○使用者が労働者を雇用する場合、使用者は労働者を、自己の利益追求のための手段として見下すのではなく、物的幸福を共同で追求していくパートナーとして尊重しなければならない。
○使用者が労働者を雇用するときに明示した労働条件を、その後の雇用期間の途中で使用者が守らなくなった場合(例えば、減給やサービス残業の増加、及び解雇も含む)、従来の労働条件を守る意思と能力があると期待される、新たな使用者を選出する選挙を実施しなければならない。その選挙への立候補権と投票権は、すべての労働者が有する。新たな使用者が選出されたとき、その業務の引き継ぎを終えた段階で従来の使用者は退任し、労働者として再雇用されることとする。
○事業主は、その事業体における業務のうち、相対的に労働条件の良くない(例えば長時間労働など)業務を下請業者に外注してはならない。本来その事業体に属する業務は、原則として、その事業体に直接雇用される労働者同士で分担し合わなければならない。
 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題を解決できなかったことが主因となって、鳩山由紀夫首相は辞任することになりました。しかし、鳩山首相の辞任によってこの問題が決着したわけではなく、その次に就任した菅直人首相の内閣に、この問題は持ち越されることになりました。
 普天間問題について菅首相は就任時の記者会見で、基本的には鳩山首相のときになされた日米合意を踏襲すると述べています。ということは、沖縄県民が猛反対している辺野古への移設を強行するということです。これでは問題の解決にはならず、その移設が実施されるときには、かつての成田空港反対闘争に勝るような反対運動を招くことでしょう。民主党政権は、他国の言いなりにはならない自主外交を目指すとしていますが、日米合意に従って辺野古への移設を強行するということは、まさしくアメリカの言いなりになることであり、従来の自民党政権のときと変わらず、自主外交とは程遠いものであることは間違いありません。
 普天間基地の移設について、アメリカは辺野古への移設が最善だと主張していますが、なぜ辺野古が最善なのかと、日本政府がアメリカ政府に対して問いかけた話は聞きません。自主外交を目指すというのなら、せめてそのような問いかけをしてもよさそうなものだと思うのは私だけでしょうか?
 軍事基地の移設における最善とは、軍事戦略的に最善であるだけでなく、地元住民の受入れ態勢においても最善でなければならないはずです。しかしアメリカの主張する最善論は、地元住民の受入れ態勢についてはまったく考慮に入れず、軍事戦略的にのみ最善であるということを意味します。
 それに加えて、沖縄の辺野古がなぜ軍事戦略的に最善であるのかと問われないのが不思議でなりません。これはつまり、日本政府がアメリカ政府の言いなりになっているということに他なりません。

 そもそも、米軍基地はなぜ沖縄に集中しているのでしょうか?
 それはおそらく、日本があの太平洋戦争に敗北する過程において、1945年、アメリカ軍がまず沖縄に上陸して激しい戦闘を経て占領を果たしたことに起因するでしょう。沖縄占領のあとアメリカ軍は日本本土への攻撃をさらに進め、日本は原爆投下というとどめを刺されて敗戦となったのでした。その最初の沖縄占領のときに多くの米軍基地が沖縄に設置され、それがそのまま現在まで続いてきているのでしょう。
 1972年に沖縄は日本に返還されましたが、米ソの冷戦がまだ続いていたので、抑止力保持のため米軍基地はそのまま継続されました。ソビエト連邦の崩壊により、1990年前後に冷戦は終結したと思われていますが、実は東アジアでは中国と北朝鮮という共産圏国家が存続しているため、いまだに冷戦が続いていると考えるのが妥当でしょう。その冷戦は、中国と台湾、そして北朝鮮と韓国との間において有事となる可能性があります。その有事が勃発する可能性のある台湾海峡と朝鮮半島との、ちょうど中間にあるのが沖縄です。それゆえ沖縄が軍事戦略的に重要であり、抑止力保持のため米軍基地がそのまま継続されることになったのでしょう。
 しかし、それまでは有事となる可能性がほぼ等しかったかもしれない台湾海峡と朝鮮半島のうち、今年2010年になってからは、朝鮮半島のほうにその可能性の更なる高さを見出すべきではないでしょうか?
 今年の3月、南北朝鮮の国境海域で韓国の哨戒艦が沈没し、5月にはそれが北朝鮮の魚雷攻撃によるものであることが明らかとなって、にわかに朝鮮半島での緊張が高まることとなりました。韓国は国連の安全保障理事会にこの問題を提起し、北朝鮮への国際的包囲網を形成しようとしています。北朝鮮はこれに反発していますので、近い将来ひょっとしたら、第二次朝鮮戦争という悪夢が待ち受けているかもしれません。
 だとすれば、これまでは台湾海峡と朝鮮半島とに等しく抑止力を発揮してきた戦略を見直すべきときが来ているのではないでしょうか?具体的には、これまで沖縄に集中させてきた米軍基地の一部を、もっと朝鮮半島に近い場所に移設してもよいのではないでしょうか?

 アメリカはこれまで、普天間基地の移設先は同じ沖縄県内の辺野古が最善であると主張してきました。しかし朝鮮半島での緊張がにわかに高まってきましたので、もっと朝鮮半島に近い場所へ移設することを検討すべきときが来ているのではないでしょうか?
 そこで私が着目するのは、朝鮮半島に最も近い島である対馬です。
 対馬は大昔から日本の領土ですが、日本本土よりは朝鮮半島のほうに近い位置にあるため、韓国が竹島に続いてその併合を目指しています。これが対馬問題です。そこで2009年1月、韓国の脅威に備えるため自衛隊を増強してほしいと、地元の対馬から防衛省に要望が出されました。しかし今のところ、その要望に対する動きはありません。もしそのような動きがあれば韓国の反発を招く恐れがあるので、従来の自民党政権に続いて現民主党政権も、今のところ躊躇しているのでしょう。
 韓国は日本の同盟国です。国境問題を抱えているとはいえ、冷戦状態が続く東アジアにおいて、この同盟関係は極めて重要です。その同盟関係に水を差すようなことは、冷戦状態のままの平時には控えるべきだという判断は、これまでのところ妥当でした。
 ところが今年になって、その状態に変化が起きつつあります。韓国と北朝鮮との間で戦争が起きそうな事態になってきました。もしそうなれば、日本はアメリカとともに韓国を支援するべきでしょう。
 その支援の方法として、沖縄のアメリカ軍普天間基地を韓国の間近にある対馬に移設するというのはいかがでしょうか?対馬では自衛隊増強の要望が出されています。だとすれば、米軍基地の移設も受け容れてくれる可能性があります。要望された自衛隊の増強は、当初は韓国の脅威に対抗するためのものでした。しかし韓国と北朝鮮との対立が先鋭化してきた今となっては、それは北朝鮮の脅威に対抗するためのものと言い換えることができるかもしれません。そして自衛隊増強とともに、沖縄の米軍普天間基地を対馬に移設し、韓国の後方支援に当たってもらうというのはいかがでしょうか?
 今まさに朝鮮半島で有事が勃発しようとしています。その有事に対応するための米軍基地です。現在その米軍基地は沖縄に集中しています。それよりはもっと朝鮮半島に近い場所にあったほうが、朝鮮半島の有事に際して迅速に対処できるはずです。アメリカは普天間基地の移設先については沖縄の辺野古が最善であると主張してきましたが、それよりは対馬のほうが遥かに適しているのではないでしょうか?そして対馬に移設することは沖縄県外移設であり、これは必ず沖縄の負担軽減につながるはずです。

これまで防衛問題はすべてアメリカの言いなりでした。普天間基地を日米合意に従って辺野古に移設するという政策はその典型です。何故アメリカ政府は辺野古が最善であると主張するのか?今まさに有事が起ころうとしている朝鮮半島の間近である対馬のほうが最善ではないのか?日本政府がこのような主張を始めるとき、これまでアメリカ政府の言いなりだった状態が変化してきます。東アジアの防衛問題において、日本が主導権を握り始めるときです。北朝鮮を打倒しようとする韓国を積極的に支援するこの政策は、まさしく民主党政権の目指す自主外交と呼べるものでしょう。


 私の頭の中では、普天間基地移設問題と北朝鮮問題と対馬問題とが結びついています。こうした考えを抱くようになったのは、北朝鮮に拉致された人々をどうすれば奪還できるようになるかという問いかけからでした。その問いかけの辿り着いた結論は、北朝鮮という国家を消滅させることによって拉致被害者の奪還を実現できるのではないだろうか、というものでした。その方法として、普天間基地移設問題と対馬問題とが結びついたのです。
 日本では去年から今年にかけて、普天間基地移設問題が解決できずにいることで混乱した状態が続いてきました。アメリカと韓国はこのことに懸念を表明していました。いっぽう北朝鮮はこの状態を歓迎しているかのようでした。おそらくそれを好機と見たのでしょう、北朝鮮は今年になって韓国の哨戒艦を魚雷攻撃によって沈没させました。普天間問題が解決されないでいることで、日米韓の軍事同盟に緩みが生じていると見なし、今こそ攻撃に打って出るべきだと思ったのでしょう。
 しかし、ここで怯んではなりません。逆に今こそ北朝鮮を叩き潰す好機です。日本は平和憲法の制約があるため北朝鮮への軍事攻撃には参加できませんが、米韓連合軍を後方から支援することはできます。沖縄の基地を対馬に移設して有事に備えるアメリカ軍は、韓国軍とともに、短期間で北朝鮮を占領し、戦争での犠牲者数を最小限に抑えようとしなければなりません。
 米韓連合軍が北朝鮮を占領したあと、北朝鮮の国土は韓国に併合されることになるでしょう。北朝鮮に拉致された日本人を救出するため、日本の自衛隊が北朝鮮の国土を捜索するのは、まさしくこのときでしょう。それまで政府に弾圧されてきて、ようやく圧政から解放されて自由を得ることになった北朝鮮の国民は、進んで日本の自衛隊に協力してくれることでしょう。そのときようやく、長いあいだ北朝鮮政府に拉致されてきた日本人多数の救出が実現されるのだと確信します。
 北朝鮮に拉致された日本人が残らずすべて家族のもとに戻るということは、拉致被害者家族にとってだけではなく、日本国民全体にとっての願いです。何故なら、もし自分の家族が拉致されたら、と考えてみる想像力を有するならば、拉致被害者家族の苦悩を自分のことのように共有することになるからです。(もし自分が当事者の立場だったら、と考えてみる想像力の必要性は、全ての場合に当てはまります。このエッセイを執筆している2010年4月現在において、米軍普天間基地移設問題で苦悩している鳩山由紀夫首相の場合についても同様です。)
 しかし周知のとおり、金正日政権は五人ばかりを返しただけで、残りの被害者については、死亡したとか入国していないとか主張して、一向に返そうとはしません。金正日たちが拉致被害者を返さないのは、もし返してしまえば、そうした拉致が金正日自身の計画によるものだということが明らかになるからです。日本政府は北朝鮮に対して経済制裁を行なっていますが、それだけでは、拉致被害者全員の救出という願いが実現されることはなさそうです。
 どんなことでも願いの実現は、その願いが実現されるときのことを具体的にイメージすることから始まります。それでは、拉致被害者救出という願いが実現されるときの具体的イメージとは、どのようなものでしょうか? 拉致被害者たちは北朝鮮の国土のどこかで生活し、密かに救出を待っています。その救出のイメージとは、北朝鮮の国土を隈なく捜し回って発見・保護し、日本に連れて帰るというものです。
 それでは、その捜し回る主体となる者たちとは、いったい何者でしょうか?それは、決して北朝鮮政府の調査団ではありません。何故ならば、いっとき彼らは調査するとか言明していましたが、本当は調査するまでもなく、拉致被害者がどこに在住するかはすべて把握しているはずだからです。というのは、彼らは自国で働かせるため日本人を拉致したのだから、拉致被害者をどこで働かせているかはすべて把握していなければなりません。だから、北朝鮮から拉致被害者を救出する主体となる者たちは、決して北朝鮮の調査団ではありません。
 その主体となる者たちとは、その救出を願う日本国民の委託を受けた者たちです。それは例えば、日本の自衛隊が想定されます。日本の自衛隊が北朝鮮から拉致被害者を救出する?そんなことは北朝鮮政府が許さないでしょう。しかし、そのときには北朝鮮政府がもはや存在しないのだと仮定すれば、そうした調査・救出は可能となってくるでしょう。
 しかしそうしたことは、どのような過程を経て実現されることでしょうか?それは例えば、次のようなシナリオが考えられます。
 ヨーロッパでは1990年頃に冷戦が終結しましたが、東アジアではまだ冷戦が終結していないので、そのことが北朝鮮のような共産圏国家を存在せしめ続けてきたのです。東アジアの冷戦とは、アメリカ・台湾・韓国・日本と、中国・北朝鮮との対立です。この冷戦は、中国の共産党一党独裁が崩壊するときに終結するでしょう。それまで北朝鮮を傘下にしてきた中国が民主化すれば、北朝鮮は後ろ盾を失って孤立することになります。こうなれば、アメリカも韓国も北朝鮮に対して躊躇なき行動に出ることができるでしょう。
 いっぽう日本では、例えば隠岐諸島や能登半島などにミサイル防衛システムが配備され、北朝鮮から発射されたミサイルを確実に撃墜できるようになっているとします。そして日本国民の北朝鮮への反感がますます増大し、それに応じて金正日政権のほうも威嚇行動がエスカレートしていきます。そしてついに、北朝鮮から日本本土に向けてミサイルが発射されます。しかしミサイル防衛システムが完備しているので、そのミサイルは確実に撃墜されます。
 このような事態になれば、同盟国の日本が攻撃を受けたということで、米韓連合軍が北朝鮮へ軍事侵攻を行ないます。そうなれば金正日政権はひと溜まりもなく崩壊し、北朝鮮は米韓連合軍の占領下に置かれます。圧政に苦しんできた北朝鮮の国民が解放されるのはそのときです。
 やがて北朝鮮は韓国に併合され、朝鮮半島に単一の民主主義国家が誕生することになるのですが、このような状況になれば、日本の自衛隊が北朝鮮国内を隈なく捜索して拉致被害者を救出するということが可能になってきます。それまでの圧政からようやく解放された北朝鮮の国民は、その捜索に進んで協力してくれることでしょう。

 東アジアの冷戦が終結すれば、北朝鮮から拉致被害者を救出できるだけでなく、沖縄などの米軍基地もほとんど必要ではなくなるでしょう。
 沖縄に米軍基地が必要なのは、朝鮮半島や台湾海峡での有事に備えるためです。その有事とは、例えば先に述べた、米韓連合軍の北朝鮮侵攻による金正日政権の崩壊と、それに伴う拉致被害者の救出といったことです。このような有事に備えるため沖縄などに米軍基地が必要なのです。しかしそうした有事によって東アジアの冷戦が終結するのならば、その有事が勃発する前はそこに米軍基地が必要なのですが、その有事が終了して東アジアでの冷戦が終わりを告げたあとは、そうした米軍基地がほとんど必要ではなくなるのではないでしょうか?
 日本では今、沖縄の米軍普天間基地の移設問題が焦点になっています。米軍基地は以上のような理由により現在は必要不可欠のものですが、それが沖縄に集中していることによって、沖縄県民が最も負担を強いられています。特に普天間基地は街中にあるので、その周辺の住民は極めて危険な状態にあります。その危険を回避するため、自民党政権時代に辺野古のキャンプシュワブへの移設が提案されました。ところが、その計画を見直すという選挙公約を掲げて2009年に民主党が政権を獲得しましたので、辺野古が最善の移設先だと主張するアメリカと、辺野古ではなく沖縄県外への移設を主張する沖縄県民との間で、民主党政権は板挟みになっています。平和が当たり前になっている平時には、有事に不可欠となる米軍基地の必要性が忘れられがちです。そのため地元住民の不満ばかりが強調されてきました。
 鳩山首相は沖縄県民の負担を軽減するため県外移設の方向で検討していますが、現実に移設候補地となったところでは、地元住民が猛反対をして交渉さえできない状態です。そうした地元住民の意識の中では、自分たちが住む地域の平和を愛するあまり、その平和が日本全体の安全保障の枠組みの中で成り立っているという認識が抜け落ちているのでしょう。そのため、日本の平和を守ってくれている米軍基地の存在を忌まわしいと感じ、沖縄県民の負担を分かち合うことを拒否するのでしょう。(ただし、その県外移設候補地については、アメリカ側も軍事計画を遂行する上で適切ではないと拒否しました。)
 しかし、米軍基地の存在は永遠のものではありません。東アジアでの冷戦が終結するまでの暫定的なものです。かつて東西に分断されていたドイツでは、ベルリンの壁が永遠に続くものと思われていたに違いありません。しかし1989年11月、ベルリンの壁は劇的に崩壊しました。同様のことが東アジアで起こらないとは限りません。中国の共産党一党独裁が崩壊し、北朝鮮が韓国に併合されるようなことになれば、東アジアでも冷戦が終結し、沖縄その他の米軍基地はほとんど不必要となるのではないでしょうか?
 そのときが来れば、それまで日本を守ってくれていた軍事基地を撤収するアメリカ軍と、その基地の地元で負担を強いられてきた住民の皆様とに、御苦労様でした、と全国民からねぎらいの言葉を捧げられることでしょう。そしてそのときは、長年にわたって北朝鮮に拉致されていた人々が戻ってくるときであることを確信します。