
家や納屋、車庫、車、犬小屋、鶏小屋など、何も残っていませんでした。
そして、
家族の誰一人、戻ってきませんでした。
孫娘は恐怖を目の前にして、言葉を失いました。
足を折り、指を折り 体中が傷だらけでした。
私も骨こそ折りませんでしたが、傷だらけでした。
一生忘れはしません。
あの時を。
孫娘は今でも言葉を無くしています。
もし、
孫娘の記憶から全てを削除できる薬があるのなら、
私は、命と引き替えでも悔いがありません。
私にとって一つだけ救いがあります。
孫娘のことはもちろんですが、
その後、[愛犬の太陽]が戻ってきたのです。
太陽のように明るく
孫娘に向かって走って来ました。
------------------------------
二人を静かに見守りたい。
そんな気持ちです。
上の手記を話してくれた初老の男性が言っていました。
しばらくはテレビや新聞を見ることも出来ませんでした。
最初の数ヶ月は、辛い事ばかりを思い出してしまったそうです。
胸が苦しくなって、眠ることも出来なかったそうです。
日が経つにつれて、暗いトンネルの中でうずくまっている自分を情けなく感じたそうです。
そして
立ち上がって、ゆっくりですが歩き出したのだそうです。
ネット上で、
『東北地震 手記』で検索して見ると、残念ながら手記は限りなく少なく、
痛みや苦しみに耐えている人が、まだまだ、今もって癒えていない事を感じました。
ネットに書くのは自由です。
しかしです。
絶対に、震災を茶化したりしないでください。
[辛い人たちの気持ち] になって上げて下さい。
っと
思ったのはぼくだけでしょうか?
(久しぶりに、このフレーズを書いてみました)